鳴る神は神成るか
●天雲の八重雲隠り、鳴る神の音のみにやも聞きわたりなむ
そう詠まれる歌がある。
天を見上げると、幾重にも重なる雲がある。
己とあの人を隔てる俗世にもにているようであるし、また同時に独り歩きする己が噂ばかりが雷鳴のように届いていれば良いと思う。
逢うことはかなわない。
けれど、それでもよいと思うのだ。
きっと、そういうものだ。
逢わないほうがいいとさえ思える。
アヤカシエンパイアという世界の在り方を知るからこそ、そう思うのだ――。
●陰陽師探偵ライデン
音に聞くは、その名。
京にて雷鳴のごとく響く噂は様々であれど、その名は刹那にして万里を駆け抜けるものであるとする。
故に、陰陽師探偵ライデン。
音の響きばかりが独り歩きし、雷電の如しという噂も眉唾ものである。
しかして、かの者は女性に取り憑きし妖を疾く祓いける者なり。
「それで? その陰陽師探偵ライデンというのは如何なる者かを君は知るのだろうか」
甘い声が聞こえる。
なんとも言い難い言葉。
栗色の髪がさらりと流れ落ち、金色の瞳は女人の目を捉えて離さぬものであった。
八秦・頼典(平安探偵陰陽師ライデン・f42896)は、はっきりいって女癖の悪い好色家貴族である。
噂話をこよなく愛する京雀、京烏にとっては話題に事欠かぬ御方であることは言うまでもない。
彼に弄ばれたと嘆く女性など十や二十ではきかぬ。
散々に遊んでは、好き勝手に行った挙げ句に、ぽいと棄てるのである。
なんとも悪辣。なんとも退廃。
「いいえ、いいえ。そんな私は」
遥か未来というものがあるのだとすれば、それは所謂壁ドンなる所作であったが頼典は知る由もない。
というか、そのような仕草というのをすでに体得しているのは、彼がどんなに言い繕っても好色家であることを払拭出来ない確たる証拠の一つであろうことは言うまでもない。
生粋の女好きなのである。
どうしようもない。
こればっかりは咎められようとも改められるものでないのだ。
ああ、なんと嘆かわしきことであろうか。
これが尊き血筋の末路というのはあんまりである。
「そうか。だが、ボクはそなたのことを知りたいと思っているよ、美しき人」
「まあ……」
顔を赤くする女房たる女性。
彼女の様子に頼典は笑む。自然とこぼれた笑みに女性は殊更に頬を赤くしてしまう。
「何か困りごとはないかな。ボクにできることがあれば、なんでも。美しき人ならば、誰しもそうであろうが、ボクにとっては君だけなんだ」
「そう申されましても、主のことでございますから……あっ」
「止事無き御方にお仕えしているということは知っているよ。キミが敬愛して止まぬ御方の様子が最近すぐれないとか。さぞや心配だろう。心を痛めるキミの顔は人の心をかき乱すものだと知っておいたほうが良い」
なんとも口の回ることであろうか。
息をするように女性を喜ばせるような言葉を、聞くものが聞けば歯が浮きそうになるほどに紡ぐのだ。
「それは……」
「そんな顔をしないで欲しい。男心を迷わせるものだとキミは知っていて、そんな顔をするのかい?」
言い淀む女房たる女性に頼典は顔を近づける。
金色の瞳が見つめていた。
何もかも見透かすような瞳であれど、しかして、それは女性にとってはあまりにも蠱惑的な色に見えたのだ。
何もかも打ち明けたい。
己が抱える懊悩も、全て。己が罪ありというのならば、この憂いは罰であろう。甘美な罰。それを逆なでするかのような頼典の言葉につい頷いてしまうのだった――。
●探偵業
つまりは、素行調査というやつだ。
頼典は女房の女性から得た情報を元に、妖に取り憑かれているであろう未亡人の止事無き身分の方の身辺を探る。
女房の女性が言うには、夜な夜な抜け出し朝方には素知らぬ顔で寝所に戻っているというのだ。
「そしてもう一つの噂、か」
頼典はこの依頼を受けるにあたって、もう一つの依頼を宮中より拝命していた。
そう、京に出没する女傑の如き妖の討伐である。
見目麗しい女人が光る剣を携え、京の夜に次々と武に覚えある者の生命を尽く奪っていくのだという。
妖の名は知らぬ。
されど頼典には名よりもよほど気にあることがある。
「見目麗しい女の妖か。なんとも興味を唆るものである。それだけの美しき女人ならばあ……と」
式神が振動する。
これが振動するということは、妖に取り憑かれているかもしれぬという未亡人が動き出したということである。
夜な夜な屋敷を抜け出す未亡人。
そして、京にて武に覚えある者を殺めるという妖。
なるほど、点は繋がるのではなく、元より一点に過ぎなかったというわけだ。
「妻問婚でじっくりと、と思っていたがなんとも気の早い御婦人だこと」
本来ならば文を贈り、交流を経て簾越しに言葉をかわし、それでも幾度となく通い続けて心を解きほぐしていく。
その過程が頼典は何より楽しいのだが、どうやら今回はハズレのようだ。
どうにも己が狙っている妖というのは性急が過ぎる性分のようだ。
頼典は屋敷の屋根伝いに駆け出す。
張っていた未亡人の屋敷から人影が駆けていく。早い。なんとも足の早いことだ。
どう考えても女性の足ではない。
「やはり妖に取り憑かれているか」
「今宵は汝が我の乾きを癒やしてくれるのか?」
人影が振り返る。
そこに月光が照らすは、虎の毛皮を羽織る未亡人の女性。
そう、やはり、と頼典は凶方暗剣符を路地に貼り付ける。
向かう先は己。
「まずはあなたのような貴人が如何にして、と問い掛けようか。何故、このような真似を?」
頼典は微笑む。
花も恥じらうかのような甘い顔だった。
年頃の女性ならば、それだけで甘く蕩けるものであったが、虎の毛皮羽織る未亡人はたおやかに笑むばかりであった。
「我より強き者を見定めるため。加えて言うのならば、我が虎故。強き雄を求めるは必定であろう?」
「それであなたに沿うに値する者が現れるまで殺し続けるというわけか」
「然り」
「それは、なんとも」
難儀なことだ、と頼典がつぶやいた瞬間、彼の頬を切り裂くは光剣であった。
鋭い痛みの後に訪れるは焼けるような痛み。
なるほど、と滴る血潮を符貼り付けることによって止血しながら頼典は頷く。
眼の前の未亡人に取り憑いた妖は、光る剣を手にしている。
それは文字通り刀身が光そのものであった。
時代が進めば、プラズマブレイドと呼ばれる兵器であったが、それを頼典が知るすべはない。己が体躯には式神や陰陽の業にて防護が張り巡らされている。
それを容易く切り裂く、ということは即ち、あれが刃にて切り裂くのと同時に熱でもって焼き切っているのだと理解する。
なるほど、これではそこらの武人では太刀打ちできないはずだ。
「ほう、我の行いを知りながら逃げぬから阿呆かと思ったが、どうやらそうではないらしい。我を誅滅し名を挙げんとするか」
「いいや、ボクが興味あるのは、貴殿が取り憑いた止事無きご身分である姫君さ。君の武勇などには興味もなにもない」
頼典は笑む。
「釣れぬことを言う。だが、汝が張った陰陽の業。我を逃さぬとしたようだが、あてが外れたな。元より我に逃げる意志はない。汝を食いちぎり、ただ朝まで逢瀬を楽しむまでよ!」
「こんな物騒な逢瀬よりも、もっと楽しく語らうのがよいとは思わないかい?」
迫る光剣の斬撃を躱しながら頼典はあくまで笑む。
あの体を傷つけられない。
取り憑かれている未亡人の女性の体がだからだ。
とは言え、敵の技は見事なものだった。剣技冴えわたるというのはこのことであろう。振るわれる度に光剣の剣閃が視界を灼く。
白々しい光の残影が己のが視界を埋めていくのだ。
なんともやりづらい。
だが、それでも頼典は躱し続けていた。
「ほう、我の剣をこれほど凌いだ者は久方ぶりである。誰も彼も一合あれば切り捨てるには十分出会ったがゆえ」
「そりゃどうも」
「だが、逃げてばかりではどうしようもあるまい!」
振るわれる光剣は頼典の頭蓋を唐竹のごとく割らんと迫る。
その一撃は必殺。
されど、頼典は不敵に笑むばかりだった。
何を笑っている?
虎の毛皮纏う妖は訝しむ。いや、だがハッタリであろう。死地に際して笑むのは何も手立てがあるからばかりではない。
己が死を目前にして気が狂っても笑む人間はいる。
此奴もその類であろうと妖は思い直し、渾身の一撃を振り切る。
光の刃は地面を抉る。
濛々と立ち込める土煙。
月光が差し込めば、その土煙すら白ばむ雲の如く。
重なり合う雲の如き煙の奥にて煌めくは雷光の如き眼光。
それは三対の眼であった。
「なんとも大振りなことだ。貴殿の過ちはただ二つ。初太刀でボクを殺せなかったこと。即ち。二度目はない」
その言葉と共に雲の如き土煙の中から飛び出すは頼典と二頭の式神であった。
赤と青。
その式神の名は『阿』と『吽』。
炎纏う霊犬の如き式神が一気に走り抜け、虎の毛皮羽織る未亡人の腕を抑え込む。
「おっと、優しくな。取り憑かれているとは言え、その体は止事無き方のもの。そして、もう一つの過ちを教えておこうか」
「な、汝は何者だ……?」
ゆっくりと近づく頼典の手には妖祓う符があった。
「貴殿は過ちのもう一つは、ボクを前にして女人の体を好き勝手した、ということだ――」
●解決
夜な夜な京を騒がせた虎の毛皮羽織る妖はある時よりぱたりと現れなくなった。
そして、止事無き身分の未亡人が夜な夜な徘徊するという話もまた。
京雀、京烏たちは噂する。
これなる事件を解決したのは『陰陽師探偵ライデン』である、と。
何故、そんなことがわかるのかと問われれば彼らは応えるだろう。
「これだよ」
「かの方が現れる時、必ず現場に残されている符。これが証拠さ」
記号の如き三つ文字記された符。
その独特な形こそが、証明である。
『迦波羅』
それこそが存在証明――。
成功
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