「奢って」
突然その男――阿夜訶志・サイカ(ひとでなし・f25924)が押しかけて来るなり言い放った一言はそれである。
時は大正700年代、幻朧桜咲き乱れし帝都の一角に店構える小さなカフェー。
天瀬・紅紀(蠍火・f24482)が懇意にしている雑誌出版社の男に原稿用紙の詰まった大封筒を渡し、代わりにささやかな稿料の入った小封筒を受け取った瞬間の事である。
「……はい?」
思わず聞き返す。当然である。このタイミング、金が入る瞬間をまさか狙ってたと言わんばかりだが――当の本人はしれっと紅紀の座る椅子の背もたれに寄りかかって再び言い放つ。
「奢って」
「………天瀬さん、その方は………?」
訝しげな視線を向ける編集。当然の反応である。
一方、関わりが"今のところ"無い出版社の編集ならばサイカも怖くは無いらしく平然としている。
「えっと、作家仲間……一応」
「友達と言ってはくれないのかよダーリン」
「やかましいわハニー」
サイカの軽い口振りに素早く言葉返す紅紀。そのやり取りに編集の男はクスクスと笑っていた。
「仲が良いんですね。どうです、其方の先生も一つうちの雑誌でも書いてみませんか」
「お? 俺様の稿料は高くつくぜ?」
踏ん反り返って笑むその様子はどんな大先生かと言わんばかり。
現代世界で言うタウン情報雑誌を扱っている所……だと紅紀がサイカに説明しつつ、編集の男にこう告げた。
「サイカさんは無理じゃないかなぁ……食えればイイやみたいな舌だし、話題の店の食レポって言っても……」
「さり気なく失礼な事言ってるだろ。俺様は酒にはまだ物申せるつもりだがな」
そんな二人の会話に耳を傾けていた編集は、ならば……とどこか不気味な笑みを見せて紅紀に問う。
「食に好き嫌いが無いと仰るのであれば、前に天瀬さんがお断りになったアレ……彼ならイケるのでは?」
「アレ……あー、アレねぇ……」
紅紀が引き攣った笑みを浮かべたのにサイカは興味津々に首傾げて問う。
「なんだなんだ、一体全体俺様に何を食わせてくれようってんだ」
「いやぁ、前に天瀬さんが取材した店から『バレンタイン特別メニューを作ったからまた是非取材してくれ』と」
提供されるその期間限定料理、ついでに他のメニューも経費と称して雑誌社が持ってくれる上に、感想やら何やらを寄せれば稿料も頂ける――とならば。
「悪かない話じゃねぇか」
「それで僕もあそこの仕事時々受けてるんだけど――」
件の店までの道をだらだら歩く二人。店主との面識があるからと結局紅紀も行く事になったらしい。
着いた所は横濱の中華街。朱塗りの街並みは賑やかな大陸文化の趣を感じさせる。桜が咲き乱れていなければ、封神武侠界に迷い込んだと勘違いしそうな光景だ。その一角にある個人経営らしき飯店の扉を抜けると、そこには忙しなく動く店主の男の姿。彼は入口に立つ二人を見止めると笑顔で出迎えた。
「あいや、紅紀さん久しぶり。また来てくれて嬉しいヨ」
「ああ、うん。今日は友達と一緒」
(「今度は"友達"なのかよ――」)
席に通されサイカはメニューを見ようと手を伸ばすも、腕を紅紀に掴まれて阻まれた。
「なんだよ、見せてくれねぇの?」
「君の限定メニューへのリアクションを見たいんだよね。あ、僕はいつものヤツ」
――とサイカにバレンタインシーズンの特別メニューとやらを一人前、そして自分の分を注文した紅紀。
「リアクションって……何だ、魚の目玉や豚の脳味噌やらでも出てくるのかよ」
「それだとハロウィン仕様だよね、後で店長に提案しとくのも良いかも」
サイカの言葉にククッと笑い首傾げる紅紀の様子。怪しいというかここでサイカは改めて最初から考えて見る。
目の前の男が一度断ったと言うなら彼の苦手な部類なのだろう。
そもそも――中華店でバレンタイン?
「お待たせしました」
そこに給仕が運んできた料理をサイカの前にスッと置いた。
「|貯古齢糖《チョコレート》担々麺で御座います」
なにこれ。
まずその一言が脳裏に過る。
何故、|チョコ《あまいもの》と|担々麺《からいもの》を合わせようと思った。
サイカは花椒とカカオの混ざり合った筆舌し難い強烈な香りが鼻腔をくすぐるのを覚えつつ、その何とも言えない見目の麺料理にテーブルを蹴り飛ばしかけてた。無論、察した紅紀が足を伸ばし抑えて卓袱台返しを阻止していたが。
「サイカさんなら食べられるよね、これ」
「何でも食えるとは言ったけどよ、せめてもうちょいマシなものは出てこなかったのか」
そこで改めて見せられたメニューの表記。思った以上に無駄にお値段お高い。何でも上質のカカオを練り込んだ特注の麺に、中国四川省から仕入れた最高級の花椒を使用。スープも黒胡麻ベースにチョコレートと唐辛子とたっぷりと用い――とか何とか書かれている。
「…………」
「奢れっつったのはアンタだよね?」
だから文句言わずに食えよ?微笑みの圧をかける紅紀の元には異常に真っ赤な担々麺。こっちは激辛らしい。
「食って感想聞かせないと、もう金輪際奢らない」
「や、今回金出してんのさっきの編集だろ――嗚呼、ったく、食うから睨むんじゃねぇ」
+ 激 し く 実 食 中 +
まぁ予想通りの味と言いますか。
カカオの香りと花椒の香りがお互い強すぎて殴り合い、砂糖の甘み感じる中で唐辛子の辛みが口の中で刺さる。
スープの黒い色はココアなのかゴマなのか。ナッツ系の風味にしか感じられず。
ベースに使っているらしい鶏白湯の旨味成分なんざ全部消し飛ばされる勢い。
「どう?」
「あー、クセが独特で……好みが非常に分かれる味じゃね?」
サイカにしては当たり障りの無い言葉で応えたと思われる。一応食レポだし。
食えなくはないのだ。食えると言うだけで。二回目があるかと言ったら答えに窮するだけで。
少なくとも目の前で食されている超激辛の方が、死ぬ程刺激する辛味のせいで食える者は限られるだろう。
そこに店主がやってきて、サイカの食べている様子にニコニコ顔。
「いやー、バレンタイン限定メニューを紅紀さんに相談してアイデア出して貰っタノ、やっと完成した訳だヨ」
「待て、これ思いついたのハニーの仕業か」
問い詰める様な夕焼け色の視線に真紅の瞳は目を逸らす。
「山椒チョコってあるらしいし、担々麺の花椒とチョコも上手く行けば混ざれるんじゃない? ……って」
僕は冗談のつもりだったんだ――と遠い目で答えた紅紀自身は、甘い物が苦手だと今まで逃げて来たらしい。
「……つーか、なんで饅頭の中身をチョコにするとか真っ当な方向で考えなかったんだよ」
「アイヤー!?」
口直しの肉饅頭を口に放り込み、紹興酒を煽りながらサイカが言い放った一言に店主は目から鱗とばかりに悶絶した。
――後日。
サイカと紅紀の共著による店の紹介には|挑戦菜譜《チャレンジメニュー》として貯古齢糖担々麺は掲載された。
一部の物好きが注文して話題にし、マニアックな方向で店は評判になっていったと言う。
「次は桜抹茶担々麺するヨ」
「やめといた方が良いと思うぜ……?」
その店――|麻雲天楼《マーウンテンロウ》は、いつも潰れそうで潰れない。
成功
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