●謹賀新年
年末年始が多忙を極める、というのは一般的な認識であろう。
けれど、猟兵にとって年始より始まるのは世界の命運をかけた戦いである。
猟兵とは世界に選ばれた戦士だ。
世界の危機に、その悲鳴に応える者である。故に、例えそれが年末年始でろうが冠婚葬祭なんであろうが、猟兵たちは戦う。
でも、こんなに忙しくなくてもいいのにな、と馬県・義透(死天山彷徨う四悪霊・f28057)たちの住まう屋敷に間借りする形で居候している幽霊『夏夢』は思った。
今まさに屋敷の主たちは戦っている。
アスリートアースという世界で勃発した『バトル・オブ・オリンピア』と呼ばれる戦いに馳せ参じているのだという。
オリンピア。
名前だけ聞けば、そんなに危険がなさそうな気がするが世界の危機であるというのだから、名前の響きだけで判断するのは尚早というものであろう。
とは言え、だ。
この屋敷に今、正月だというのに居るのは自分とお猫様――『玉福』だけである。
慌ただしく出ていった義透たちは、正月の飾り付けを最低限にしていた。
小さな鏡餅やしめ縄、門松。
そうした正月らしい飾りは本当に少ないものだった。
「でも、これだけで足りるのかな……」
『夏夢』が危惧しているのは鏡開きのことである。
そう1月11日。
お供えしていた鏡餅を割って食べる日である。
この日は家族の無病息災を願って鏡餅の餅を食べる習わしがある。
手にした包丁がゆらゆら揺れる。
「でも確か、お供物には物を向けるのは縁起が悪い、とかなんとか聞いたような……」
そう、確かにそういう説もある。
木槌で叩いて餅を割る、ということもあるようだ。
そもそも『割る』という言葉も縁起が悪いとさえ言われている。
故に鏡『開き』というのだという。
なんともしがらみの多いことだと『夏夢』は思った。
けれど、こうした文化の連綿としたつながりこそが今という文化を作っているのだから無下にも出来まい。
「あ、そうでした。そもそも足りるのかな」
『陰海月』という何でも食べるしたくさん食べる子がいるのだ。
どう考えてもこれだけでは足りない。
ああでも、と思う。
この屋敷の主人たちは皆今出払っている。
当分戻ってくる気配もない。
「にゃー」
そこにこの屋敷の先輩でもある猫の『玉福』がやってくる。
自分が台所でゴソゴソやっていたのを聞きつけたのだろう。何か食べるならば、吾輩にもよろ、という顔をしているようにさえ思えた。
「あ、食べますか? ……あ」
そうか、と『夏夢』は気がつく。
お餅。
それは確かに美味しい食べ物である。
だが、大変に粘りがある。粘りがある、ということはなかなか噛み切れないということである。そして、粘着力が在る、ということだ。
ということは?
そう、『玉福』も例外ではない。
食べて喉につまらせてしまったのならば、事である。冗談ではないし、戯言でもないし、小言でもない。
「あ、だめだめ、ダメですお猫様! これは大変凶悪な食べ物でございますから」
「にゃー」
「いえ、そんな顔をされてもダメです。本当に危険なんです。人畜無害そうな、つるんとしたお餅様ではありますが、嚥下の力落ちた御老体が犠牲になっているのです」
だから、と『夏夢』はなんとかして『玉福』を持ちから遠ざけようとする。
けれど、そんなこと気にしない『玉福』と餅を巡って熾烈なバトルを繰り返す。
食べさせて万が一が在っては、と思う『夏夢』と、なんで一人だけ美味そうなものを食べようとしてるんだという『玉福』の攻防。
それは鏡開きの日、今日と言う日に二人しか居ない屋敷にドッタンバッタンの大騒ぎを巻き起こすのであった――。
成功
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