Я тебя люблю
●贈る相手のことを知るのはある種の必然めいたもので
つまるところ、思春期の坩堝。
学園というのは、そういう場所であった。
どんなに死と隣り合わせの青春を送っているのだとしても、その精神性が如何に同じ十代から駆け離れた者であったとしても、それでも生きている以上心には春風が吹きすさぶものである。
この時期の話題はバレンタイン一色。
製菓業界の陰謀であると言われるイベント。
男子にとっては己が動物的な本能を刺激されるイベント。
女子はお祭りのようにざわめく心をのささくれを甘やかな香りでもって鎮めるイベント。
ザイーシャ・ヤコヴレフ(Кролик-убийца・f21663)にとっても、それは年に一度のイベントだった。
「ね~ザイーシャちゃんはバレンタインどうするの?」
クラスメイトの女子生徒が気安く彼女に問いかける。
そこに真剣味はあまりない。
有り体に言って身のある話題をしようという態度ではなかった。というより、話しかけてきた女子生徒はザイーシャの予定を見透かすように指で四角窓を作って覗き込んでいた。
まるで気分はルポライターなのだろう。
そうしたお遊びめいたやり取りが不快ではなかった。
というより、ザイーシャは自分が何か言葉にしなくたって、勝手に彼女は盛り上がってあれこれと想像の翼を広げることは簡単に予測できてしまっていたのだ。
だから、返事はなんとも艷やかなため息一つ。
「ふぅ」
「なんて意味深なため息なの?」
「そうかしら?」
「だってそうじゃん。もうチョコあげる相手は決まってますって顔してるもん」
その言葉にザイーシャは笑む。
なんて他愛のない会話だろうかと思ったのだ。
益体もない、と斬って捨てるのは簡単なことだ。けれど、ザイーシャは付き合うことに決めた。
気まぐれだったのかもしれない。
「まだ用意はしていないから」
「え~? まだなの? 明日だよ、明日! バレンタイン・デー!」
なんて悠長な! とクラスメイトは憤慨している。
なんで其処で彼女が怒るのかわからなかったが、どうせ本気じゃあない。
「あなたの予想が当たるか外れるか、一体どちらかしらね?」
「そんなこと言って。チョコレートのお呪い教えてあげようと思ったのに」
「おまじない?」
そう、と彼女は言う。
ザイーシャは少し興味が惹かれた。おまじない。どうしてだろう。なんとも良い響きだ。自分が通う銀誓館学園は能力者育成機関である。
世界各地の能力者の中には所謂、魔女をルーツに持つ者たちも多かった。
だからこそ、なのかもしれない。
チョコレートのおまじない。
信憑性がある。
「気になるでしょ」
「そうね。ならないと言ったら嘘になるわ」
「素直じゃないな~でも、ザイーシャちゃんには必要ないかもね。だってもう彼氏いるんだし!」
確かに、と思う。
おまじないに頼らなくてもいい関係性を築けているとザイーシャは思う。
彼のこと。
けれど、彼のことを思うとどうにも――。
●そうして作り上げたものは結晶のようにも宝石のようにも思えて
手間、というものは何処にどれだけ掛けるかにかかっているようにザイーシャは思えた。
つまり、なんてことはないのだ。
眼の前には市販のチョコレートを湯煎したボールがなんとも甘い香りを放っている。
別に、と思う。
真に受けたわけではない、と言い訳しているようでもあったが、それは野暮である。
「隠し味、とは良く言ったものだけれど」
隠れているから意味がある。
粉末にしたイモリの黒焼きに、怪しげな薬品、加えて魔女の軟膏にヒキガエルの粘液などなどエトセトラ。
どれもこれも主張甚だしいものばかりである。
とは言え、だ。
これだけのことをしておいて、最後に仕上げとしても最も重要なのが己が血である、というところがなんとも言い難い。
本当なのか、と疑うことはない。
再度申し上げておくが、此処は銀誓館学園である。銀の雨降る世界にあって超常の特異点とも言うべき場所である。
そんな場所に集う者たちが伝えるところのおまじないなのだ。
効力がないわけがない。
というか、別におまじないなんてしなくたっていいのではないかとさえザイーシャは思った。
己が愛を受け止める者は、真っ向から飾らぬ言葉で答えてくれる者だ。
知っている。
大いに承知している。
けれど、と思う。
そんな普段からなんともそっけない行動を取る彼がもしも、このチョコレートを食べて、おまじないの効力を受けたのならば。
「どんなふうに愛を囁いてくれるのかしら」
常に愛を囁くのは自分だ。
甘い言葉を吹き付けるように耳元に。濃密な時間を知らしめるように肌に触れるように。そうやっていつだって自分からだ。
相手から何かを、ということはない。
それでも、と想像してしまう。
甘いイマジネーションは、いつだって乙女の原動力である。
「ザイーシャ」
短くも低い声色で名を呼んでくれたら。
壁に追い詰めて、獲物に牙を突き立てるように首元に迫ってくれたら。
理性なんて消し飛んだように荒い吐息を己の肌に吹きつけてくれたら。
幾度も繰り返される、『ありえない』想像にザイーシャは溺れてしまう。
手にした魔法のナイフの切っ先が己の瞳を映していた。
赤い瞳。
その視界の端に映る『ウサギちゃん』が湯煎したチョコレートと『おまじない』の材料をかき混ぜている様すらもう彼女は認識していなかった。
一点を見つめる。
白い肌の一点。
穢れも傷もない白磁めいた肌。
これを今から傷つける。自らのために、己の欲望のために自傷するという行い。
どうして皆、最後に行き着くのは穢れたる血なのだろうか。
「私の想いはこんなにも純粋なのに。無垢なのに。この純粋無垢な願いを叶えるために必要なのはどうしようもなく穢れたものばかり」
人の欲望に塗れたもの。
願望を煮詰めたもの。
それが、この『おまじない』の正体だ。
こんな『おまじない』に侵された彼なんて彼じゃないと想いながらも、己が想像……いや妄想が叶うのだとしたら、それを止められるものなどいるだろうか。
我が身を穢してまで得たいと思う者は、最もその願望から程遠い場所にいる。
だからこそ『これ』を食べて欲しい。
そうと知らずに食べて欲しい。
何も知らぬ無垢なままで、己の穢れた欲望を、妄想の産物を臓腑に落として欲しいと思う。
「|Любовное проклятие《愛の呪い》」
呪われるのは彼ではない。
ザイーシャだ。
この妄想に取り憑かれてしまった。そう在って欲しいという願いもあれど、そうでないと願う二律背反。
ねじれるように心が痛みを齎す。
指先に走ったナイフの刃の痛みなんて些細なことだ。
この心に走る痛みこそが、己の求めたものである。
「張り裂けそうよ。どうしてあなたはこんなにも私の心の中で歪にねじ曲がっていくのかしら。そうじゃないってわかっていても、そうであってほしいと思ってしまう」
指先に膨れる玉のような鮮血。
この指を逆さにするだけでいい。
血の一滴が落ちるだけでいい。
たったそれだけで、己のねじれた妄想は一層ねじれてしまいながら叶えられるかもしれない。
ああ、きっと。
ザイーシャは気がついた。
これは愛の呪いだが、呪いを懸けられたのは自分だ。
「なんて人なのかしら」
紅き宝石が指先にて煌めいた。
甘く呪いの言葉を囁いた――。
成功
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