●傷
身体が柔らかくても、曲がらない向きだってある。無理に捩ってゴキリと鳴ればもう戻らない。
頭蓋を砕けど其処には宝物何か埋まってない。毛皮を剥がしたって其処に在るのは血と肉だけ。
色が不吉だと不自然だとそんなの口実だただ捻り抜きたいだけだ全部残らず。一枚一枚丁寧に。
己より弱いもので憂さを晴らせ。
抵抗せぬ様千切って砕いて後は遊ぶだけ。
楽しむだけ楽しんだら後は捨てれば良い埋めれば良い。
何処に?
そうだ、あの八重紅枝垂桜の根本何てどうだろう。
掠れて良く読めないけれど、木の幹にそれらしき言葉が刻まれて居る。丁度良い。
●問
「桜の精が行う転生についてどう思う?」
幻朧桜咲き誇るサクラミラージュのカフェーの一席。
お茶に誘われホイホイと付いて来た古代神の女へと、誘った桜の精が問い掛けた。
「……どうって」
「九十さん、生と死の循環を司る神様だろう?」
戸惑った様に細く閉じられるその『瞳』を笑い混じりに眺めながら雨倉・桜木(花残華・f35324)は言葉を重ねる。
カチャリ。九十が己の飲んでいた紅茶のカップをソーサーに置いた音。
「だからね、聞いてみたかったんだ」
その動作から相手が思案を始めたのだと読み取り、桜木は補足を続けた。
ややこしいからと、転生前後が人間であるとの仮定を敷き。その上で。
「魂が同一であれば転生前後の人間は同一存在だと思うかい?」
思えるかい?
神の眉根が僅かに寄せられたのが見て取れた。機嫌を損ねたかな? 地雷だったらごめんよ?
今日今時分を如何に愉しむかが全ての桜木とは言え、別に彼女を怒らせたい訳じゃない。そもそもこの問い自体別にそんなに重い目的じゃあないのだ。だから、そうだなあ。
「まあ、他人に聞く前にぼくの考えを伝えよう」
そうすればとっかかりが出来るだろう?
儚くも美しい桜の花弁色の髪をふわり靡かせ、桜の萼の様な瞳を煌めかせ親しげに微笑む。年頃の乙女であれば頬を赤らめるであろうその絵面に、けれど言動は兎も角実年齢は気が遠くなる程年寄りである九十は寧ろ警戒する様に首を竦める。
「ぼくはね、桜の精だけど転生はあまり好きじゃあないんだ」
サクラミラージュの世界に巣食う影朧、不安定なオブリビオンである彼らを癒し転生させる権能を持つ桜の精が、転生を厭う。
己に出来る事を否定的に見ている。
「寧ろ好まないからこそ悪魔召喚士をやっているといってもいい」
視線の先でニァと一鳴き。フサリと長毛の黒猫が、そこだけ短毛の尻尾をフルリと振って此方を見ている。
一角猫キュウダイ、悪魔召喚士としての桜木が契約している悪魔。
「好まない理由はね」
極短い呼び掛けを桜木は聞き逃さない。
言葉に寄らぬ『撫でて』の要求を正確に受け取り、繊細な手先を伸ばしてその毛並みを撫でてやりながら、桜の男は言葉を続ける。
「魂が同一であっても生きる過程が違えば、綴る記憶が違えば」
考え方も何もかも転生前の通りとはいかないだろう?
そう笑う男を見返し、九十はなるほどと頷いた。彼の言いたい事の要旨が掴めて来たと。
「|複製《クローン》人間の道理だね。環境や生い立ちが違えば如何に材料が同じでも……」
「同一存在とは言えない」
その理屈を『魂』にも特別扱いにせず適応すれば、それは転生に関して同じ事が言えるのだと。
ワフッと鳴き声がした。足元から見上げるのは黒い柴犬、正体は三つ目の悪魔犬キジュン。遊んで欲しいと訴える契約悪魔の背を、猫を構うのとは逆の手でごめんよ後でねとポンポンと叩いてやりながら召喚士は言葉を続ける。
「転生前の憎悪を、転生後の生で癒せだなんて」
その肩にバサリと羽音を立てて留まる白い影。神話の如き翼の白鴉ゴウカクがクァと鳴く。何を要求するでも無くただ契約主に寄り添うその様は、逆に何だか重い態度にも見えたけれど……でも、男は怯まない。ただ笑う。
「転生前の約束を、転生後の生で果たせだなんて」
気休めだと思わないかい?
そう言われて、古代神の女は少し悩む様にその顔を俯かせた。
「ぼくはね、転生前の憎悪や約束は転生前に果たすべきだと思うんだ」
その言葉のどの部分に反応したのだろう、集まった獣の悪魔達3匹が一斉に顔を上げる。
それは丸で、自分達の事が話題に出たと思ったかの様に。……いいや、事実そう感じたのだろう。
「ああ、だからね、悪魔召喚士をやっているんだよ」
だって、桜の精が契約を結び連れるこの悪魔達は……
主の手櫛にその毛並みを整えさせながらツンと鼻先を上げる及第点。未だ遊んで貰えないのが不満なのか鯨目で見上げる基準点。男の頬に触れるか触れないかの距離で首を震わせる合格点。
されど満点はどうやら今はこの場に居ない様で。
「それで九十さんはどう思う? 九十さん自身の考えと……神様としての考えを知りたいな」
だって、神様と知り合うなんて滅多にない機会だろう?
そう笑って。彼女がどう答えるか、興味深げに見やる男と倣う様に視線を向ける3匹。
「どう思う……と言われるとなあ」
少し困った様な声を漏らしながら、けれど女は顔を上げる。
「つまり。君は世界が滅んで良いと言うんだね」
それから突然おかしなことを言い出した。
●答
余りに脈絡が無くて無体な言い掛かりに、流石の桜木もキョトンと瞬きをした。
「滅んで良いんだよ。例えば刹那主義の世界は刹那で良い。今以外大事で無いなら世界五分前仮説で充分要を為すでしょ。そして今があれば良いなら五分後の未来は在る必要が無い。別に先は無くて構わないんだ」
とんでもない暴論を振り翳し、テーブルに肘を突きズイと顔を寄せて来る。その瞳は真円に、けれどその外周に淡い光の輪が見えた。
転生、輪廻、循環、それを経た上での連続性と継続は。
「|藻《ガコモ》を|魚《ジヨジヨ》が食み。嘴で仕留めた|鳥《バタラ》を|人《フト》が狩り。村を襲う|獣《ヨゾ》が斃れ|虫《トラボ》が集り。巣より|草《アモノ》茂り緑は|木《カポシ》育み。その股より|沼《ベシ》は湧く。それら営みの積み重ねの中に残る結果と遺される連なりを歴史と言い其れによって存在を証明される物を世界とする。転生、輪廻、循環とは魂の道行きにしてその体現だ」
輪は回る。それは世界の構成。世界の運行。
「だからその否定は世界の否定に他ならない」
けれどそれはもう存在しない世界の在り方。既に滅びた信仰世界の概念。
「君にそんな心算は無いよね? うん、知ってる。その通り之は酷い屁理屈の冤罪だ。でも。でもね? 本当に『そう成る』可能性は在るんだよ。その考えは万に一つ思想となり億に一つ結論に辿り着き那由他の果てに伝播すれば世界を壊す|死病《ウジヤメ》へと至り得る」
故に、|神様《維持機構》としての|考え《判定》を言うならば。
「|弾圧《否定》し。|絶滅《否定》せよ」
その瞳がキュルリと回る。
「だからね桜木。神なんて本当碌なもんじゃ無い」
関わらないのが一番だよと、九十はそう宣って茶を啜った。何時の間にやら元の位置に座っている。
これははぐらかされたかなと、桜木は様子を見るべく言葉を一旦留め置く。
極端な言葉を紡ぐ事で会話と心の距離を整えたのであれば、彼も無理に追及する気は無い。このまま普通にお茶をするので構わない。元より興味本位と見解を深めたいからと……後は強いて言うなら詩のネタになるかも位の動機しかないのだから。
逆に言えばその程度の理由で踏み込めるのが、彼の円転自在さであり強さでもあるのだろうけれど。
「……記憶と心が継続してるか否かが基準かな」
だが結局、九十の側が話を続けた。
空になったカップをソーサーに置き直し、少し物憂げに脇見をしながら。
「僕自身の考えではね。身体が違うのに記憶も無いならそれはもう別の人だ。多少覚えていても心に繋がってないならそれも同じ。だからその場合は君に同感だって事」
神としての考えを答え。その後に己としての答えを。
それは桜木の希望通りだけど、言った順番とは逆だ。それに何の意味も無いと思えるのは、余程鈍い者だけだろう。
「それは最早欠片や残滓に過ぎない。『その人』とは言えない」
そう言う神の顔は、先とは真逆に酷く弱々しい。
同じ旅団で多少過ごせば、重ねた年月の永さに似合わず彼女に初心な所が多いのは見て取れるだろう。それは丸で、人と近しく接し続ければ当然得れる筈の経験値を積んでいない。寧ろ積む事を避けていたかの様な、そんなチグハグさ。
永久を歩む者が、そうで無い者との親密な触れ合いを避けて来た理由。それに何の推測も付かないのも、余程鈍い者だけだろう。
「でもね。その上で僕は機会があるなら癒せと思う。果たせと思う。……そしてそれに手を貸したいと思う」
言葉の最後。幾年月を隔てた近年に初めて恋人を作ったと言う埒外に引っ込み思案の娘は、その先に必ず待つ未来に怯える様に眉根を寄せながら、けれど口元に笑みを作って見せた。
随分と無理のある歪な笑顔ではあったけど。
「だって。欠片でも残滓でも。大切な人のものなら……やっぱり大切だ」
例えそれが己の愛したひとでは無くても。それが感傷や慰みに過ぎなくても。気休めでも。
それは先の答えと同じく、『来世』に否定的な桜木の考えとは反するものだけれど。
「……神様としての考えとは、大分違うんだね」
桜木程では無いにせよ、神として語った思想にも反している。
その指摘に九十は苦笑いを返した。
「そだね。だから|失職し《はぐれ》たんだよ僕は」
國を喪った。なのに未だ生き永らえている國津神。所属世界の決め事から等、とっくに零れ落ちている。
これで答えになったかなと問う古神に、桜の精は笑顔を以って返答に代えた。
●癒
「でも納得したよ。それで君は君んちの仔達をそんな大事に溺愛してるんだね」
お代わりした紅茶に今度はタップリとミルクを入れながら、九十は推し量る様に話を振った。
けれど桜木と来たら「へ?」とでも言わんばかりに少しその目を丸くする。それは何に対してか……よもや、腰の上に黒猫を乗せ相変わらず背を撫で、的に構えた右手先にジャンプして鼻タッチを成功させた黒柴にご褒美の犬用クッキーを与え、肩に乗り羽づくろいしてやるとばかりに背に嘴をゴリゴリ押し込ませる白鴉を鷹揚に受け入れながら、まさか『溺愛している自覚』が無かったりはしないだろう。多分。恐らく……まあ、得てして当人はそれを普通だと思っていたりもするけれど。
「……だってその仔達。多分だけど影朧でしょ?」
砂糖をドバドバと入れながら目線で示す。
死と生命の循環を司る九十は、その存在が生命として通常かそうで無いか位は見て取れる。主に甘える悪魔獣達が、|死《過去》に近いか或いはそのものだと何となく分かっていた。
「……ああ、なるほど」
男は納得した様に笑う。それでそれから肯定するでも否定するでも無いのだけど、別に良いかと思う。
九十程度の付き合いでも分かる。彼は怒りや哀しみの感情を凡そ人前で顕わにしない。つまり情動や内心の暴露を制御出来る方の人種で、ボロボロと零す自分とは違うのだろう。
「勝手に想像位はするけどねー」
スプーンでジャリジャリと砂糖を攪拌しながら、睦まじい様子の1人と3匹を眺め呟く。
神なれど千里眼の類は備えぬ九十は、彼らの詳しい事情を知りはしない。八重紅枝垂桜の下に何が埋まっていたのか、何も知らない。
疎まれ囚われ続けた不遇の子の物語を知らない。その物語は前世にて終わり、今世にての帳尻を他ならぬ当人が望まぬだろう事も。
一方的に虐げられて殺された数多の動物達の非業を知らない。寄り集まり合わさったその存在を、『今世の事は今世で』と考えるその主人がどう扱っているか……は、日々目の当たりにして知っている。
「……まあ。実際言うだけの事はやってのけてるよね」
己のカップに向けられる店員の変な視線に首を傾げつつ、肩を竦める。
彼らが影朧であれば、桜木が桜の精の能力としての癒しを与えれば転生する事が出来る。けれど、桜木の言に沿うなればそれでは意味がない。その憎悪は今癒されなければいけない。その約束は今果たされなければいけない。
その為の契約で。その為の悪魔召喚士なのであれば。それは、なるほど。
「凄い事だ」
桜の癒しにて、後先では無く今を救おうと言うのだから。
成功
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