白白明け遠からず
●禍福は
交互にやってくるのだと言う。
縄の編み目のように。交互に。幸せと不幸せがある。
己は知っている。
それがどういうことなのかを。
眼の前には『平安結界』の裂け目。
まるで蚊帳を引き裂いたかのように大量の妖がうごめいている。
その蠢動を見やり神城・星羅(黎明の希望・f42858)は己の務めを思い出した。
いつだってそうだ。
自分が大切に思うものは、いつだってこの向こう側にある者達によって奪われる。
「私頑張ります!!」
心を奮い立たせる。
己の心の奥底にあるのは喪ったことへの悲しみだけではない。
悲しみの裏に必ず幸せな記憶がある。
それが例え、悲しみをさらに強し、際立たせるものであったとしても。
なかったことになんてできないのだ。
忘れることが人の心を癒やすのだという者もいる。
束帯が揺れる。
手にした声楽杖が僅かに振動している。今か、今か、と待ちわびるような震動を感じて星羅は固く結んでいた唇を拓く。
喉を震わせる。
『平安結界』の向こう側に蠢動する妖たちは幼き身である己の姿を捉えて、嗤っていた。
何ができる、と。
その幼き身で己たちの前に立つことの愚かさを嗤うのだ。
心が揺れる。
これまで積み上げてきた鍛錬や修練といった経験の全てが揺れている。
わかっている。
これは己の役目だ。
己がやらなければならない。
思う。
きっと、何度でも己はこの日のような震えを、恐怖を、失うことへの不安を覚えるだろう。
いつだってそうだ。
そういうものだなんて笑って言えやしない。
けれど、それでも思う。
この『平安結界』にて生きる人々の顔を。
貧しくとも、それでも笑う庶民たちの顔を。
己を笑顔で迎えてくれた新たな家族たちの顔を。
何度も何度も何度も思い出す。
禍福は糾える縄の如し。
そう言われた。そうだとも思う。
「大切な人達の為に!!」
未熟であると言われた。
己が力は確かに貴族として備わったものである。
雅な所作。立ち振舞い。そうしたものの全ては失う前より己の中に染み付いていた。
失えど、失わなかったものである。
自分が貴族としての矜持を、誇りを失わなかったのは、家族の薫陶があればこそである。
何も失っていない。
星羅は小さく頷く。
恐れに戦慄いていた唇はもう震えていない。
代わりに震えるは喉。
祝詞と呪言が糾える縄目のように繰り返される。
思業式神が陣を描くようにして『平安結界』の切れ目へと配置される。
「祓う。祓ってみせます。そうでなくては」
己のこれまでが否定される。
家族を奪ったのが妖なのならば、新たな家族を得る切っ掛けとなったのもまた妖である。
響く音は、己の喉から絞り出されるような声だった。
悲しみは超えていく。
喜びは迎えにいく。
苦しみは癒やしていく。
楽しさは、今此処に在る。
「祝いと喜びの声がいつ久しく続きますように」
星羅の声は『平安結界』のほころびを縫い留めるようにして響きわたり、式神の放つ波動に増幅されていう。
縫い目の向こう側で妖たちが嗤う。
無駄だ、と。
いつでも、いくらでも、いつまでもお前を、と嗤う。
しかし、その嗤い声にすら星羅は瞳背けることなくまっすぐに見据えるのだ。
「どれだけ私を嗤うのだとしても、今日という日を生くる人々を嗤うことは許しません」
また奪うなのならば、と彼女は清涼たる祝詞と共に足を踏み出す。
舞う仕草は己が内より響き渡る音を世界に伝えるのだ。
役目を果たせ、と言われたわけではない。
己がせねばならないと思ったわけでもない。
ただ、この平穏無事たる世界がいつまでも続けば良いと願ったのだ――。
成功
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