時遣らずの雨は若葉に色づき
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昼過ぎからの天気は下り坂。
帰りのホームルームには外は雨雲によって暗くなり、一瞬にして本降りとなった。
クラスメイト達の嘆きが今だ耳に残っていた一ノ瀬帝だったが、新たな嘆きの声を聞いた瞬間、皆の声は散り散りとなる。
「うわーめっちゃ雨降っとるやん!」
登下校と共にする知花飛鳥の声である。
帝が隣の飛鳥を見れば、彼は玄関口に立つ生徒達の様子を見回している。
彼の視線を追うように帝もまた周囲を目にした。
置き傘を用意していた生徒、スマートフォンを操作し迎えを頼んでいるらしき生徒、意を決したようにジャケットを被り外に飛び出していく生徒などなど。突然の雨への対処は様々だ。
飛鳥は、と視線を戻せば。
前髪のヘアピンを押し込むように、きつめに手直しする飛鳥。覚悟したような表情で「しゃーない」と呟き、帝の方へと顔を向けた。
「ダッシュで帰るか……。ミカ! そんじゃ――」
走って帰る。声を張ってテンションを無理矢理にアゲていく飛鳥は今にも走り出しそうな雰囲気だ。帝のことはもう『分かっている』のか、ここでわかれるべくの挨拶をしようとしている。
「飛鳥、待て」
帝がストップを掛ければ「ん?」といった表情の飛鳥。きょとんとしている。帰らんの? と問うてくる紫の目。
見事にぴたっと止まった飛鳥の様子は何とも愛らしい……――延々と眺めていたくなるくらいだが、瞳に怪訝な色が出てくる前にと帝は折り畳み傘を差し出した。
「おん? 傘、今どっから出たん?」
「俺の鞄からだが。――飛鳥はこれを使え」
「??? ……え? ミカの傘は?」
「俺は自分のがあるから大丈夫だ」
ほら、と差し出していた折り畳み傘を揺らせば、飛鳥は思わずといったように傘を受け取った。反射の動きをやる飛鳥は何だかわんこのように、やはり可愛らしい。
「――いやちょい待ちや! なんで二つも折り畳み傘持っとん!?」
「……、予備の予備だ」
驚いた飛鳥の声が明るく響くなか、淡々と言葉を返す帝。
これが予想していたやり取りであることに――帝が良く知る飛鳥の反応に――どこか嬉しさも感じてしまう。
何度も何度も、脳内でシュミレートしたやり取り。
同時に帝の脳裏に浮かぶのは、だいぶ前のこと……そう、こんな風に雨が降った日のことだ。
『うわーめっちゃ雨降っとるやん!』
『今日』と同じ声で、飛鳥が外の雨降りぐあいを見て言った。
『ダッシュで帰るかー……』
そう言って、ぱっと帝の方を向いた飛鳥は『ミカは?』と問う。
『俺は折り畳み傘を持ってきているが』
折り畳み傘なので大きくはない。それでも濡れて帰るよりはマシかもしれない。
……そう思って帝は一緒に入るか? と尋ねようかと思った。あくまでも控えめに。
(『……それくらいならば友達の範囲……だろうか?』)
けれども。
『そっか! よかった!』
ぱっと花咲くみたいな笑顔になった飛鳥は『それじゃ、また明日!』と言って、雨の中を走っていく。
止める暇もなく、あっという間の出来事であった。
反応しそびれて、どこか素っ気なく『ああ』と返してしまった自身の声。吐いた呼気はやや躊躇いに染まっている。
一瞬で濡れた飛鳥の後ろ姿、雨に煙る景色の中、走っていく彼を帝は心配そうに見送ったものだ。
(『風邪をひかなければいいが――』)
……、落ち着かない気持ちのまま帝も雨のなかをゆく。
自身の傘を叩く雨粒は間断なく、雨煙る空気はすっかりと冷え込んでいた。
帰り着いた飛鳥の体は冷え切っていることだろう。温かい風呂にすぐ入れますように、体調を崩しませんように、とそんなことを願いながらの帰路は心配や不安に満ちている。
ちゃんと帰り着けたか? ちゃんと風呂に入って温まったか? スマートフォンに打つ文面を考えながら、しかし如何にも「心配しています」というそれは果たして親友として送ってもいい範疇なのだろうか……。
どこか上の空での帰路となる。
……そして帝の願いも叶わず、風邪をひいた飛鳥は翌日学校を休んだ。
――自身の傘を押し付けておけば。
――いっそ相合傘をして一緒に帰っておけば。
先に立たない何とやら。
友人として、親友としての適切な提案が、ぱっと出てこない。幼少期の頃から抱き続けてる恋愛感情は帝に刹那の躊躇いをもたらす。
恋人として付き合っていない関係に、後悔のなか浮かんだ提案は勇気が要るものだった。
ならば……。
「予備の予備だ」
そう言って渡された折り畳み傘。
一瞬ぽかんとして、飛鳥は帝を見つめた。ふっ、と噴き出した呼気は笑いに震えていた。
「えらい用意周到やなぁ!」
さすがやで、ミカ!
にこにことそう言えば、帝は少し視線を逸らして曖昧な頷きを返してくる。褒め言葉に照れているのだろう。
蕾のように小さく折り畳まれている傘を解き開けば、何かが咲いたような光景。
「ええ色の傘やなぁ!」
飛鳥の好きな色の傘だ。弾んだ声でそう言えば、帝は「そうか」とやはり素っ気ない声だった。
「ほな、帰ろか!」
一歩踏み出せばタン、タタンと雨粒がリズミカルに傘を叩く。
雨に煙る景色での帰路は何だか違う世界のようで、飛鳥はわくわくとした。
日常に聞こえる世界の音は雨音に遮られ、いつもと違って届く|親友《ミカ》の声は何だか不思議なものに思える。
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雨の日はほんの少しだけ、二人の距離が近付く日。
成功
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