Active Rest
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「おっ、本当に来たのか」
「本当に来たのかってなんだよ」
「あはは」
早朝。
待ち合わせ場所に現れた佐々・冬雪を見て、十時・龍臣は少しだけ意外そうな顔をしていた。
「んー、なんとなく佐々って朝弱そうっていうか」
「否定はしないけど」
朝の空気は思ったよりも寒くて、冬雪は体を震わせる。
「もう少し着て来ればよかったかな」
「寒いぐらいが丁度いいぞ、走ってればすぐにあったまるから」
いわれてみれば龍臣は冬雪よりも薄着だ。
Tシャツ越しに筋肉の隆起が見えていて、そんなスポーツマンと自分が一緒に走るだなんて改めて変な組み合わせだなと冬雪は思うのだった。
「じゃ、軽く準備運動して走るか」
ストレッチを龍臣の見よう見まねでこなしたら、いよいよスタートだ。
軽快に一歩を踏み出した龍臣に冬雪も続く。最初は龍臣についていけていたが、数分も走っているとすぐに遅れがちになった。元々運動が得意ではない上、相手が龍臣なのだから無理もない。
「あ、ついいつもの感じで走っちまった」
佐々は慣れてないのに悪い、とペースを落とそうとする龍臣に、
「いや、大丈夫!」
荒い息の合間に冬雪は呻くように云った。
「でも」
「大丈夫って! ホントに無理って時は、こっちから云うから!」
「……わかった」
そのままのペースを維持する背中を必死で追いかけながら、冬雪は内心「しまった」と青ざめていた。
(「また変な意地張っちまった! 俺のアホ!」)
そうやって何度自分の首を絞めて来たか。それが嫌で変わりたいと決心したんじゃなかったのか。
(「うう、こうなったら……平気なフリをフリじゃなくしてやる」)
性根がすぐには変えられないなら、むしろとことんやってしまえ。
苦手分野に自分から足を踏み入れた時と同じヤケクソな気持ちで、冬雪は精一杯走り続けた。
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龍臣がいつもこなしているというメニューを終えた頃には、冬雪は公園のベンチで荒い息を吐きながらうずくまることしか出来なくなっていた。
薄着ぐらいが丁度いいと云っていた龍臣の言葉は本当で、あんなに寒かったのにじっとりと汗をかいている。一応着替えやタオルを持ってきていて正解だったなと思った。
ぴとっと額に冷たいものがあてられる。ひゃっと小さく叫んで顔を上げると、スポーツドリンクのペットボトルが見えた。その先にはにっと笑う龍臣も。
「……どうも」
「水分補給は大事だぞ」
自販機で買ってくれたばかりのドリンクを飲み下すと、水分が通っていったところが冷えていくのがわかる。走りすぎて痛む胸がまたきゅうっと軋むようだった。だがその傷みが収縮すると、今度は火照った身体に心地よさが訪れる。
「次は水筒持ってこい」
「そうする」
答えてから、しれっと「次」の約束をしてしまったな、と思った。
正直これから学校行くのだるいなというくらいには疲れていたが、やっぱり平気なふりをしてしまう。
「それにしても佐々、思ったよりも根性あるな」
見直したよ、なんて爽やかスマイルでいわれてしまったら正直悪い気はしない。
「それで、次はどうする? 明日も来るか?」
そうだった、こいつは毎朝走ってるんだった。
「うーん……いや、ちょっと間を置こうかな」
明日はほぼ間違いなく筋肉痛で死んでいると思われる。もしかしたら明後日まで長引くかも知れない。そうしたら次の日をきちんと身体を休める日にして、その次の日に――。
「四……いや、三日後にする」
あれ、なんかまた変な意地を張ってしまったぞと冬雪は内心後悔した。
「三日後だな、わかった。じゃあ同じ時間、同じ場所で」
やっぱやめ、などとは口が裂けても云いだせない自分が憎かった。
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そんなこんなをきっかけに、朝のジョギングは二人の習慣となった。
といっても龍臣は毎日走っていて、冬雪は走ったり走らなかったりだったが、何だかんだ大きく日数を開ける事もなく続けることが出来た。
二年生になってクラスが別々になると、二人は学校ではあまり話さなくなった。わざわざクラスをまたいでまで交流しに行くほどの仲ではなかったからだが、それでもジョギングの習慣はずっと続いていた。
初日はすぐに立ち上がる事も出来なくなったほどに疲労困憊だった冬雪も、二年生の夏を迎える頃にはだいぶ追いつけるようになった。体育の長距離走が一年の時とは比べ物にならないほどに楽で驚いたものだ。
といっても少し自信がついたのはそこだけで、ネガティブな性格は相変わらずだったけれど。
普段あまり話さないクラス外の友人と走るのを冬雪は結構楽しみにしていたし、龍臣も「俺実は割とこの時間好きなんだよな、自主トレって基本孤独だし」なんて笑ってくれたものだ。
そして、二年の年度末。
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「この時期になると憂鬱なんだよなあ」
走りながらつい冬雪はそんなぼやきを漏らしていた。
この頃ではそこそこスピードを出しても喋りながら走るのが苦ではなくなっていた。冷たい空気をいっぱい吸い込んで、白い息を吐く。
気が付けば一年前、どんどん崩れて行きそうな心をどうにかしたくて彷徨っていた時と、偶然にも同じ道を辿っていた。
「あー、そういやあん時元気なさそうだったもんな」
隣で走る龍臣の眼鏡が曇って、また戻ってを繰り返している。あくまで彼からは何があったのか聞いてはこなくて、それがありがったけれど。
一年の月日は学生にとっては長いものだ。あの時は世界が終わるかのように感じられた痛みも、今はどこか遠いものとして感じられる。
「……実はさぁ」
話してもいいか、と冬雪はぽつりぽつり零した。
「あの時、俺振られたんだよ。一ノ瀬……一ノ瀬・帝に」
「……」
龍臣は無言だった。冬雪は続ける。
「ショックでさ、どーしていいか分からない時に委員長に声掛けられたんだ。実はあれ、結構気が楽になった」
出来るだけ重苦しくならないように、気楽な口調で。それからこうも付け加えた。
「今はすっかり吹っ切れてるし慰めとか要らないからな、誰かさんのおかげで」
「……そっか」
「驚かないのかよ」
「いやー、大方そんなとこかなと」
けろりと云われてしまい、冬雪の方が目を剥く羽目になった。
「……委員長はエスパーなのか? それとも俺が分かりやすいだけか?」
「はは、実はこの眼鏡に秘密があって」
はぐらかしつつ龍臣は続けた。
「言いづらい事を話してくれたお返しに、俺からもトップシークレットな話を聞かせてやろう」
「?」
「誰にも言うなよー?」
「勿体ぶってないで早く教えろよ」
誰にも言うなよといいながら、走っているせいで本人の声が割と大きい。思わず周りに見知った顔がいないかと冬雪はきょろきょろしてしまったが、どうやら大丈夫なようだ。
「その一ノ瀬なんだが……飛鳥と付き合い始めたらしいぞ」
「……は!?!」
その名前は冬雪たちの学年には一人しかいない。というよりも、「一ノ瀬と面識のある飛鳥」といったら絶対あいつだと冬雪はすぐにわかった。
「飛鳥、って知花!?」
「そうそう」
「いつから!?」
「んー、何か月か前あたりから?」
その話しぶりだと、冬雪が振られた時に付き合っていたわけではなさそうだ。といっても、付き合っていないだけでその頃からどちらかが、あるいは両方が想いを向けていた可能性もあるが。
「ハハハ……知花がライバルとか、そりゃあ俺には脈が無くて当たり前だったな」
強がりではなかった。
知花はいるだけで周辺が明るくなるようなムードメーカーで、クラスの人気者だ。一ノ瀬もそうだが、恋人がいないというほうが不思議なくらいだと冬雪は感じている。
クラスが別れたら交流が減った冬雪と龍臣とは違い、あの二人は別々になってもよく話しているところを見掛けた。元々恋愛に近かったのか、友情が愛情に変化したのかは判らないが、何にせよお似合いだと思った。心から。
知花なら一ノ瀬の不器用な優しさを全部わかっていそうだと、かつて恋焦がれた人が幸せになれそうな恋を見つけたのはとても喜ばしい事だと感じた。
「あー……もし聞きたくない話だったなら悪い」
ばつが悪そうに龍臣は云ったが、冬雪は首を横に振った。
「いや、びっくりはしたけど、辛いとか悔しいとかは思ってないから大丈夫。むしろ、それを聞いて自分がちゃんと立ち直れていることが分かったし」
「そっか」
肩を竦め、龍臣は前を向く。
「……そういう委員長はどうなんだよ、恋愛とか」
自分の事ばかり掘り下げているような気がして、ついそんなことを訊いてみた。
「俺? 俺は考えた事ないなぁ、いい相手に出逢えたら別だけど」
「ふーん」
嘘を云っているようでもなさそうだった。こいつこそ頼れるリーダーシップという感じで、こっそり想いを寄せられていても不思議ではなさそうなのだが。
「まあ今は筋肉が恋人って事で」
「云うと思った」
「ははは」
委員長が云うと暑苦しくないというか、なんかさっぱりしてるんだよなと冬雪は思った。
「じゃ、ラストスパートといきますか」
「だな」
せーの、と声を合わせ、二人は真っ直ぐに駆けて行った。
成功
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