姫がためならば死ぬべし
●米華通り
『平安結界』によって死の大地より隔絶された世界。
それがアヤカシエンパイアである。
京は碁盤の目に切り分けられているが、しかして新たな歴史が紡がれるところとなるものである。
そう、米華通りの一角である。
そこに八秦の屋敷が存在している。
八秦とは即ち渡来人を祖とする家系である。
庶民からは好色な平安貴族の貴公子として知られる八秦・頼典(平安探偵陰陽師ライデン・f42896)であるが、その内情は位高き平安貴族や止事無き身分の御方より密命受けて事件を解決する猟兵としての力に目覚めし者である。
しかし、そんな内情を庶民や他の平安貴族が知る由はない。
仮に出世コースを駆け上がっているのだとしても、それでも彼の好色たる一面が拭えるものではない。
むしろ、出世すればするほどに彼の好色ぶりは際立つだろう。
好色。
あまり褒められたことではない。
「まあ、僕もね。わかっていることなんだよ」
頼典は日々の務めをなんともざっくり済ませて筆を唇の上に乗せて天井を見上げていた。
位階が上がれば面倒事だって増える。
さりとて、上から拝命したものを投げ捨てるわけにはいかない。
確かに家の対面を気に留めるような性分ではないが、まあ、それはそれというやつである。
「ひとまずは事務は終えたと言ってもいいんじゃあないだろうか」
眼の前には己しかできぬ雑務を終わらせた書簡がある。
いい加減なことであるが、その他は他者にまかせてもよいと思えるものだ。しかし、そういう四角い部屋を丸く掃いてしまうような仕事が官職についている者に許されようはずもない。
「だがしかしだ」
頼典は唇の上に乗せていた筆を置く。
「僕にしかできないこと……即ち、麗しき姫君らの集う歌会に足を運び、これを愛でるは僕にしかできないのではないか?」
いや、きっとそうだ。そうに違いあるまい。
あ、それ、といつものように転身式神を書斎に置いて頼典はすたこらさっさとでていく。
これで目を欺くこともできよう。
一体誰の?
そう、この八秦に仕えし歴戦の家人式神にして獅子頭の検非違使、獅子戸・馗鍾(御獅式神爺・f43003)である。
「爺がうるさいからな。まあ、詫びと言ってはなんだが、蘇があれば許してくれるだろう」
というわけで、と頼典は転身式神の背を叩く。
「それじゃあ、頼んだぞ」
とりわけ真面目にな、と頼典は足取り軽く屋敷の外へと出ていく。
その頃より数刻後に爺こと馗鍾は頼典の書斎を訪れる。
彼は幼き頃より頼典のことを知り尽くしている。
幼少の頃より女性好きであられた。それはもう、なんていうか、何かの病なのかと思うほどの無類の女好き。
女性と見れば誰彼構わず花を贈り、幼い年頃を利用してはお近づきになるという豆さ。勤勉さ。
それをもう少し、わずかでもよいから職務に当てられたのならば位階は今以上に上がるであろう才覚をお持ちなのだと爺は思うのだ。
「しかし、最近は位階を授けられてご当主としての自覚が芽生えたのであられよう……今も書斎にこもっておられる」
故に、と馗鍾は頼典の書斎へと一礼して足を踏み出す。
「若、そろそろ休憩になさいませぬか。わしが淹れました茶でも……って、これは転身式神!」
そこにいたのは頼典ではなく、彼の姿をもした転身式神であった。
他の者であればごまかせたかもしれないが、同じく式神である馗鍾の目はごまかせない。
「やや、これは書き置き……なになに『最近評判の麗しの姫君の元へと行って参る。仔細任せた。明日の朝には帰る故心配召されるな』……と、これは蘇……おお、これは八秦家秘伝の蘇ではないか。なんとも若も気遣いができるようになられ……って騙されるか!」
馗鍾は思わず書斎を飛び出す。
蘇はまだ温かった。
ならば、まださほど遠くまでは!
「若! なりませぬぞ!」
「げっ、爺め、もう気がついたか」
頼典は余裕綽々で碁盤の目、その米華通りを歩んでいたが、しかしただならぬ気配を感じて背後を振り返れば、獅子頭の式神が凄まじい形相で追いかけてくるではない。
「ええい、止めるな爺。ボクにはお会いせねばならぬ姫君がいるのだ!」
「またそんなことを仰って! 八秦家ご当主としての自覚がございませぬのか!」
走り出す。
童の時分にした戯れの追いかけっ子など等に超えている。
塀を伝い、木に登り、雲を駆けるかのように頼典は追いかけてくる馗鍾の手を躱す。
「確か亜麻色の髪の姫君がいるというのだ。桃色の瞳を持つ可憐なる女性であるとかなんとかかんとか! 確か名は……」
「若、なりませぬぞ!」
「ええい、名前を思い出せぬではないか!」
「なりませぬぞ! その姫君は駄目でございます! いや、真に!『永流姫』は本当に!」
だが、頼典は止まらない。
駄目だと言われたのならばなおさらである。
頼典は馗鍾の追跡を振り切る。
そう、未だ見ぬ姫君がいるのならば――!
成功
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