花を愛づるはおのれの役割なれば
●異例の中の異例
宮中にて今もっぱらの噂となっているのは、八秦・頼典(平安探偵陰陽師ライデン・f42896)の名である。
彼の名は異例の速さでの出世として瞬く間に広がっていった。
まさしく雷電の如し。
疾風迅雷。
それは彼の妖に対する対処のことを示しているようであったが、実際には異なる。
彼が疾風のように駆け、迅雷のような速さでもって手を出すのは女性に対してだけである。
わずか一文にて頼典の気質というものが知れてしまう。
「あれが例の」
「ああ、そうらしい」
出世街道を駆け上る頼典の姿に妬み嫉みを覚える者もいれど、しかして口さがなく罵ることはできない。
すでに彼の位は正三位。
上から数えたほうが早くなってしまっている。
星の位。
即ち、上級貴族の仲間入りである。
そんな彼に対して大っぴらにやれ『好色貴族』であるとか『恋多き御方』などと呼ばわるのならば、どのような刑に処されるかなど言うまでもないことである。
だからと言って、人の感情が解消できるわけではあるまい。
故に声を潜めて彼を噂するほかないのだ。
「如何に疾き出世とはいえど、妖退治の実績に過ぎぬ。むしろ、あの小童が術謀渦巻く宮中において洗礼を受けてなお、これまでと同じく妖退治に精を出すことができるか観物であろう」
「然り。これより先は魔境と同じ。妖よりも人の想念が為すものこそが真の敵であるゆえ」
「しかし、その八秦卿は何処へ?」
はて、と噂していたものたちは頼典の姿が見えぬことに怪訝な表情を浮かべる。
彼は確かに位階を駆け上がれど、未だ官職につかぬ者。
そんな者の政務というものは、今もなお変わりないことである。
だが、頼典の姿が見えない。
一体何処へ、と彼の上司と同僚たちは首をひねる。
「あやつめ、一体何処へ」
「探して参りましょうか」
「いや、よい。どうせまた女性の所だろう」
「あ、いや。どうやら書庫にいらっしゃるご様子……」
その言葉に上司たちは天地がひっくり返ったような衝撃を受けた。
あの頼典が! と。
大変に失礼な反応ではある。
だが、それほどまでに頼典の日頃の行いが悪い。悪すぎた。
政務を式神に任せて遊び歩いては、女性に声をかけるのが当然とばかりに誰彼構わず声を掛けまくる。まるで粉でも掛けるかのようにひっきりなしにするものだから、宮中では頼典に近づいてはならぬという達しすら出たのである。
「そんなあやつが……!」
書庫に!
「い、一体何をそんなに調べているのだ?」
「どうやら、先人の残された日記の類いを熱心に……」
「あの女好きも公卿の仲間入りをしたことで心を入れ替えたか。やはり立場は、その人の心を変えるのだな」
「感心なことだ。お父上や兄上共も喜んでおられることだろう」
同僚たちは頼典が書庫にて熱心に読みふけっている様を見やり、うんうんと頷く。
確かに頼典は突出した霊力を有している。
故に彼の親類縁者……つまりは親兄弟は里の荘園の国司を任されているのだ。
平安結界の維持こそが平安貴族の責務であれど、これまでの頼典のようなちゃらんぽらんさは、如何に能力があれど認められるところではなかったのだ。
けれど、此処に来て覚醒。
目覚めた頼典のあの真剣な眼差しを見ればわかる。
あの様子を彼の父や兄、弟たちに見せることが出来ぬのが悔やまれてならない。
「……時には文をしたためるのもまた良し。あれの心入れ替えたる様を歌にして送るとしよう」
上司に至っては目頭が熱くなってしまっているのだろう。
目元を抑えている。
キラリと溢れる雫のなんと清らかなことであろうか。
しかし。
何故此処で逆説語で繋ぐのか。
言うまでもない。
彼らが見た頼典の姿がうわべのものであったからだ。
そう、確かに頼典は熱心に書庫にて先人の日記に目を通している。
だが!
「ふむ」
頼典は息を吐き出す。
感心頻りといった様子で頷いた。
「やはり正室を持つ、というのは大変なことだな。浮気がバレたときの対処というのは、筆舌に尽くしがたいと見た」
それ政務に関係ある?
ない。
まったくない。いや、あると言えばあるのかもしれない。
今の今まで頼典が熱心に読みふけって調べていたのは『公卿としての女性関係の在り方』である。
何処まで行っても女性が彼の中心なのだ。
「しかし、前妻がお亡くなりになったあと、後添えを巡っての争いというのは、なんとも苛烈なことであるなぁ。それに北政所の座を狙っての姫君のなんとも泥のような……いやはや、美しき姫君たちは花を愛でていてくださればよいのだが。あいや、これまた姫君たちにとっては必要なこと、か」
ふぅむ、と頼典は思いを馳せる。
先人の日記は良い。
多くのことが記されている。
温故知新とは良く言ったものである。
こうした過去の事例からも学べるところは大いにあるのだ。なれば、頼典は一層励まなければならない。
「よし。此度は止事無き御方こと『永流姫』に御目通りできぬか、掛け合ってみよう。ボクも既に正三位。今までは叶わなかったことも叶うはずだ」
善は急げである。
頼典は早速、書庫より出て御目通りを願うべく参じようとする。
一瞬、獅子頭の家人式神の疲労困憊したような顔色を浮かべる顔を思い出したが、まあ、なんとかなるってもんである。
なにせ、噂の『永流姫』は以前、坂東武者の窮地を救った折に知った平安貴族『皐月』が仕える御方であると聞いたことがあるのだ。
ならば、余計に御目通りは叶いやすいことであろう。
なにせ、『皐月』殿は己には恩がある。
あの亜麻色の髪の男装の麗人たる貴族『皐月』の窮地をも救ったのだから。
無下には断れまい。
「いや、そもそもあの『皐月』殿も美しき方であった。何故男装しているのかわからないが、眉目秀麗と言わしめられたのは何も間違いではないのだ。うむ。止事無き御方『永流姫』に御目通りが叶わずとも」
変な笑いがこみ上げる。
「これは楽しみになってきたな。いざゆかん!」
あ、それ! と頼典は駆け出す。
確か家人式神はしきりに止めていたが、今はいない。というか、今の自分を止められるような者は数えるほどしかおるまい。
行く手を阻む者なし!
だが、宮中にて報告に戻ってきていた『皐月』はにべにもなく突き返してきた。
「何故でありましょう。こういうのは憚れるのですが」
「わかっております。東国における救援、真に感謝しております。ですが、それとこれとは問題が異なりますゆえ」
きり、とした黒い瞳が頼典を捉えている。
うむ、と頼典は頷く。
やはり、男装しているのはもったいないな、と。
全く別のことを考えていたのだ。
「では、『皐月』殿を」
「何故そうなります」
「むしろ、そうなりましょう。京に咲く花を愛し愛でるのがボクでありますから。ボクにとって貴方様も掛け替えのない一輪の花に違いなく」
「お戯れを」
「いえ、ボクは本気ですけど、いつだって」
そう言って頼典は笑む。
じり、と『皐月』が後ずさるが、逃さぬとばかりに壁に追い詰める。
はっきり言って二人共顔が良い。
片や男装であるが、しかして、その光景を見た女中たちはまた噂をばらまくのだ。
あの『好色貴族』、『恋多き御方』はかの才気溢れ、剣術策に優れたる『皐月』殿すらも愛でられるのだと。
それはむしろ以前よりもずっと速く宮中を駆け巡る噂となるのだった――。
成功
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