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偲ぶ瑞香

#エンドブレイカー! #ノベル #猟兵達のクリスマス2023

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#猟兵達のクリスマス2023


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ルシエラ・アクアリンド




●縁の糸
 永遠の森が白く染まる日。
 大星霊リヴァイアサンが宙空を回遊しはじめたなら、エルフヘイムの天空はましろの雪に彩られていく。泉はあたたかな蒸気を立て、小川には甘い蜜が流れ、おなかを空かせた子どもや動物たちの喉を潤してくれる。森の中枢に聳え立つ氷の宮殿は溶けることなく、不思議と寒さを感じることもない。
「あれからもう、何年経ったかな」
「10年以上ですよ」
「そんなに?」
 ぱちぱちと暖炉の爆ぜる音がふたつの声に重なって暖められた空気の中に溶けていく。
 ひとのすがたはふたり。ちいさな隣人のすがたがひい、ふう、み。
 青き翅を持つ妖精の少女と、幼き桃華獣の竜。凛々しい風貌のファルコンスピリットが茶請けのフルーツケーキを仲良く身を寄せ合いながら頬張っている。その様子を微笑ましげに眺めるルシエラ・アクアリンド(蒼穹・f38959)と、温めた茶器に茶葉と湯を注ぐおんな。ふたりは古い友人同士だった。
「もう、ルシエラさんったら。|私ども《エルフ》のようなことを仰らないでください」
「確かにエルフの寿命は私と比べ物にならないけれど……知らない? 私達って、頑張れば何だって出来てしまうんだよ」
「……そう、でしたね。あなたたちは私たちを時の流れに置き去りにしない。今こうして話せていることが、何よりの証左でしょう」
 液体の落ちる柔い音と、靄のような湯気がふたりの間に満ちる。
 黄色い薔薇が茶液のあかいろを透かして、陽色のようだとルシエラはまろく顔を綻ばせた。 

 『御母上に手紙を』と。
 ルシエラの言葉を聞いて、父に良く似た陽色を揺らした長耳の娘は『どうして』と唇を震わせた。けれど母と、そして父と嘗ての旅路を共にした仲間なのだと知れば、娘は空翔けの便の出し方を丁寧に教えてくれた。母によく似たきんいろの頭を下げる姿は、やっぱり彼らの娘さんなのだと思った。
 何度かの手紙のやり取りの後に『会いに行ってもいいかな』と思い切って手紙に記したなら、おんなから齎された返事は思っていたよりも快いものだった。
 そうして今、ここにいる。
 黄金樹の森を越えて、ともしびの花をしるべにして。
 深く、深く。しじまの森の奥深くに、忘れ去られた集落がある。姿は白百合に似た、淡い光を湛えた花に満ちた、静かな場所だった。群生するそれらが風に揺れるたび、青さの混じったあまい香りが肺を満たしていく。
 家屋の殆どは朽ち、芽吹いた木々と一体化して母なる森へと還ろうとしている。そんな中でひとつだけ、蔦や枝葉に覆われていない家屋がぽつんと佇んでおり、そこには確かなひとの息吹があった。

「元気でなにより。もう怪我の具合はいいの?」
「はい、お陰様で。その節は本当にありがとうございました」
 堅苦しい謝礼も挨拶も何もかもが懐かしい。相変わらずだなぁと笑うルシエラに、長耳のおんなは困ったように視線を泳がせて、注いだ紅茶を静かに勧めた。
 |密告者《ウリディムマ》との熾烈な戦いの中で我を忘れ、残されたものを、繋ぐ未来を守る為に命を擲とうとしたおんなの姿が今も網膜の裏に焼き付いている。
 手紙では身を案じるだけに留めたけれど、本当はずっと心配だった。
 カップの熱さに一瞬口を噤んだルシエラの翠がじとりと細まって、おんなの肩がぎくりと跳ねる。
「心配した」
「……はい」
「今も誰かを護る姿勢は勿論好ましいけれど……自分も大切にしてほしい。まして今はもう一人じゃないのだから」
 本当はちょっぴり怒っている。
 彼女にとって、全てのエルフにとってウリディムマが怨敵であることに変わりはない。我を忘れてしまうことも、無茶をしてしまう気持ちもわかってあげたいつもりだったけれど。
「そんなこと口に出さなくとも十分承知だと思うけど。やっぱり大事なことは口に出して伝えたい。だって、」
 あの瞬間、あなたは一瞬だけ『ただのおんな』だった。
 救うものであろうとする矜持も、母の顔も。すべてをかなぐり捨てて逝こうとしているように見えたから。
「……本当に心配したんだもの」
「ルシエラさん……」
 おんなの声も、ルシエラの声も震えていた。
 痛みを堪えるようなその響きは、泣き出しそうなようにも聞こえて。ごめんと重ねそうになるけれど、今はそうしたくない。あなたの言葉が知りたかったから、すんと鼻を啜って深いあおいろの瞳を覗き込む。
「……そう、ですね。私は確かにあの瞬間……『あの日』に返ってしまったのだと思います。それと同時に、『もう置いて行かれたくない』とも」
 おんなの言う『あの日』とは、永遠の森が災厄に見舞われたあの瞬間のこと。ウリディムマがまだ自らを密告者と名乗り、エルフが三つの種に分かたれていた頃のこと。おんなには生涯を共にする夫と出会うよりもずっと前に、戒律に定められたダークエルフのパートナーがいた。
 弱かった。
 そして、自らが生まれた集落の外を知らなかった。
 無知だった。
 だから、|庇われた《置いて行かれた》。
 『愛している』と。
 『君は生きて』と。
 呪いのような言葉を抱いて、痛みと共に生きてきた。
 痕は残れど、痛みはいつか癒える。
 そうやって迷い、悩み。まろび躓きながらも真っ直ぐに生きた。
 その傷を容赦無く抉り出したのが未だ記憶に新しいウリディムマの再来だった。
 守らなければと思った。
 そうでなければ全てが壊れてしまうと思った。だから。
「無茶をしました。無謀とさえ言えることを。……残されるものの痛みを、あれほど知っていた筈なのに」
 震えるおんなの手をルシエラの両手が包む。
 その微かなぬくみに、一度強く瞼を閉じたおんなが細く息を吐き出した。
「でも……あなたが助けに来てくれました。あなたが、思い出させてくれた」
「……うん」
「ありがとうございます、ルシエラさん。あなたのお陰で私はまだ、救うもので……いえ。母で、居られるのだと思います」
「うん。……ううん。私だけの力じゃない。あなたが居て、あなたと共に生きる人達が居て……皆で掴み取ったんだ。あの日と同じようにね」
 震える唇がへたくそな笑みの形に彩られる。精一杯の笑顔を浮かべるおんなを促すように、蒼の娘はそっと微笑み頷いて見せた。
 彼女が生きることを諦めなかったことを。
 あの日、あの瞬間。彼女が過去では無く今を、未来を選び取る勇気を出せたことを、誇らしく感じながら。

「あの子があなたの娘さんだと知って。一番初めに覚えたのはその存在の嬉しさかな」
 互いに涙が溢れそうになってしまって、それを誤魔化すように赤く染まった目元を擦った。
 洋酒漬けのフルーツとナッツがぎっしり詰まったケーキにフォークを立てて、言葉の合間に頬張りながら、目前のおんなとよく似た面立ちの娘の姿を思い浮かべてルシエラは柔く目を細める。
 口に合うかどうかを少しだけ気にする様子も、仕草も瓜二つ。見まごうことがあろうものかとちいさく吹き出したなら、長耳のおんなは僅かに俯き視線を逸らした。
「嬉しさ、ですか?」
「うん。遠い昔の戦が終わった証のように思えて。私達の望んだ未来は、確かに齎されたのだと思えた」
 丁度一昨年の今頃だろうか。雪降る永遠の森でその姿を垣間見て、懐かしさを抱いたのは。
 あの時は確証も無く、視線が重なった訳でもなかった。だから声を掛けるに至れなかったけれど。
「ラウムとは会っているかな。あの子はすっかりお兄さんになって段々大人になってきているみたいだけど」
「あの子は……ええ、私が深傷を負った時にお見舞いに。姉君に会うのが恥ずかしいみたいで、ランスブルグを訪ねることは出来ていないようですが」
「あれ。なんだ、そうだったの。今度後押ししてみようかな……じゃなくて、そうか。元気な姿を見ていると懐かしいと共に『やっぱりラウムだ』と思ってしまうね」
 切っ掛けは彼がヒントをくれたからなのだと。告げればおんなは眩しそうに目を細め、俯けていた顔を恐る恐るに上げてルシエラと視線を重ねた。
「そうしてあげてください。あの子は今、遅い反抗期のようなものですから。……娘は反抗期が無かったのですが……男の子はやっぱり、そういうものなのかもしれません」
「違いない。よし、言質を取ったから娘さんも一緒に沢山構おう。そうしよう」
「……ふふ。拗ねてしまわないくらいに手加減してあげてくださいね」
 逸れがちだった視線。おんながぎこちなく惑うたび、『これ美味しいね』『お庭の畑はふたりで?』と言葉を変えながら挟めば、気楽に友人と話すことを長らく忘れていたらしい彼女は次第にルシエラの問いに言葉をひとつふたつと増やして返すようになってくる。『変わってないなぁ』なんて笑えば、おんなの生白い頬が仄かに赤く染まった。
「娘さんの一生懸命さや頑張りが微笑ましくって。誰かの為に自分を鼓舞する様子を見ていると、きっと……ゆっくりとでもあの子はこれからも大きく成長していくのだろうなと思わせてくれるんだ」
 あなたと今は離れて過ごしていても、立派にやっているんだよ。
 ルシエラが続ける言葉に、おんなは一度大きく目を瞠り僅かにその瞳を潤ませながら『よかった』と声を震わせる。また泣いてしまうんじゃないかと慌てて身を乗り出したなら、ふ、と微かに笑う声が聞こえたものだから。
 彼女もまた長い時を経て変わった所があるのだと、嬉しくなって――、
「あ」
 次にはふいとまた顔を背けてしまったものだから、今度こそルシエラは声を立てて笑った。
「よく笑うようになったね」
「……はい。笑い方を、教えてもらったので」

 ねえ、この紅茶を飲み終わっても。
 もう少しだけ、ここにいていいかな。
 いやだと駄々をこねて見せたら、今なら許してくれるような気がするから。
 柄じゃないけど、たまには我儘を言ってみようかな。
 そうしたら。あなたは今まで見たこともないような顔で困ってくれるかな?

 ――なんてね。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2024年02月07日


挿絵イラスト