#獣人戦線
#ノベル
タグの編集
現在は作者のみ編集可能です。
🔒公式タグは編集できません。
|
●暗転の先
多くのことを知っている。
自分は兵士としては未だ若輩であるという認識がある。とは言え、それは老練ではない、という意味でしか無い。
戦場に放り出された新米士官ほど死にやすい存在もいないだろう。
確かに将来有望。
多くのことを望まれて教育されたことは間違いない。
けれど、それとこれとでは話が違う。
戦場に出れば生まれも育ちも才能の有無も関係なく、一発の銃弾で全てが逆転してしまう。いや、銃弾でなくたって構わない。
運命の賽の目次第でいくらでも転落することができる。
転落することは滑稽なほどに簡単なことであるが、落ちた先から登攀することは限りなく不可能に近い。
いつだってそうだ。
転がる岩のように落ちていく。岩は転がり落ちていくが、転がり上がっていくことなどないのだ。
故に、ドーラ・ラングナーゼ(Kampfgruppe HNN D9・f40217)は多くのことを知っている。
それは幸せとは程遠いものである。
祖国に忠を尽くす。
多くの同胞たちに未来を齎す。
それらはキラキラと煌くものであったが、しかし同時に深い深い影を落とすものであることを、ドーラは知らなかったのだ。
「別に」
それがどうってことないことであることを呟くのならば、好きにすれば良い。
一秒後にどうなっているかわからないのだから。
砲火荒ぶ戦場。
榴弾によって起こる爆風が舞い上がり、砕かれた土が、岩が礫となって彼女の頭上に降り注ぐ。
思わず頭を低く下げたのは、彼女がこれまで多くのことを教育されてきたからだ。
身をかがめる。
遮蔽物の根本に身を小さく折りたたみ、衝撃の当たる面をできるだけ小さくすること。
それだけで生存率は大きく異なることを知っていたからこそ、彼女は榴弾の礫に肉を貫かれることを避けることができた。
隣にどさりと落ちる音が響く。
それは先程までは同じ部隊の同僚とも言えた物体であった。
当たりどころがわるかったのだろう。榴弾によって生み出された礫がヘルメットと防じんマスクの間……つまりは眼球と眉間を貫いている。
「ショック死。よかったな」
長く苦しまなくて。
この部隊に……『Kampfgruppe HNN』に所属していて、精神を止む者は枚挙に暇がない。それほどまでに過酷な戦場に送り出されるのだ。
いわば懲罰部隊である。
本来の成り立ちは、そうでないのだとしても、今や『Kampfgruppe HNN』はそういう部隊であった。
正規軍部隊が対応しきれない特殊な作戦。
まあ所謂、汚れ役。もしくは捨て石役というものである。
死んでも構わない。
いや、死んでくれなければ困る、とでも上層部は思っているのかもしれない。
この部隊に送り込まれるのは、いつだって軍務違反や懲罰対象者、もしくは刑法犯罪者ばかりであった。
「似たようなものか。言えた義理ではないな」
呟く。
流れる血潮を見やる。
あの血は今の今まで生命を突き動かしてきたものだった。今は違う。
ただ大地を濡らしているだけの液体でしかない。
おセンチが過ぎる、と我ながら思った。こんなことを考えている暇はない。こんな思考をしている暇があるのならば動かなければならない。
一刻も早く、此処から離れなければ。
榴弾が降り注いできて、いつまた自分もこうなるかわからない。
目の前に倒れ伏した兵士は死にたがっていた。
こんなにも続く地獄のなかにあるのならば、死こそが救いなのだと叫んでいた。いや、鳴いていた。
だから。
いや違う。
自分は違う。どれだけやけっぱちの捨て鉢になった者たちに囲まれても自分だけは違う。生きなければならない。この地獄の中で自分はいきなければならない。
犬死にしてもらわなければ困る?
知ったことか。
ああ、知ったことではない。
後退はできない。それは即ち、命令違反である。即座に逃げ戻った端から撃ち殺されてしまうだろう。
己の生命の価値など暴落しているのだ。
「なら、進むしか無い」
そう、前に。
生きるために死に急ぐようなことをしなければならない。そうでなければ生き残ることができない。
己の生命は死地という名の戦場にしか転がっていない。
揺れる認識票はとうに過去の残滓。
今の己にあるのは己の首裏に焼きつけられた刻印しかない。
忌まわしき数字。
『D9』
ドーラは己の爪先で首裏を掻きむしる。血がにじむ。痛みが走る。
ジンジンと痛みが広がっていく。
生きている。
今この時を生きている。
死んでいるように生きていたくはないと、昔の誰ががそう言ったのだと聞いたことが在る。
それは己にとっては教訓でもなけば、啓示でもなんでもない。
「死んでも生きてやる」
それが己である。生きて。生きて。生きて。生き延びて、やらねばならないことがある。
己の胸の内にあるどす黒い感情を。
そのはけ口を見つけ出し、このクソの掃き溜めのような世界のすべてを煮詰めたような弾丸を打ち込んでやらねばならないのだ。
つまり、長々と連連とまあ語りに語ったところであるが。
即ち。これは。
「『復讐』だ――」
●Herr N.N.
今日も今日という地獄を抜けきった。
身に染み付いた硝煙の匂いは、もうこびりついていてどうしようもない。
シャワーなどという上等なものは存在していない。
汗と血。
硝煙と体臭。
それらが渾然一体となった匂いにももう慣れた。この匂いを意識の外におけば、己の嗅覚は未だ鋭く異変を察知することができる。
寝床はない。
あるにはあるが、あれは寝床と呼べるものではない。
固く冷たいベッドを心地よく感じることができるのならば、それは己の生命の脈動が尽きたときだ。
今はそうではない。
己の首裏を爪がなぞる。
痛みが走って、ああ、と息が漏れる。生きている。
この痛みが、まだ自分の存在を認識させてくれる。笑っているのだと自分でも気がついた。
気が狂っている、と他者からは思われたかもしれないが、実際その通りだと思う。
己を今此処に縫い止めているのは『復讐』ただ一つのためである。
瞳を閉じる。
睡眠は大切だ。
今まさにこの瞬間に頭上に爆弾が落ちてきたとしても、眠れる時に眠れているのならば、生存への可能性は上がるはずだ。
「……――」
瞼の裏に映像が浮かぶ。
点と点を結ぶように。
光は色を為す。
「君の毛並みは空の色よりも鮮やかだね」
その言葉は褒め言葉のようにも取れたし、ただの事実確認のようにも思えた。
どうして自分にそんなことを言うのかと思ったが、自分の揺れる尻尾は感情豊かであったようだ。
左右に揺れる。
隠そうとしても隠せるものではないことに、どうにもやりづらいと思ったものであるが、それは相対する者にとってもそうであったようだ。
「ハハハ、わかるってば。尻尾を隠さなくってもね。ほら、僕だってこんなに揺れている」
一体全体何がそんなに面白いのだろうか。
わらっているばかりで、目の前の友人のことがさっぱりわからなかった。
いや、わかっていたのだ。
彼の言うように自分も感情を素直に表現できたのならば、どんなによかっただろうか。
もっと素直に感情を言葉にしておけばよかっただろうか。
時は逆巻くことをしない。
堪えず進んでいく。
そうすることで時は前に進んでいくのだ。
だから、これは夢だ。
詮無き夢。己のなかに後悔という感情があるのならば、きっとこれのことを差すのだろうとドーラは思った。
「いや何、ちょっと思ったんだよ。もしも、超大国との戦争がなかったのならば君はどんなことをしていたのだろうねって」
「自分のことは考えないのか」
「うーん、自分のこと、かぁ」
目の前の友人は難しい顔をしていた。
尻尾は揺れていない。なんとも感情の見えぬ尻尾であった。けれど、あの時の自分は思ったのだ。
きっと想像できないのだろうな、と。
だから、そうなっているのだろうと。
「もう少し身勝手に生きてもよかったって後悔しているかもしれないね」
「なんだそれは」
「いや、そう思っただけなんだよ」
「してもいないことを勝手に後悔するなんて」
「想像の上だしね」
「したいことは後悔することなのか。そうではないだろう。私達には使命がある。それでいいではないか」
そう、祖国を超大国から守る。
忠を尽くすということ。
それが何よりではないのかと。けれど、目の前の友人は頭を振る。そういうことじゃないのだと。
「いろんなことを取りこぼしてしまった気がするんだよね。手を伸ばしていれば容易く手に入れられたものとか、ああしておけばよかったのに、ということとか。そうした僕の掌の中からこぼれ落ちたものの全てを取り返したい、と」
炎の包まれる友人の顔。
わかっている。
これは夢だ。
だから、こうなっている。実際にはそんな風に友人は炎のなかに消えることはなかった。
そう、この炎は己のなかにある感情を示すものでしかなかった。
炎。
復讐の女神はいつだって炎を掲げている。
焦がすような強烈な感情。激情という名の炎に身を落としている。故に、ドーラは眠りながら額に脂汗を流し、己の体を握りしめるようにして爪を立てる。
痛みが走る。
この夢は悪夢だ。
夢なら覚めれば良い。だが、それを許さないかのように炎は膨れ上がっていく。
揺らめく炎を見た。
破壊された戦車の数々。立ち上る火の粉。その上に一人の男が立っている。
「うーん」
その男は自分の友人だった。
長年多くの時間を共に過ごした男だった。けれど、その男はこの惨状に対して興味がないようだった。
「思ったより、だね」
「何がだ!」
叫ぶ。
喉が擦り切れるようにして痛みが走り、血反吐が眼前に飛び散る。
「思ったより後悔しないんだなって思って。もっとこう……強烈な後悔とか、そういうものが生まれるものだとばかり思っていたものだから」
だから、拍子抜けした、と男は言った。
友人と呼べる者だった。
だが、彼は裏切ったのだ。己達が指揮する部隊を。国を。何よりも。
「私の感情を裏切ったな!!」
叫ぶ声は血にまみれていた。だが、それで男は動揺すらしなかった。首を傾げるばかりだった。
「だから?」
柔らかな声だった。どこまでも日常の延長でしか無いというかのような声色。裏切った。だから? 小刻み良いリズムで返されることが余計に腸を煮えくり返させるようであった。
「必ず、必ずお前を追い詰めて見える。逃れられると思うな! この私が!!」
「うーん、それはできないと思うよ」
だって、と男は言う。
笑っている。
「この惨状を引き起こしたのは君だから。そういう風に細工をしてある。ことの首謀者は全て君。計画したことも。そして、その追求を逃れるために負傷してみせたことも。全部全部、君が企てたこと、と僕が仕組んだ」
微笑んでいる。
いつもと変わらぬ微笑み。
「軍部はすぐさま君を処断するだろうね。本来なら銃殺かな? でもまあ、今この状況を顧みればもったいないよね。一兵卒だって無駄にはできない。戦場は慢性人不足だ」
何を言っているのかわからなかった。
目の前の男は何を言っている?
「だから、君は死ぬこともできないと思うよ。あ、いや、違うか。君の名誉は失墜する。君の家族だって石を投げられるだろうね。裏切り者。祖国への大逆者。うん。君はそういう顔のほうが似合っているよ」
ドーラは今自分がどんな顔をしているのかわからなかった。
「君がそういう顔をしてくれているのが僕には嬉しいのかもしれないね。君はいつだって輝いていた。みんなに囲まれて光り輝いていた。その髪の色だって、鮮やかで美しかったんだ」
だから、汚したかった。
穢したかった。
拭えぬ汚濁の中に沈んでいてほしかった。
そう、彼女が蒼穹なのだとしたら、自分は地の獄にある暗闇みたいな色をしていたのだ。
手を伸ばしても蒼穹はつかめない。
なら、どうするか。
「君が僕のところまで堕ちてくれるしかないじゃないか」
だから、と男は笑った。
もっと、もっと深くまで。這い上がれぬ地の底まで堕ちてくれ、と。
「これはただの始まり。だから――」
轟音と炎の気配でドーラは目を覚ます。
瓦礫を押しのけ、立ち上がる。
炎が立ち上っている。迫る砲火。今もまだドーラは戦場にいる。
見果てぬ夢。
煉獄の如き炎に身を置く。
全ては復讐のために――。
成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴