君子、徳は孤ならず必ず隣あり
●追慕は追従を生む
道義というものがあるのだとして、其処には必ず理解者と助力者が集まるものである。
自然とそうなっている。
そういう意味では道義というものは徳を山積した道のりの果てに得られるものであるのだろう。
つまるところ、源・絹子(狂斎女王・f42825)は思うのだ。
己が重責はすでにない。
あるのは誓いと責務のみである。
「とは言え、じゃ」
「は――」
短く眼の前にいる平安貴族の男は、己を前にして巧言令色たることを覚えぬ理解者の一人であろう。
彼は絹子の隠れたる山中の屋敷に通う者。
庶民たちからすれば所謂『通婚』しているのだと思われていることだろう。とは言え、平安貴族が度々山中に一人で通うというのは奇異なるものであった。
この平安の世。
住居を共にしない結婚形態は普通のことだ。
別段取り立てて珍しくもない。
というか、体裁として『そういう立場』にある、ということを絹子の前にて佇む男はどう思っているのだろう。
「被害の方は如何に。あれなる妖は童に変じておった。あのように自然に庶民の間に紛れこうことができるものかのぅ?」
「そのような力を持つ妖の存在は我等、只人の理外でありましょう。此度はご助力により被害の拡大を見ることなく鎮めることができました」
男の言葉に絹子は頷く。
そう、これは逢瀬とは呼べぬし、ましてや『通婚』でもない。
ただの密談である。
いや、密談というのもおかしいか。
ただの報告ではないか。
絹子はなんとも言い難い気持ちになる。
確かに妖の被害が収まったのは喜ばしいことだ。胸が軽くなるような気持ちにも成る。とは言え、それも一時的なものであろう。
『平安結界』はほころびを見せ、そのほころびを裂け目として妖は押し入ってくる。
この世界の外側のことは一切わかっていない。
己達ができるのは対処療法に過ぎないのだ。
「一時的なことであろうとは思うのだがな……まあ、よかろう。何れ妾がまた赴き、妖を退ければ良いだけのこと。幸いにして妾は妖をひきつける。さぞや美味そうに見えているのだろうよ」
「御身のことを思えば、それも避けたいと思います」
「固いことを言うな。妾は妾のできることを。妾の血は妖にとっては劇毒ぞ。これを利用せぬ道理などあろうか」
「……その責務、その矜持、非才たる身にありますれば言葉尽くしても足りますまい」
「非才と言うか。だが、あなたも往くのじゃろう?」
「それが我が責務でありますれば」
そうか、と絹子は頷く。
またぞろ彼は妖の情報を探りに戦いに赴くのだろう。
言わずともわかっている。
「暫くは暇を頂くことになりましょう」
「わかっておる」
「どうかご自重なさいませ。御身になにかあれば」
それは己の身可愛さによる苦言でもなければ、忠言を装った言葉でもないことを絹子は知る。
そういうやつなのだ。
まったくもって童の頃から可愛げのない男である。
「それでは、これにて」
「ああ、待て。待つのじゃ」
絹子は立ち上がり、去ろうとする男を呼び止める。
彼は何も言わずに腰をおろした。
「|戦場《いくさば》に 赴く君の 強さ知る 見送る我の 思いぞそえて」
歌であった。
人間関係を支える、いわば人々の心の通達をはかるための交流の具であるが、しかして絹子は己の顔を覆っていた檜扇を閉じて男へと寄越すのだ。
その閉じた扇には、今詠んだ歌が記されている。
男は、それを受け取る。
何か返歌を、と口を開きかけるが絹子は遮る。
「妾が一生懸命考えたのじゃ。お守り代わりに持っていくが良いぞ」
その言葉に男は苦笑いするしかなかった。
彼は思ったのだ。
絹子は思うだけの女性ではないと。
やんごとなき身分であるが、しかし、それでいて尋常ならざる行動力を持つ者でもある。もしも、仮にだ。己が往く先にて窮地に陥ったのならば、彼女はきっと白鶴にて駆けつけるであろう。
己が童の頃から変わらぬ。
見目のことをどうこういうつもりもなければ、断じる材料にもなり得ぬことは承知している。
己が目に映る永遠の如き姿を持つ絹子は、あの日からいつも変わらぬ御姿。
故に、変わっていくのは己ばかりだ。
「ありがたく頂戴いたします」
「佳い」
絹子が送る歌の意味を知るからこそ、その忍ばせた言の葉にこそ男は己が身を案じる彼女の心にこそ答えねばならぬと思うのだ。
どれだけ非才であろうと。
どれだけ身分が違うのであろうと。
己が生命は救われたのだ。ならば、この生命は御身のために。
言葉少なく。
なにか告げれば全てが嘘になるようにさえ思えてならない。だからこそ、絹子はそれ以上を口にしなかった。
妖を払うは貴族の責務。
それは密やかに。誇るでもなく、知らしめることなく妖を祓い続ける。
己が知る以上に絹子はこれを為してきたのだ。
その一助となるのならば、と男は変わらぬ一礼でもって辞するのだった――。
成功
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