軈てインディゴブルーに染まる
The heart is dyed a beautiful indigo blue.
――Like the sky where the swallow flies.
今朝方に単独洗いしたエプロンを、ベランダに干す。
インディゴブルーのデニム生地は、使い込むほど柔らかな風合いと色味になるとの事で、ヘビロテすると決めていた知花・飛鳥は、これから料理の供をしてくれる相棒を涼蔭で乾かす事にしたのだ。
――Prrrrrr……
「あ、ちょっと待ってな」
テーブルに置いていたスマホが鳴動したのは、この時。
皺にならぬようピンと生地を伸ばし、急ぎ足でリビングに戻った飛鳥は、液晶画面に表示される発信者の名を見るや和やかに應答した。
「いいんちょ、おはようさん! もしかして今、帰ってきた?」
「おはよう、飛鳥。ちょうど|走《ジョグ》ってきた処だ」
お疲れさんと勞う相手は、「いいんちょ」ことクラス委員長の十時・龍臣。
冬休みに入っても日課の早朝ジョギングを欠かさぬこの男は、クリスマス明けの倖せと輝きに滿ちた空気を肺一杯にして走ってきたらしく、回線から届く|佳聲《こえ》も晴やか。シャワーで簡単に汗を流してリラックスした今、聖夜に己と年齢を同じくした飛鳥に祝いの電話を掛けてきた訳だ。
「來年の冬はこんな風に好きな事が出來るか判然らないし、自由に動けるうちに走っておきたくて」
「せやなぁ、來年は俺ら高三やし……。……って、どんだけ確りしてんねん! 先生か!」
「お陰樣で筋肉には確り持久力がついてきた」
「どういたしましてや!」
そうツッコミは入れるものの、自ら課したタスクを欠かさぬ律儀さや、将來を見据えた行動などは心底尊敬する。
ほんまに同い年なんか!? と他愛ない会話をしながらソファに腰を落とした飛鳥は、吃々と笑聲を置いた龍臣が一息を置いた後、ナチュラルに切り出した科白に肝を冷やした。
「――それで。唐突だけど、クリスマスの結果報告は?」
「!! ほんま唐突やな! 報告て、俺の上司か」
「いや、こういうのはホットな裡に訊くのが良いと思って」
「温かいうちにお召し上がりくださいって……そんな優しさあったな……」
関西人故に多く言を返してしまうが、恥かしさに|逸《はぐ》らかしている自覺はある。
而して心の機微に聡い龍臣も気付いていようと、花唇をむずむずさせた飛鳥は、長い指を櫛代わりに前髪へ差し入れながら口を開いた。
「え、えーと、遊園地でめっちゃ遊んで……たのしかったです」
「――ほほぉ」
小学二年生の冬休み日記みたいな単調さに、飛鳥の含羞が窺える。
そこに悪戯心を煽られたか、龍臣は小気味よく語尾を持ち上げて詳細を求めた。
「からの?」
「うっ……お、お化け屋敷行ったり、ジェットコースター乗ったり……夜は觀覧車からイルミネーションを眺めたりして……」
「ほーお」
短いながら圧を感じる言に戸惑いつつ、クリスマスの記憶を辿る飛鳥。
花唇を擦り抜ける音色は縮こまっているが、畢竟、帝と行った遊園地は何もかもが樂しかった。
觀覧車では誕生日プレゼントを――冱えたインディゴブルーが美しいデニムエプロンを貰ったのだと、丁度ベランダに搖れる其を見た飛鳥は、ドギマギしながら報告を続ける。深い靑のキャンバスにプリントされた白い燕が、何知らぬ淸々しさで飛んでいる。畜生。
そんな窓外を見ながら花車ごとソファに沈めた飛鳥は、次第に佳聲を小さくして、
「誕プレもろて、おめでとうって言って貰って、お礼を言って……」
「かーらーの?」
噫、嗚呼、理解っている!
つまり「結果」を言わねばならないのだろうと頬を上気させた飛鳥は、片腕に麗顏を覆いつつ、小聲で囁いた。
「……ミカと、お付き合いすることになりました……」
「――はい、よく出來ました」
「はずっ! こんなん拷問や」
あの日、觀覧車内でエプロンを広げた時、ずっと胸に閊えていた事も打ち明けた。
いつか見た女性を、帝の彼女と思っていた誤解は解けて、そこから萌した想いを伝えて、彼に應えて貰って――。
あの瞬間に見た景色や科白、その聲色まで鮮明に思い出した飛鳥は、羞恥の餘りソファの深みに埋もれたくなるが、流石は委員長と言うべきか――龍臣はそれ以上を訊き出す野暮はしない。
飛鳥の言を待っていた彼は、ここで流れを一旦預り、
「いやぁ、おめでとうな! それじゃクラスの連中にも回して、皆で盛大に祝おうか?」
「いやいやいやそれはあかん! いいんちょ主導でお祝いとか、全員に喰いモンにされる!」
割と必死に斷わる聲には、くすっと含笑を添えて。
「あはは、冗談だって」
「ほんま、頼むで……」
クラスの連中がアオハルに餓えているとは、飛鳥と龍臣の……いや男子高生の|共通認識《コモンセンス》。
彼等なら帝のクラスも巻き込んで盛り上がるだろうと飛鳥が蒼褪めれば、龍臣も「違いない」と首肯をひとつ。
最初から見守る|心意《つもり》でいたが、弄られ属性の飛鳥を充分に愉しんだ処で一息を置いた。
「……まぁ、相手が一ノ瀬なら心配は無いけど」
「いいんちょはミカの事、信頼してるもんな」
「ああ。唯だ……なーんか可愛い一人娘が嫁に行くみたいな寂しさがあってな」
「親父か。誰が娘やねん」
「交際は認めたが、高校生としての節度を守って健全であるように」
「親父の演技うまいな!」
然う、こんな他愛ない会話をするくらいが良い。
これから飛鳥をドキドキさせたり困らせたり、甘く切ない恋の迷路に惑わすのは恋人の役目だと目元を緩めた彼は、ならば己の役目は……と端正の唇を引き結ぶと、三日月を描いて言った。
「何か困った事があったら、相談するように」
「、いいんちょ」
「ノロケでも何でも聽いてやるから」
「……聖人やん」
聖人。そんな大仰なものではあるまいが、支えるくらいはさせて欲しい――。
其が二人を見守ってきた己の役目だと肩を竦めた龍臣は、「今から筋トレをするから」と丁度よい都合をつけて通話を終えると、回線を切った先、スマホを置いた飛鳥の表情を想像して和やかに咲むのだった。
――而して、一方の飛鳥と云えば。
「ええ……いいんちょってエスパーちゃう? ……なんで『結婚』って言葉が出たとか分かるん……?」
すごく動搖していた。喫驚と狼狽で聊か混乱していた。
龍臣は冗談交じりに「嫁に出す父親の気分」と言っていたが、あの日、飛鳥は帝に「結婚しよう」と言われた。
少し性急だと言は改められたが、耳に残された科白は胸の中で温められて、思い返すだに倖せな気持ちで滿たしてくれる。
……くれるのだが。
「いやいやいや自分、“付き合う”ってしか云うてへんけど……っ!? バレるもん?」
何だか堪らなくなって、ソファに橫臥えていた細身をごろんっ。
然れば悶えるように轉がした彈みで、どすんっ。勢いよく床に落ちた。
「い、でっ」
主人を追うように滑り落ちる忠義なスマホにジト目を注いだ飛鳥は、そのままスラリと伸びた四肢を床に投げ出し、天井を|捺擦《なぞ》った視線をベランダへ――涼蔭に搖れるインディゴブルーを|瞶《み》る。
「…………」
帝がくれたデニム地のエプロンは、その奧に広がる蒼穹より綺麗な奇麗な靑色をして――。
吸い込まれるようだと薄く開いた佳唇に吐息を滑らせた飛鳥は、それからゆっくり立ちあがると、他の洗濯物も済ませて仕舞おうと脱衣所に向かうのだった。
成功
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