京雀の袖吹き返すは、噂風
●異例の中の異例、さらに向こうへ
人の原動力となるものは、いつだって他者には不可解なものである。
何がそこまで彼を駆り立てるのか。
仮に人の欲求の一つであると説明されたとしても、八秦・頼典(平安探偵陰陽師ライデン・f42896)の出世街道を爆進する姿は異様であったことだろう。
それは彼の上司や同僚たちからしても奇異なるものであった。
「いくらなんでも早すぎやしまいか」
「功績を鑑みれば、さりとて順当と言えば、順当……」
彼らは困り果てていた。
なんていうか、頼典が遠い場所に行ってしまったように思えたのだ。
たしかに郷里の親類縁者は、さぞや鼻が高かろう。
もともと素養めいたものはあったのだ。
政務に対する最近の頼典の態度は鬼気迫るものがあった。
もう従二位に到達した彼はある意味、あの若さで此処まで出世したことを己の誉として喧伝してもよかろうというものである。
しかし、それでも彼は未だ邁進をやめないのだ。
「一体何があそこまであやつを突き動かすのだ……?」
いや、本当に、と同僚たちも首を傾げる。
端的に言おう。
『永流姫』である。
止事無き御方と言われている彼女にお目通り願いたいと頼典は彼女の側近とも言われている眉目秀麗たる坂東武者を束ねる平安貴族『皐月』に伝えた所、すげなく突っぱねられたのだ。
何故、と問いかけても『皐月』はただ断るだけであった。
階級か?
やはり『正三位』ではダメなのか。
ならば、『従二位』である。
単純極まりない理由であり、下心しかない。いや、逆に下心しかないので純心であったのかもしれない。それが通るわけがないし、そう簡単に階位が上がるものではない。
だがしかし、頼典は真に女性への感心のみで階位をあげたのだ。
恐るべきことである。
「とは言え、まだ散位であることには変わりないだろう」
「下手に役職を与えては、返って混乱を招くというご判断からかと思われますが……とは言え、それも限界がありましょう」
「あれだけの働きをしているのだ。そのうち下知もあろう」
「然り。とは言え……」
同僚たちは噂する。
実は中身入れ替わってんじゃないか? と。
どう見ても、これまでの己達の知る頼典ではない。まるで人が変わったように政務に取り掛かる彼の姿にはどこか鬼気迫るものを感じずにはいなかったのだ。
そんな同僚たちの噂など頼典には耳に入ってきていない。
なにせ、彼の耳は女性に関連する事柄以外は右から左へと流すように出来ている。女性に関連することであれば、弁が閉じる便利設計なのである。
「これなるは今様色の反物。どうかお納めいただきたく参上した次第」
頼典は平安貴族『皐月』の前に現れ、商人より手に入れた京で今大いに流行っている紅花色の反物をもって『永流姫』へのお目通りを願ったのである。
位階も上がった。
持参した反物も商人から買い付けた最上級のものである。
これならば、断られはすまい。
如何なるときも女性というのは、こういう反物、流行り物に敏感である。『永流姫』もまたそうであるはずだ。
女性の心については、この京において頼典以上に知る者などいないだろう。
そういう自負がある。
だがしかし、梨の礫であった。
己が政所へと招いた『皐月』は、亜麻色の髪を揺らしてきっぱりと断ってきたのだ。
「我が主君は、そうした献上品を好まれない。しかし、珍しき品々を持参されたという貴方のお気持ち、お心遣いは無碍にはなされぬ方」
「ならば」
「故に、私がこうして貴方の前に立っている理由を察せぬ方ではありますまい」
ぐぬ、と頼典は抱えた反物を突き返す『皐月』を見やる。
恨めしく思っているわけではない。
というか、こうまで突っぱねられるとは一体どういうことだろうか。
自分の位階は、『従二位』である。
役職で言えば、右大臣、左大臣。
いや、本当に偉いのである。しかし、それを突っぱねる『皐月』の言葉は、そうした位階すらも越えたものなのか?
そんな存在がいようか?
ということは逆に考えれば『永流姫』など朝霧のように見えているようでいて、朝日に霧散してしまうような存在なのか?
そんな疑念が湧いてくる。
「そもそも、私と貴方はこうして逢わぬ方がよろしいかと思われます」
「何故でありましょう。ボクはこうして……」
ああ、と頼典は思い至る。
京雀たちが囁く噂を彼も耳にしたことがある。
そう、己と『皐月』との妙な噂。
曰く、『ついに八秦卿は、美少年を寵愛する趣味に目覚められた』と。
そして、その組み合わせとしてまこと頻繁に上がる名が『皐月』なのだ。彼との逢引の様子は京雀たちにとっては大好物であった。
いつしか、噂に尾ひれもついて回り、誇大に膨れ上がった妄想の類いにまで発展しているのだという。
いやまあ、頼典も理解している。
書庫に蔵書として残されていた日記でも、政争において性と権力は絡まり合ってほどけぬものである。
つまりは、同性同士であっても政治の道具として機能していた事実があるのだ。
そういう意味ではたしかに眉目秀麗なる平安貴族『皐月』と己との噂は、事実無根であっても格好の餌食となるのだ。
無論、頼典にはそのような趣味はない。
なんでまたそんな噂が、と思ったがどうやら以前己が『永流姫』に御目通りを願った時のやりとりを見られていたのかも知れない。
とは言え、それだけで此処まで肥大化するものか?
いや、するのである。
『皐月』はたしかに男装している。
けれど、それを知るのは僅かな猟兵たちのみ。
あの東国での事件がなければ、頼典だって己に負けぬ美青年であるという認識であったかも知れない。
「……それはたしかにボクの失態でしょう」
「そういうつもりではありませんが……」
「あなたも女房女官らから好奇の目で見られているということを知るべきでした」
殊勝な頼典の態度に『皐月』も仕方ないこととは言え、申し訳ない気持ちになったのだろう。幾分軟化したように微笑むのだ。
「いえ、そのお気持ちだけで十分です。そのようなお心遣いを他の者にもされているのでしょう。人のお心を掴むのがお上手なようだ」
華が咲くような、というのはこのことだ。
小ぶりなれど確かな美しさを称える華の微笑みに頼典は今が千載一遇の好機だと理解する。
「では、これは『皐月』殿へ」
「……は?」
「男が贈り物を断られては……どうかボクの顔を立てると思って。こうすれば、妙な噂も否定できましょう」
「い、いえ、しかし、私にはこのようなものは」
いいから、と頼典は反物を『皐月』に手渡す。
こうすれば、表向きは『永流姫』への贈り物を預かった『皐月』という図式が出来上がる。そんでもって、『皐月』の己への心証もよくなろうという一挙両得、一石二鳥ってやつである。
しかも、己の感心は『皐月』にはない、と示すことができる。
我ながら完璧である。
だが、この作戦には穴がある。
頼典がそれを行った場所が問題であった。これが人目のある場所であったのならばよかった。
「どうやら八秦卿は『皐月』殿を己が政所へと招かれた様子」
「きっと逢引なのだわ!」
「そうにきまっておりまわすわ!!」
この通りである。
京雀たちの噂は好き勝手なものである。
事実とは異なっても、それを己が望む方角へと捻じ曲げてしまうのである。更に悪いことには、そのような噂ほど風の如く広がってくのだ――!
成功
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