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『今朝のコーナーはバレンタインデー特集! 恋する女の子百人に街頭インタビューを……』
「……もうそんな時期かぁ」
二月十四日。ピンクピンクしいテレビ画面に朝から胸焼けした心地で、リモコンを操作してチャンネルを変える。一日、風はあるが晴れと天気予報士が笑っている。洗い物よし、洗濯物よし。茶を飲み干してこきりと首を鳴らすと、鳳仙寺・夜昂は腰を上げた。少し散歩にでも出ようか。
自分の命が組織的に狙われている――そんな非日常に足を踏み入れてからも、案外、粛々と日々は過ぎていくものだ。
尤も、こうして五体満足でいられる理由の多くは親切な恩人にあるのだが。恩人、同じマンションに住む八上・玖寂とはあれ以来度々顔を合わせるようになった。幾度も危機を救ってもらっておきながら、友人と呼ぶには憚られる、そんな不思議な間柄。
何でもそつなくこなす、崩れぬ余裕と微笑。それでいて、どこか陰のある横顔。
「モテんだろうなぁ、あの人」
プライベートの話など聞いたこともないが、するりと喉から零れた言葉が溜息めいていて笑える。
今日ばかりは問題事に巻き込まれても助けは望めそうにないな、なんて。腑抜けた思考をとんとんと鳴らす靴で叩き直す思いで、夜昂は外へと続く扉を押した。
朝陽が眩しい。
エレベーターホールを抜けて、目的もなく歩を進める先は公園の方角。緑が多いことから散歩コースとして利用する人も多く、――出歩く際はなるべく人通りのある道を選ぶようにとの、玖寂の教えを無意識に守った選択でもある。
すれ違う少女たちの足取りがどこか弾んでいるのに、自然と身を縮めて道を譲った夜昂。自身にとって縁のないイベントではあるが、彼女たちにとっては一世一代の勝負の日となるのやもしれない。だとすれば、まぁ、邪魔をするものでもないな、と。
「あの、」
そんな思いで再び進路へ顔を向けたとき、一人の少女が立っていた。
「あぁよかった……あえた」
「へ? ええと、俺?」
知らない子だ。可憐な制服姿。熱っぽく潤んだ瞳は夜昂だけを映して、その両手に大事に握られた紙袋にはハート尽くし。
このシチュエーションは、まるで――。
「これ、受け取ってください」
まるで恋の告白ではないか。
「は?」
――焦がれて熟れて、実らず腐った、恋の。
ギラリ。鋭く輝いたのは細腕が突き出した包丁。
体当たりじみて飛び込まれ、咄嗟に一歩引けたのは皮肉にも近頃の物騒さのおかげか。金切り声を上げた少女は、用済みの紙袋を踏み潰し、追い縋るようにして刃を振りかざす。
「好き」
「好きなのぉ!」
「ねぇ、早く私のものになってよ!?」
振り回す。
「いやっ……何の話、して!」
一般人であろう少女、しかしタガが外れた人間の力と勢いというものは想像を超えてくる。手首を掴み止めようとした夜昂の手のひらには灼熱感が走り、それがズッ、と沈み込む――、
寸前。
「何を、してらっしゃるんですか」
地を這うかの声とともに、少女の腕が明後日の方向へ捻り上げられた。
絶叫は響く前に手袋越しの手に押し留められる。乾いた音を立て包丁が落ちて、目で追って、それから現れたる声の主を。玖寂を、見遣る夜昂は、傷の痛みなんかより早鐘を打つ心臓に眩暈がしそうだった。冷えた問いかけは己へも向けられたものである、気がして。
どうしてこう、次から次へと……自分は。
「すま、せん。玖寂さん、俺、」
「夜昂くん。彼女は面識のある方ですか?」
息ひとつ乱さず、夜昂の謝罪を遮る形で玖寂が尋ねる。拘束した少女が何事か叫ぼうと身じろぐのを、難なく制し観察する。人目のある通りに包丁に、と殺し屋にしては杜撰な手口には違和感があった。
答え次第では、――くっと少女の喉に食い込む指に、玖寂の腕に手を添えたのは夜昂。
「待ってくれ! ……知らない子だ。けど、普通の子……だと、思います」
「ほう?」
だから殺すな、と。本当にいいのかと確かめるかの底冷えする眼差しを受けれど、逸らさぬ緑はこうしたときやけに真っ直ぐで、強い。
――まったく、甘い。
「……そうですね。刃物の扱い方も、まるでなっていませんでしたし」
何方へ向けたものか、微かな溜息とともに玖寂の指が緩められた。とはいえ、殺人未遂の現行犯を野放しにもしておけない。
玖寂は酸欠で大人しくなった少女の腕を後ろ手に縛りあげ、裏道に続く壁へその背を押し付ける。「声を上げれば次はありません」耳打ちひとつ。かふり、呼吸を思い出して咳き込む姿から目を離さぬまま、スマートフォンを取り出した。
「では、警察へ引き渡すということで良いですか」
「ああ……いや、組織に連絡しときます。俺が。記憶だけ消したり、穏便に済むかもですし」
好き。私のものになって。
切迫した叫び声がまだ耳から離れない。
本当はどこかで会ったことが――、最終判断を委ねてくれるらしい玖寂に目礼して、夜昂は今一度少女を見つめた。
彼女は夜昂を見ていた。ずっと。ずぅっと。
「わたしのこと、また、助けてくれるんですね」
涙に塗れた、恍惚とした笑みを湛えながら。ぞわりとした寒気が夜昂の背を駆けた。『また』。
薄らと脳裏に過るのは、いつかのUDC絡みの一件。どうにか救い出せた少女も、よく似た制服を着ていた、か?
「……寝覚めが悪いだけだ」
一言、呟くのが精一杯で。
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「熱烈なことでしたね。人助けも程々にしていただきませんと」
愛だの、恋だの。
踏み潰されぐしゃぐしゃになったハートたち。少女が連行された今、最後の爪痕となった紙袋を玖寂がゴミ箱へ放った。手の傷の応急処置を施してもらった夜昂はといえば、まるで雨天の下の如く俯いてしまっている。
今日の玖寂は常以上にピリピリとして思えた。表情や言葉が、という話ではない、纏う空気というか。毎度毎度駆けつけるのも楽ではないだろう、やはり好い人との甘い時間を邪魔してしまったのやも。「はぁ……」溜息とも返事ともつかぬ声を漏らして、なんとか夜昂も顔を上げる。
「ほんとすんません。こんな日にまで俺の世話なんか」
「……? ああ」
世間一般では意味のある日だったか。
まるで頭になかった、と隠す素振りもない淡白な反応で玖寂は振り返り、値踏みするかの眼差しで夜昂の頭から足先までを見遣る。
「僕の方こそ、お邪魔でしたか? なんてことのない男女の逢瀬かと、ギリギリまで見極めたつもりだったんです。そういった趣向の恋愛を否定するつもりもなかったのですが」
「いやいやいや、んなこと! ……やっぱなんか怒ってますよね? や、怒るのも呆れるのも当然だとは思うんすけど……」
不特定多数に命を狙われているという立場でありながら、のこのこと出歩いて、結果面倒事を起こして。
尻すぼみに声が小さくなる夜昂の在り様に犬か何かでも連想したか、口元に拳を添えた玖寂がふっと笑う気配があった。「ああいえ、失礼」直ぐに取り繕った男は、ほんの少しだけ興味ありげに薄硝子の奥の瞳を細めて、周囲を見る。
のぼり旗を出したアクセサリー店。ラッピング用の品を手に手芸店から出てくる人。チョコレートが山積みの店先のワゴン。
「では、特別手当でもいただきましょうか。『こんな日』に働くことになった分の」
「っえ? あー、はい、そりゃ俺に出来る範囲ならなんでも」
玖寂は夜昂の懐事情程度知っている。これといった物欲も無い。
ただ、施されるばかりでは申し訳なさの晴れぬ夜昂に此度も付き合ってやるだけだ。それだけ。――歩き出す玖寂が隣をすり抜けるのを黙って眺めていた夜昂は、不意に肩を引かれつんのめりかける。新手の刺客に、ではない。玖寂の手に。
「それと、」
ひそめられた声と。耳にかかる吐息。
「なんでも、だなどと、容易く口になさらないように」
――悪い人間に付け込まれますよ。
釘を刺されるかの耳に痛い忠言に夜昂は、へぁいと気の抜けた返事がやっと。自分だって相手を選んで口にしている、少なくともそのつもりで……悶々とする夜昂を余所に、先行く玖寂は「さて」どこか楽し気に続けた。
「手当の内容は決まりましたか? 僕に指定しろと仰るのなら、悔いても取り消しは応じられませんが」
「そんじゃ、そのー、……甘いもん、食えます?」
玖寂ともあろう男がチョコレートのひとつやふたつで喜ぶ筈がない。頭では分かっている分、言い辛そうに頬をかく夜昂を一瞥した玖寂は、小さく微笑んだ。
「ええ。嫌いではありません」
いっそ、縛り上げて閉じ込めてしまえば。
それでは先の気狂いの女となんら変わりないか。
愛だの、恋だのと。まるで意味が分からず理解し難いけれど、――この、仄暗い衝動は。
成功
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