Esecuzione per folgorazione
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「起きろ、ウスノロ!」
怒鳴り声と共に衝撃を受けて、フィア・フルミネ(|麻痿悲鳴《まいひめ》・f37659)は自分が眠っていたことを知った。
眠っていた? 否、気絶していたのだ。
昨日は四つ足の獣との戦いを求められた。興奮した様子の獣の野太い爪に対し、フィアに与えられた得物は石を研いだ短剣ひとつ。獣の毛皮を少し削ぐためにフィアは何度も肉をえぐり取られ、土を均して作った地面にはフィアの血がいくつも赤黒い染みを作った。
決着はどのように着いたのだったか――朦朧とする頭で記憶を探って、毛皮を剥いで心臓を穿ち、それを掲げることで勝利を示したことを思い出す。そのままぶっ倒れかけたのだが、土に落ちた自分の血を体に戻せと命じられ、夜通し土を掘って食べたのだ。
食事もしていないのに腹がやけに重いのはそういう訳だろう。
「さっさとしろ! このマヌケ!」
二度目の衝撃が腹を襲う。
「ぁがッ……!」
消化しきれなかった砂利が臓腑からこみ上げる。
先ほどからフィアを蹴りつけて満足そうな顔をしているこの男は、フィアを所有する領主だ。
広大な領地を持て余したこの領主は、領地内に闘技場を設け、そこで闘士たちの戦いを見世物にしては私腹を肥やしている。
金銭欲と嗜虐趣味、どちらが先行していたのかは分からない。少なくとも今はどちらの趣味も肥大化していて、戦いの外にあってもフィアは暴力に晒され、安息の瞬間はひとつもなかった。
「客を待たせる気か!?」
ぐいと髪を掴んで持ち上げられ、針で刺されるような痛みが頭皮を襲う。
「ィッ……!」
粗末な床を引きずられれば、肌はすり下ろされて全体に血が滲む。限界を迎えた脚を励まして何とかフィアが領主の後をついて歩けば、均された土の上で一人の闘士が待っていた。
「……っ、……」
そこに立っていたのは、フィアよりも若い娘だ。
梳かされた髪、華奢な体を際立たせるアクセサリー、丁寧に施された化粧――そこだけを抜き出せば丁寧に扱われた令嬢のようだが、乙女が隠すべき場所だけを露にするドレスは、彼女もまた卑しめられた存在であることを主張する。
何より、彼女の目は荒み切っている。傷だらけで薄汚れたフィアの姿を見ても表情は一切動かず、聞くに堪えない卑語を叫ぶ観客どもの声に耳を塞ごうともしない。
ポタリ――彼女の脚の間から液体が滴って、フィアは今日の前座の下劣さを知る。
『サァ! 本日のメインマッチはコチラァ!』
司会の声に、会場がワッと沸く。
『前座でもお愉しみ頂きマシタ穢れの乙女とォ! 死に損ないの女闘士!』
声が響く中、領主の手先によってコロシアムの中央に武器が運ばれる。
長短さまざまな剣、槌、鎖、変わりどころでは油を満たした瓶などもある。この中から得物を選び、どちらかが死ぬまで戦うのが、この闘技場での流儀だ。
「――」
フィアが動くより早く、相対する娘が動いた。
娘は短剣を手に取ると、誰が止める暇もなく自らの首に押し当て、一息に己の首を両断した。
「…………は?」
吹き出る鮮血と、呆気に取られる観客。
ざわめきは次第にブーイングに変わり――娘の自死を止めなかったフィアへの罵声へと育つ。
「詫びろ!」
「詫びろ!」
「詫びろ!」
怨嗟の絶叫と共に、さまざまなものがフィアめがけて投げつけられる。
誰かが口から噴き出した酒、布切れ、怒りの余りへし折った愛玩動物の首――立ち尽くすフィアは格好の的で、真っ白な髪はたちまちカラフルに濁っていく。
「皆様! 皆様どうかお静かに!」
怨嗟の声を止めたのは、領主の言葉だ。
「この度はご期待に添えず、誠に、まっことに申し訳御座いません! お詫びに――」
チラリ、領主の視線がフィアを舐める。
暴力と共に教わった何もかもがフィアの頭をよぎり、フィアは自分が何をすべきかを理解した。
「この死に損ない、殺し損ないが、皆様にご納得いただけるまで謝罪いたします!」
声に、会場中の視線が一斉にフィアを向く。
コロシアムの中央、フィアは膝を曲げて地面に座り、両手のひらを地面につける――土の地面の冷たさと硬さが、手足から這い上がってくるようだ。
「も……」
震えはない。
もう冷え切っているから。
「申し訳、ございませんでした……ッ!」
勢いよく頭を下げる。
土下座――と呼ぶにはいささか勢いが良すぎる謝罪に、フィアの額が地面に激突。
ゴッ、と鈍い音と共に脳内で衝撃がスパークし、眩んだままフィアは頭を上げる。
「申し訳っ、ございませんッ、皆様の、楽しみを、奪ってしまい……大変、申し訳ございませんッ!」
言葉を区切るたびに頭を上げては下げ、下げるたびに地面に額が衝突する。
数度も謝れば額が割れる。血を撒き散らし、それでも謝罪を止めろと命じられるまで、フィアは地面に頭を打ち付ける。
脳がシェイクされ、平衡感覚がメチャクチャになる。
地面の冷たさに体温が奪われて、謝罪を紡ぐ唇が痺れる。言葉と頭を下げるタイミングが狂って声を上げたまま頭を下げれば、打ち付けられた歯が吹き飛んだ。
ゴツンと硬質だった激突音には、次第に水音が混じる。
痺れと冷えに身体の感覚は遠のくが、詫びろ、と叫ぶ観客の怒声だけは耳元で鳴り響いている――どれほどの時間そうしていたかは分からないが、不意にフィアの頬に何かが叩きつけられる。
「申しわ、っ!?」
生暖かく、ぬめりを帯びた何かだ。
「そろそろ腹が減っただろう?」
赤一色の視界では物を判別することも難しいが、そんな状況でも、それが領主の声だとは分かった。
「慈悲だ。それを食え」
期待交じりのどよめきが客席を揺らす。
「……ぁ、りがとう、ございま……す……」
食べない訳にはいかないのだから、与えられたソレが何であるかを考える必要はない。
ソレを口に入れると、悲鳴とも歓声ともつかない声が周囲に満ちた。
弾力のある生肉のようだが、ただの肉とも違う。袋状の器官だったのか、噛みちぎって口に収めると、血の味と共に青臭い異臭が鼻をついた。
「旨いか?」
「美味しい……です……」
フィアの返答に、嘲笑が広がる。
求められるままに生肉を食い、フィアは再び土下座を繰り返して血を撒き散らす。
視界の隅に入った娘の死体の下腹部が、臓器を抜き取ったように窪んでいることだけが気になった。
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「おい、起きろ」
普段とは比べ物にならない穏やかな声に、かえって目が冴えた。
前の戦いからは数日が経っていた。割れた額は塞がって、血流が滞って壊死寸前だった手足も元の肌の色を取り戻している。領主の持ち物である以上体調が万全なんてことは有り得ないが、次の戦いに繰り出すには丁度良い頃合いだ。
飛び起きようとしたフィアの前に手がかざされる。何事かとフィアが動きを止めて領主を見つめ返すと、領主の隣に見知らぬ男がいることに気が付いた。
「やあ、お目覚めかな」
柔和な表情の男だった。
身なりも良く、闘士たちが雑魚寝するこの場所に立っていると作りもののようだ。
「……?」
「このお方が、お前を買いたいとご所望だ」
「――」
「次の戦いが終わったら、お前の身元をこのお方に引き渡す」
「本当は、今すぐにでも買いたいのですがね?」
「それは少々……! こちらにも何かとありまして……!」
柔和な男の方が力関係は上なのか、領主はへりくだった態度で男に笑いかける。
「……そういうわけだ。三日後に引き渡すからな」
「ところでミスター。例の書類は?」
「え、ええ! 今持ってきますとも!」
せかせかと領主は去り――それを見送ると、男は素早く屈んでフィアに耳打ちする。
「大変だったね。僕は、君たちのご主人様の不正を暴くために動いている。そのために――」
言いかけたところで、領主が書類の束を持って戻ってきた。
「お待たせ致しました! お話は向こうで!」
「そうですね。案内してくださいますか?」
話は終わりと背を向ける二人に、何か言おうとフィアは口を開く。
「……ぁ……」
だが、謝罪の言葉を叫び続けた喉は潰れて、どんな言葉も形作れない。
不意に男が振り向いた。口を開閉するばかりのフィアを見て、透き通った瞳に微かな憂いを滲ませて、彼は手を振る。
「また会おう、お嬢さん」
彼の手に、黄金色の指輪が煌めく。
「…………」
返したい言葉は何にも成らず。
痛みとは違う温度が、胸に宿った。
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「闘士を殺せ。殺せばお前をアイツに引き渡してやろう」
闘技場へ向かうフィアへ、領主はそう告げた。
「……はい」
フィアはただ頷くのみ。
勝敗がどうあれこの場を去れる――そんな甘い考えは持っていない。あと一人は、手に掛けなくては自由になれないのだ。
フィアによって命を奪われた闘士たちは数多いる。末期の苦悶の表情がいくつもよぎり、頭を振ったフィアへと、領主は何かを差し出した。
「……?」
「今日の趣向だ。これを被れ」
渡されたそれは、兜だった。
頭をすっぽりと覆う大きさで、頑丈そうな見た目と引き換えに、視界を確保する穴などは見当たらない。これを被れば、フィアは暗闇に閉ざされるも同然だ。
(そう。簡単には終われないのね)
盲人と等しい状態で不格好に戦うフィアを嗤う――今日はそんな趣向なのだと理解して、フィアは兜に頭を収める。
暗黒の中、最後の戦いが、始まろうとしていた。
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分厚い兜に遮られて、光はおろか歓声の言葉すら判然としない。
誰かが、手に長剣を握らせたことは理解できた――くぐもった歓声が弾けたのを開始の合図と見て取って、フィアは正面から横薙ぎに剣を振るう。
「!」
手ごたえを捉えた。
今回の相手が何者なのかは知らされていない。細身な女性の胸元を切りつけたのか、大男の腕を叩いたのか、あるいは獣の尾をかすめたのか――敵がどうあれ、勝たなければいけなかった。
手ごたえを感じた場所に踏み込むと、肌に返り血の温度が届く。今度は正面めがけて突き立てると、相手は呆気ないほど簡単に倒れこんだ。
(これで終わり? まさか……)
領主は『殺せ』と命じた。
そうしなければ自由はないのだから、確実な死の手応えが欲しかった。
斬った。
叩いた。
潰した。
肉体を破壊する実感が薄れ、敵はもはや原型を留めていないのだと理解して、ようやくフィアは手を止める。
すると、フィアが動きを止めるのを待っていたらしい手伝いの者がフィアの頭から兜を取る。暗闇に慣れた目には闘技場に焚かれた松明が眩しく、フィアは目を細めながらも眼下の存在に目を向ける。
確かにそれは亡くなったらしく、赤黒いジェルのようになって地面に伸び広がっている。
生前の形を知ることは困難で、血だまりの大きさから、大人の男だったのだろうと推測するほかない。
「ああ、ああ、何ということかぁ!」
わざとらしく嘆く領主の声が響く。
フィアの目の焦点が合ってくる。殺したその者を改めて見下ろすと、赤黒い中に煌めきがひとつ見える。
「残酷なる闘士よ! 自由を目前にした死に損ないよ!」
胸騒ぎがして、煌めきを手に取る。
血にまみれたソレを指でぬぐう――黄金色の煌めきが覗いた。
――またね、と彼は手を振った。
その時に見た光が沈んでいた血だまりは、これは。
「なぜ、お前を救おうとした男を殺してしまったのだァ!!」
煽る声に愉悦の色が混ざる。
全ては領主の謀だった。
フィアを引き取ると言った男は領主にとっての厄介者。
騙くらかして闘技場に追いやるのだけは骨が折れたが、それさえ出来ればフィアが手ずから始末してくれる――思い通りに事が運んで上機嫌の領主は、大喜びで声を張る。
「恩知らずの大罪人! となれば始末は一つ――」
観客もまた、声を揃えて。
「処刑の始まりだァ!!」
「ああ……ああっ――――!!」
フィアの慟哭を呑み干して、観客は宴の予感に狂乱する。
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「っはぁ、が……ひ……ぃっ……」
腫れ上がった顔面はもはや原型を留めず、掠れた呼吸を繰り返すばかり。
フィアの両手首は吊るし上げられて、無理やり外された両肩に自重が乗って骨が軋む。
耐えきれずに汚物を吐き出したり漏らしたりしたりすれば鞭に打たれ、生傷に汚物が塗り込まれる。ジクジクと膿んだ傷ばかりが熱を持って、体の芯は冷え切っていた。
(まだ……生きてる……? どうして……)
朦朧とする意識では考えを組み立てることも困難で、不毛な堂々巡りしか出来ない。
だが。
「ぁぎィイイッ!!」
爪を剥がされた場所に焼きごてを当てられると、思考すら吹き飛ぶ。
「まだまだ元気なようですね。では私も」
フィアを取り囲む好事家の一人が焼きごてを手にして、痣で青く変色した腹にも。
「ぉああッ!」
「うーん、声に張りがないですな」
「賭けましょうや。誰が一番イイ声を上げさせられるか――」
格下の剣闘士どころか、賭けの対象のオモチャ程度の扱いで、フィアの体は刻まれ、焼かれ、壊されていく。
彼らの瞳は愉悦に輝いているが、同時に飽いてもいた。
このダークセイヴァーに残酷なショーなどいくらでもある。フィアに施される拷問もありふれたもので、この場を離れて数日もすれば忘れ去られる程度のものでしかない。
消費させられるフィアの命は、惰性で食べる菓子と同じ。
無用の扱いを受けるからこそ、フィアの魂は千切れんばかりに痛むのだ。
「そーれっ!」
「あぐゥウッ!!」
腹に拳を喰らって、痛んだ臓器が不可逆の傷を負う。
「ぅぷ……!」
「吐くんじゃねーぞ!」
脅しつけながらも、臓腑を絞るように腹への殴打が重ねられる。
「ンンッ……、ッぶげェッ……ゥエ゛エ゛……!!」
「ひゃっ! 汚い!」
耐えかねて口から漏れたものに悲鳴が上がった瞬間、鞭が頬に飛んでくる。
「ンぎッ――!」
皮膚はとっくに裂けていて、むき出しの肉が穿たれる。
濁った音を立て血が噴き出た。顔に穴が開いたフィアがどれほど愉快なものなのか、彼らは声を揃えて大笑い。
血を失って暗くなる視界の中、見渡す限りの絶望があった。
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罪人として、フィアは電気椅子に縛り付けられた。
「ぁ……ぁりがとう、ござい――ます……」
足首と頭部に電極を繋がれて、フィアはほとんど無意識にそう口走る。
死でもって、フィアは痛みから解放される――そう思えば安堵がこみ上げて、フィアは処刑人へ穏やかな微笑みすら見せた。
「この女、最後まで愉しませてくれる」
低く笑う声は、果たして誰のものだったか。
スイッチが押され、電流が走る。
「ガ、ッ」
ビクンと身体が跳ね、体内で臓器が爆ぜる。
面白がって何度もボタンを押すせいで、その骸は焚火の痕と区別がつかないほどであった。
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フィアの命はここで終わる――はずだった。
「ぁ……?」
馴染んだ痛みが、苦しみが引き起こされて、フィアは永遠に失われたはずの意識を取り戻す。
――|死《すくい》なき魂人に変じて、フィアの存在は繋がれる。
その身にあるのは永劫の苦痛のみ。
これから何を得て、何を失おうとも、それだけは変わらない事実だった。
成功
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