●群して党せず
この世は泡沫。
この世は仮初。
そう嘯くは妖。
されど、それが如何にしたことかと源・絹子(狂斎女王・f42825)は今日も気ままに生きる。
一度歩けば花咲くように周囲の空気が輝くし、足音は雅楽のような荘厳な響きへと変わる。揺れる着物の袖一つとっても所作は洗練されていることだろう。
その所作に見合うだけの気風、気格というものが彼女にはあった。
齢のころは十五、十六といった所であろうか。
「いやあ、なんともまあ立派な立ち振舞であるなあ」
庶民たちは自然と彼女にへりくだる。
しかし、彼女はそれをどうにも面映ゆく感じる。
だってそうだ。
「妾はただの人じゃて」
そう畏まる必要はないのだと恭しく頭を下げる庶民たちに告げる。
せっかくの散歩日和だというのに、そう場の空気が固くなるのを憂いたのだ。しかし、庶民たちは思った。
一人称が『妾』の人が只人であるわけがないのである。
流石にわかる。
どう考えてもやんごとなき身分の者である。
なんだ? お忍びなのか?
それとも何か探っておられるのだろうか? 庶民の生活ぶりなどやんごとなき身分の方には関係ないと思うのだが。
そんなことを庶民たちは考えたが、どう考えても気格が異なる人物を前にして、そんな考えを口に出すことも憚れたのだ。
「まったくもう。本当にあなた達はかちこちじゃのう。普段からそのように石のような振る舞いをしているのかのぅ? そうではないじゃろう?」
「それは、そうでありますが」
「そのぉ……」
言いたいことはわからんでもない。
でもまあ、しかし。
これは好機なのではないか。庶民の中に紛れた妖は思う。
確かに己が身分をあれなる貴人は隠している。護衛も用意していないようだ。ならば、これはやはり好機なのだ。
いや、というか。
もう我慢ができない。
「ねーちゃんは、どうしてこんな所に来てんの?」
一人の童が近寄ってくる。
あ、馬鹿! と庶民たちは青ざめた。
どう見ても貴人である絹子に気安く声を掛けるなどしてはならぬことであった。確かに童にも絹子がやんごとなき身分の人間である、という格の違いはわかるはずだ。
けれど、幼子ならではの好奇心がそれを許さなかったのだろう。
だからこそ、童は無警戒にも絹子の着物の袖を引っ張ったのだ。
絹子は身をかがめて童へと視線を合わせる。
「妾か? そうさな。天地鳴動なく、この世が、この平安が恙無く続いていることを確認するためよ」
「へぇ~……そりゃあ」
御大層なことだ。
なんとも貴人の言いそうな平和ボケした考えだ。
大方、貴人の重責とやらに飽き飽きして、こうやって護衛すら連れずに庶民の生活ぶりを物見遊山のつもりでやってきたというところだろう。
ならば、ここまで来たこの女が悪い。
「御馳走ってわけだ!」
童の口が避けるようにして大きく広がり、絹子の頭へと異形の顎をもたげる。
一瞬だった。
庶民たちの悲鳴が聞こえる間もなかった。
だが、その顎が閉じることはなかった。
「チッ……! ンだよ、ちゃんと護衛がいるんじゃあねぇか!」
童であったモノが舌打ちする。
巨大な異形の顎が弾かれ、絹子から飛び退る。
「使役鬼ってやつか。それに……」
「わ、妾を襲うなど、い、如何なることか!」
まさか己が襲われるとは思ってもいなかったのだろう。貴人たる絹子の怯えた顔が、余計に己の心をかきたてる。
なんて素敵な表情をするのだろう。
怯懦する青ざめた顔のなんとも美味そうなことだろうか。
涎が出る。
ぼたり、と滴る音が響いた瞬間、踏み込んだ異形の童と使役鬼が打ち合う。
「護衛にしたって大したことはないな!」
庶民たちが散り散りになって逃げ惑う。
蜘蛛の子を散らすとは、このことだ。なんとも薄情なことだろうか。貴人だ、やんごとなき人だと言いながらなんだかんだ言って所詮は同じ人だとうそぶいて己が生命を優先するのだ。
「くっだらねぇな! 口ではんだかんだ言いながら、結局己が生命がかわいいもんだ!」
使役鬼を蹴飛ばし、童であった異形は絹子へと襲いかかる。
巨大な顎が彼女を抉るようにしてひと飲みにしようとする。恐怖に濡れた顔を見せて欲しい。そういう顔をしたやつが最も美味いと己は知っている。
だから、怯えろ。恐怖しろ。命乞いをしてくれ。
その味付けが!
「そうであろうな。だが、人の命は一つよ。たった一つしかないがゆえに今を懸命に生きるのじゃ」
雰囲気が変わった。
気格は元より備わるもの。
されど、その心根は数多の時を経て洗練されるべきものであろう。
絹子の瞳がユーベルコードに輝いている。
手にしているのは鍔のない短刀。
鈍い、飾り気のない……いや、その刀身は赤い。血の刀身が煌めく。
「これは妾の誓いであり、力ある者の責務よ」
振るう一閃が己を寸断した。
そう、これは罠だったのだ。だが、もう遅い。気がついた時には――。
成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴