夢の先にある恋の花を思えば
●夢
多くのものは夢を見るだろう。
夢とは人の心が見るものだ。魂が視る事象のことを指すのだ。
けれど、アヤカシエンパイアは泡沫のような平和の中にある頼り無き世界である。
眼の前に広がる光景が夢ではないと誰が言い切れるだろうか。
日本列島の外は、妖によって滅んでいる。
妖、蠢動し何が外で起こっているのかを知る術はない。
故に葦原・夢路(ゆめじにて・f42894)は、『平安』の世もまた夢のまた夢であると思う。
「わかっているのです」
己のそばに侍るは十二の花変じる『化神』である。
彼女が霊力と愛情を注ぐことによって開花した花たちだ。
花愛ずる姫君たる夢路は花に触れることなく、見つめる。
この美しさも泡沫の夢のようであるかもしれない、と。
されど、それは悲嘆に塗れたものではない。
夢だと自覚できているのならば、良き夢としよう。
例え、世界の外が全て絶望であるのだとしても、この『平安結界』の内は未だ平和が満ちている。
ならばこそ、歌を詠む。
詠みあげられた歌は、ゆっくりと『平安結界』を修復していく。
己が屋敷、寝殿造りたる霊的拠点にて夢路はただ只管に花にまつわる歌を詠みあげ続ける。
「わたくしのことを庶民たちはろくに働かぬ無精者と謗るかもしれませんね」
夢路は理解している。
己たちの歌会や祭事といったものは、人々にとっては遊び呆けているように見えるだろう、と。
それは避けられぬことだ。
誤解である、と言う事もできただろうが、それは彼らに『平安結界』の外側の驚異を知らしめることになる。
ならば、夢路は構わないと思うのだ。
「泡沫の平穏であったとしても、それを徒に引き裂く謂れはありますまい。そうでありましょう?」
「ええ、その通りでございます」
『化神』たちが頷く。
己の心を慰めるのは花と歌だ。
そして、もう一つ。
そう、逢瀬である。と言っても、夢路自身の逢瀬に、ではない。
彼女が目下気になっているのは同年代の貴族の息女たちの恋愛に、である。
「近頃、中央の御所にて御息女たちの視線を集める、さる御方がいらっしゃるという話を聞いたのですが、知りませんか?」
「亜麻色の髪をしている御仁だとか」
「星写す黒い瞳を持つのだとか」
「見目麗しきお人であるとか」
「才気溢れ、剣術、術策に優れるのだとか」
『化神』たちが次々に告げる言葉に夢路は、頷く。
どうやら、自分が伝え聞く所以上に多くの息女たちを虜にしている御仁がいるようだ。
自分がどうこう、とは思わない。
ただ、そのような浮ついたような話こそ夢路は好む。
なぜなら、それは彼女が思う『平安』の世の在り方だからだ。
他愛のない言葉に一喜一憂し、とりとめもない所作に胸を高鳴らせる。そういう恋の話は、夢路にとって最も心躍るものだった。
「そうですか。その方のお名前を知る者は?」
「名乗るに、『皐月』と」
「異なることでありますれば、しかし、そのようにと」
語る『化神』たちに夢路は、なるほどと思う。
少々気になるというのは正直なところだ。
かの『皐月』なる御仁がどのような男性であるのか。如何にして御所の息女たちを虜にしているのか。
才色兼備とは、多くにおいては女性に用いられる言葉であろう。
しかし、今の『化神』たちの言葉を聞くにどうにも、その言葉がしっくり来る。
逢ってみたい、と思う。
お勤めを果たしていれば、いつの日にか見えることもあるかも知れない。
その日が来ることを夢路は思い描き、己が夢を見る。
それはいつの日にか咲くであろう恋の花。
その色も、香りも、形も未だ知らず。されど、思うはいつだって花。
夢路は、花愛ずる姫君なのだから――。
成功
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