捨てる神あれば拾う彼あり?
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初恋は実らないものだとよくいうけれど、それにしてもあまりにもあっけなかった。
うたた寝から目覚めて暫くぼうっとしていると、スマートフォンのメッセージアプリの通知音が鳴った。「何かあった?」同じ部活の同級生からだ。
サボってしまった引け目や心配してくれている相手への申し訳なさもゼロではなかったが、それよりも放っておいて欲しいと思うほど、今の佐々・冬雪には余裕がなかった。
のろのろと顔を起こしてアプリを起動する。ちょっとお腹が痛くて、連絡出来なくて悪い、なんて無難な返信を済ませた。相手も部活中なのですぐに既読はつかない。それにほっとしたような、そわそわしてしまうような、何とも云えない気分になった。
このまま家に籠っていたら、ますます落ち込んでしまいそうだ。
「……どっか出かけるか」
身支度を整えて家を出る。外の空気は、家に帰って来た頃よりも少し冷え込んできたようだった。
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何となく家を出たものの、行きたい場所もやりたい事も思いつかない。
散歩でもしたら気晴らしになるかとぶらついてみたり、本屋で野球雑誌の新刊を立ち読みして時間を過ごしてみたりしたが、やっぱり考えてしまうのは彼のことばかりだった。どうやら自分で思っていた以上に彼の事が好きだったんだと気づかされて、また心が沈む。空はどんより暗くて、まるで自分の心のようだと思った。
(「そろそろ帰んなきゃだけど、このテンションで家族と顔合わせづれぇな……どっかで飯食って行こっかな……」)
食欲なんて無かったけれど、食事というものは時間は潰れるし帰らない言い訳にもなる。そんな事を考えていると、不意に後ろから声をかけられた。
「おー! 佐々じゃんか」
クラスの何人かから呼ばれているあだ名だ。振り返ってみたところ、確かに一人の男子がこちらに手を振っていた。誰だったっけと一瞬考えて、それからようやく理解した。
「あぁ、委員長か。眼鏡してたから一瞬分かんなかった」
「あはは、学校だとコンタクトだからな俺」
眼鏡も悪くないだろ、なんて笑うのはクラスメイトの十時・龍臣だ。
(「うっ、陽キャ特有の屈託のなさ」)
冬雪がそう呼んだ通り、龍臣は学級委員長だ。というよりも、聞いたところによると小学生の頃からずっとそうらしい。
委員決めのタイミングになるたび、本人が強く志望しているわけでもないのにクラスの誰かが「そういうのは龍臣がいいんじゃない?」などと云いだし、周りもそうだそうだと賛成するのでなし崩しに決まっているタイプだ。毎回そのポジションにいるので、もはやあだ名が委員長である。
といってもその手の人物にありがちな真面目過ぎ、ガリ勉すぎることがなく、どちらかというと気さくで話しやすい、常に人の輪の中心にいるタイプだ。つまり、
(「一ノ瀬とはまたちょっと違った意味で非の打ちどころがないっていうか……」)
なぜか周りにやたらこういう人間が多いので、冬雪の自己肯定感はますますぐらぐらと倒壊していく。しかしそんな事を知らない委員長、もとい龍臣はやっぱり屈託がない。
「ところで暇? 実は俺、今日寂しい一人飯なんだけどさ、良かったら一緒に晩飯食いに行かね?」
「えっ」
正直、めちゃくちゃ急だなとは思った。龍臣と冬雪は特別仲がいいという訳ではなかったし。けれどそれもいいかと思い直した。
(「俺も一人飯しようとしてたし、誰かと話せば気も紛れるかもだし、ちょうど良いかも……」)
「……い、行く!」
「っし、決まりだな! 佐々どこ行きたいとかある?」
「うーん、特には」
正直に答えた。何が食べたいとか、何をしたいという気持ちが今の冬雪からは抜け落ちてしまっていた。
「委員長は希望あるか?」
「じゃあ……あそこ知ってるか? ひよこ食堂」
学校からも近い大衆食堂の名を龍臣は挙げた。
「判る、安くて美味いよな」
「じゃ、決まりだな」
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街の定食屋といった風情のそこは、安くて美味しくてついでに量が多いという事で、地元の高校生、特に運動部に所属してるような男子生徒に人気が高い店だった。
唐揚げ定食を注文する冬雪の横で、龍臣はレバニラ炒め定食を注文していた。
「レバー好きなの?」
「ああ。栄養があるからな」
「ふうん」
自分から話を振ってみたものの、うまい返事が出来ない。やっぱりちょっと気まずいかもと思った冬雪は、つい余計な事を云ってしまう。
「何で俺だったんだ?」
「ん?」
「委員長って友達多いし、俺じゃなくても、誘えば付き合ってくれる奴たくさんいるだろ」
云ってから、しまったと思った。これじゃ完全に嫌な奴だ。
(あああ俺のアホ。ここは素直に「誘ってくれてありがとう」でいいだろーが!)
けれど龍臣は特に気にした様子もなく、お冷のグラスを半分ほど飲み干してから云った。
「んー? いやぁ、誰かさんが「家帰りづれーなー、飯でも食いに行こうかなー」ってしょんぼり顔してたからついな」
(「ええ!?」)
エスパーかよ。目を丸くして龍臣を見ると、「お、当たってたか?」と白い歯を見せて笑った。こういうところが人を惹きつけているんだろうなと冬雪は感じる。
「元気ない時は美味いもん食って寝るのが一番だ。あっ、あと筋トレもいいぞ。筋肉は裏切らない」
「筋肉信者かよ」
「否定はしない」
即答だった。そういえばと冬雪は思い返す。龍臣は一見スラッとした細身の体型だが、体育などで薄着になると結構筋肉の隆起が目立つ体型をしていた。ギャップがすごいな、と印象に残っていたものだ。てっきり部活でならしているのかと思っていたが、この口ぶりだとどうやら自主的にかなり鍛えこんでいるようだ。
「それにしても、筋トレかぁ……」
物おじせず人の中心に立って、いつも屈託なく笑っている龍臣。メンタルの安定度では冬雪の知り合いの中で五本の指に入りそうな彼が云うなら確かに効果はあるのかもしれない。しかし。
「俺にはちょっとハードル高い……」
「そうか? 筋トレじゃなくても軽いジョギングなんかもいいな」
「ああ、そっちだったら多少は」
「俺、毎朝走ってるから、良かったらお前もどうだ?」
ラン友はいつでも大歓迎だ、なんて龍臣は笑うけれど。
「毎朝……!?」
低くなりつつあったハードルがいきなり見えないほどに高くなってしまった。
「いやいや、いきなり毎朝じゃなくてもいいって。運動は無理なく続けられるペースでやることが大事だからな」
「……後ろ向きに考えておく」
「後ろ向きかい」
からからと龍臣は笑っていた。内容はさておき気持ちのいい笑い方だと思った。
少し緊張がほぐれて来た頃、食堂のおばちゃんが定食を運んで来てくれた。食欲がないからご飯を少な目でと注文した筈なのにやっぱり多い。しかもおかわりは無料だからねなどと云い添えて去っていく。
「待ってました」
ぱきりと龍臣が割り箸を割る。
「……だからレバーだったんだな」
「そう。高タンパクなだけでなく不足しがちな鉄分も豊富だからな」
鉄分が不足すると疲れやすくなるんだぞとか、健全な筋肉は健全な肉体に宿るんだとか、しばらく続きそうな筋肉トークを適当に受け流しつつ、冬雪も箸を手にする。
あんなに食欲がなかったはずなのに、湯気と共にのぼってくる唐揚げの匂いにお腹がきゅるきゅると鳴った。あつあつの唐揚げを齧ってみる。暴力的な旨味が脳天を突き抜けていった。そういえば告白の緊張で昼食もまともに食べられていなかった。
へとへとの心と体に、夢中になって動力を注入していく。いい食べっぷりじゃん、と龍臣がまた笑っていた。
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夕食を終え、家に帰る。気が付けば少し気が晴れていた。家族にも「何かあったの」なんて聞かれる事もなかったから、表面上は普段と変わらず過ごせたらしいと冬雪は安堵した。
「……ジョギングかぁ」
ベッドに寝転がって今日の事を思い出していた。正直スポーツは見る専で、運動なんてだるいだけだと思っていたのだが。
「続けたら、委員長みたいに前向きな性格になれるかな……いやそこまでうまくいかなくても、走ってれば嫌な事とか忘れられるかもな」
勇気を出してメッセージを送ってみる。返信はすぐに来た。
その気になってくれて嬉しいという旨と、明日の待ち合わせ場所が書かれていた。
「早速明日からかよ。気ィ早過ぎだろ」
圧倒されつつも、くすくすと冬雪は笑っていた。
一方、その少し前。
「佐々の奴、大丈夫だったかな」
寝る前の日課であるストレッチをこなしつつ、龍臣は考えていた。
わざわざ訊くほどお節介ではなかったが、冬雪が落ち込んでいた原因の目星はついていた。おそらくクラスメイトの事だろう。
少し前から、冬雪はあるクラスメイトの事が気になっているようだった。よく目で追っていたし、話しかけようとして尻込みしているような場面も何度か見かけた。
友人として仲良くなりたがっていたのか、それとももっと特別な意味があったのかまでは判らなかったが、あの落ち込みようからして後者だったのだろう。だってそのクラスメイトは、他に想い人がいるようだったから。
学校という枠組みはある意味残酷だなと思う。失恋がどんなに辛くても、相手から離れる手段がない。クラスに行けばその人がいるし、進級してクラスが変わったって同じ学年。鉢合わせる機会はいくらでもある。
時が解決すると大人はいうけれど、学生の三年はあまりに長い。じゃあ、やっぱり他の事に熱中して気を紛らわすしかないと思うのだ。
「なーんて、ちょっとお節介だったかな……おっ」
ぴこん、とスマホが鳴る。冬雪からのメッセージだった。
【走ってみようかと思うんだけど、慣れてないから途中でリタイアするかも。それでもよければ】
「いいじゃんいいじゃん。善は急げってやつだ」
予防線たっぷりの書き方に、あいつらしいなあなんて笑みを零しながら。
帰り際にちらっと聞いていた冬雪の家から近い公園を待ち合わせ場所に指定して、返信を送ったのだった。
成功
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