あかねちゃん先生
●己を為すもの
そう呼ばれることに抵抗を感じないわけではない。
杜崎・紅祢(翠光纏いし癒し手・f36019)にとってのコンプレックスは、自分の女性的な顔つきと名前であった。
からかわれてきた過去の名残、と言っても良い。
でも、それが嫌いなのではない。
自分を育んでくれた家族、その血を感じることができるから。
そして、紅祢という言葉の響きも良い。
文字だってそうだ。篝火の色と祖先からのつながりを感じさせる。
そういう意味では、紅祢は自分の名前が嫌いではなかったのだ。
「あかねちゃん先生ー!」
そう呼ばれて大学の構内で振り返る。
すでに齢は三十を重ねた。けれど、初対面の人物にそう告げても中々信じては貰えない。
女性的な顔つきもそうだが、年若いのだ。
それは運命の糸症候群によるものだからだ。とは言え、この弊害は大きい。
自分が生徒から尊敬の念を持って名前を呼ばれるのではなく、どちらかというと気安い意味で呼ばれるのに、同僚の先生方から少し釘を差されているからだ。
「こら。キャンパス内では、そう呼ばないとこの間約束しましたよね?」
できるだけ優しく注意する。
こういう時の分別が出来ていない、ということは学外に出た時に彼ら、彼女らが苦労をするのが目に見えているからだ。
「ごめんなさい……でもでも、早く言いたくって!」
「そうそう! だってあかねちゃん先生、教えてくれないんだもん!」
「なにを、です?」
また、と紅祢は注意しようとしたが、目の前に広げられた雑誌に面食らう。
え、と思った。
そこに在ったのはおのれの姿だったからだ。
「これ! あかねちゃん先生じゃん! 教えてよ! 私、知らなくって買い逃がす所だったんだから!」
「そうだよ! あかねちゃん載ってるとすぐに売り切れちゃって手に入らないんだから!」
どうやら彼女たちは自分がモデルとして雑誌に掲載されていることを教えてくれなかったことに憤慨しているようである。
とは言っても自分の本業はモデルではない。
そもそも学外で学生と偶々一緒に居る時にスカウトされてしまったことが発端なのだ。本来なら副業という形になる。
あまり褒められたことではないと自覚しているが、どうしてもと押し切られてしまったのだ。
「あまり広げないでください」
「なんで!」
「……恥ずかしいので」
そんなことない! と学生の彼女たちは興奮しきりである。
紅祢は自分の顔立ちと名前にコンプレックスを持っているが、しかし彼の見た目以上に家事全般が得意であったりと裏腹なのだ。
そういう意味では強引ながらスカウトされて渋々とモデル業にも勤しんでいるのだが、いまだに慣れない。
「見られれる職業である、というのはわかりますが……でも、まだ慣れていないんです。あまり、いじめないでくださいね」
其の言葉に女学生たちは感極まったように肩をブルブル震わせる。
え、と紅祢は思っただろう。
何か踏み込みすぎただろうか。よく上司から注意されるのだ。学生との距離感を間違えないように、と。
今の自分はかなりしっかり距離を測れていたように思えるのだが。
「は~……もう、すぐそういう表情する!」
「ほんと、反則……!」
「え、えぇ……」
周囲の圧が凄い。ともすれば、男子学生からの視線も熱視線である。別に刃物めいたものではない。
むしろ、その容姿をひけらかさない、あっさりとした学生との付き合いに男子学生からも好感を持たれているのだ。
「おい、あんまり紅祢先生に迷惑かけんなよ、女子」
「そうだぜ、紅祢先生がやめろっつってんだから、よせよ」
「は?」
「お?」
剣呑な空気が漂い始めたのを感じ取った紅祢は慌てて仲裁に入る。
なんでこんなことになっているんだと思わないでもない。
「待って、待って、待ちなさい。そんな喧嘩をしないで。確かにモデル業もしていますが、慣れていないだけですから。感想をいただけるのも嬉しいんですよ」
本当はね、と微笑む。
けれど、やっぱり此処は学内なのだ。
そういう意味では分別つけなければならない。そうした線引がしっかりできていればこそ、学生たちは正しい社会性を身につけることができるのだ
だから、ね? と紅祢は男子学生と女子学生の間を取り持つのだ。
「先生、それ逆効果だってば」
「えっ、なんで」
「本当そう! そもそも!」
とまた学生同士が言い合いになってしまう。
これが紅祢の日常だった。
慌ただしく、忙しない毎日。
けれど、掛け替えのない日常だ。この日常を得るために己は死と隣り合わの青春を送ってきたのだ。
其の結果が彼らの闊達なる笑い声であるというのならば、それはきっと喜ばしいことだ。
そう思って紅祢は頬をほころばせる。
けれど、学生たちは。
「だから、その顔!!」
何がいけなかったのかな、と紅祢は己の頬をむに、と両手でつまんで見せて本業たる講師の難しさに幸せなため息をつくのだった――。
成功
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