かつての領主の、密やかな再訪の記録
きっかけは、紫煙群塔ラッドシティを巡る大きな戦いの余波で、貴族領主の治める領地が混乱していたことだった。
管理の行き届かない地方へ赴き、そこでの問題を解決し、可能であれば領主代行として統治を行ってほしい――|終焉を終焉させる者《エンドブレイカー》としての絶大な信頼があったとはいえ、随分思い切った依頼があったものだ、と「彼女」は思う。
『……死を、想う村』
確か、情報屋の少年はそんな風に称していただろうか。そこは朽ちゆくことが定められた、生きながらにして死へ寄り添うような、生の気配に乏しい土地であった。
恐らく、依頼として持ち込まれなかったら、そのまま捨て置かれて忘れ去られていたであろう場所。
そんな、ありふれた結末を辿るはずだった領地のひとつは、今――、
「わぁ……、思ったより賑やかッスね」
朝焼け色をした「彼女」の髪が、あちこちに灯されたキャンドルによって仄かに煌めく。
身をよじるようにして枝を伸ばした木々は、草花のリースで彩られて、まるで祝福の舞を踊っているかのようだった。さらに、祭りのために飾られた精緻で色鮮やかなタペストリーが、モノクロームに沈む世界に華を添え、非日常の風景を作りだしている。
広場で鳴らされる楽器は、あまり耳に馴染みのない不思議な音色をしていた。そこへ重なる歌声はどこか物悲しい旋律で、ささやかな日々の暮らしを歌い上げている。
「――おっと」
「あっ、ごめんなさーい!」
ぼんやりと辺りを見回していた女の元へ、通りから駆けてきた子ども達がぶつかってきて、すぐに謝罪する。人見知りしない子なのだな、と気になって何となく話をしてみれば、ここの村の子ではないと言う。
「あのね、ここはお母さんのふるさと……なんだって。お祭りがある頃に、みんなで遊びにいくの」
「畑のお手伝いもするんだよ! 遠くに住んでる子たちもねー、こっちに来るから遊べて楽しいよ」
「へぇ、祭りにあわせて戻ってくるんスね」
そう言えば、明るいうちに領内をぐるっと回ってみたが、どこも刈り入れは終わっていた。ならばこの秋祭りは収穫祭と言うわけだ。
きゃっきゃとはしゃいで走っていく子らに手を振ってから、歩みを再開する。見れば自分以外にも旅装の者がおり、村の人と話し込んでいるようだ。
「おや、買い付けですか。それとも祭りの見物で?」
広場の脇、藍色の天幕から出てきた身なりの良い男性が、穏やかな口調で「彼女」に訊ねる。
「……えぇ。前に少し、この村に寄ったことがありまして」
つい、仕事で使う丁寧な作法が口をついて出たのは、「買い付け」なんて言葉を聞いたからかも知れない。ごく自然に商いの話が出るのは、外部との交流が盛んな証だ。
「確か、伝統的な織物が伝わっているのでしたか」
「はい。もう十年以上も前になりますが、領主様が変わりまして。……その時に、販路の開拓に乗り出して下さって、今では都市部のほうでも取引して頂いておりますよ」
男性が説明するには、ファビウス領の小村であるここは鄙びた土地ゆえに捨て置かれていたが、当時の領主が調査に乗り出し、村の特色を活かした施策を講じたことで、いろいろと変化が起きたのだと言う。
「……私自身は、別の村の出なので聞いた話でしかないのですが、ここには元々寺院があって、それを中心にして発展していったそうなんです」
「へぇ、大きな墓地があったのもそれで?」
「ずいぶんお詳しいですね。……ええ、ひと気が無くなり寂れてしまえば、いつアンデッドが徘徊してもおかしくありません」
「……アンデッド。スケルトンのような、魔物ですね」
――そこで、ふと。女の瞳に鋭いものが過ぎったが、男性は気がつかなかったようだ。「勿論今はそんなことはありませんが」と前置きしてから、村の歴史に話を戻す。
「村での織物も、元は寺院での……死者への弔いなどの儀式で用いられていたものが伝わったらしいです」
祭りの天幕に使われているものは、呪術的な意味合いが強く、その模様には魔除けの力があるとされる。それとは別に、日常の生活で使うものには草花の意匠が多く、こちらは死者を弔うためのものだったそうだ。
「陽の射さぬ墓の下、冷たい土に眠る死者のため、せめて模様だけでも地上を偲ばせるものを……そんな想いが籠められているのだそうです」
「……なるほど。ここの村の人たちの考えなんかは、そんなところから来ているッスか」
ようやく普段の口調を取り戻した「彼女」が、しみじみと頷く。合間に手にした、柘榴のジャムを使った焼き菓子は、祭りの時に振る舞われるものらしい。
「そんな謂れも、以前の領主様の調査が元になって、私のような者でもこうして話せますけどね」
――たとえば。生の気配に乏しい土地柄は、星霊建築の影響がありそうだ、とか。陽射しが弱く、気温も低いため穀物の生育にはあまり適さないが、中にはその気候が適した稀少な植物も存在する、などなど。
「|薬草《ハーブ》などが、そうですね。こちらは薬膳に使われたり、薬の材料になったりもします」
この村に伝わる料理も、ハーブを用いたものが多い。新鮮な魚などは手に入りにくいものの、燻製にした肉やチーズはよく食されており、お酒にも合う。
「普段はあんまり羽目を外す人はいませんが……まぁ、今日は祭りですし」
時おり、祭りの舞台から聞こえてくる笑い声に苦笑しつつ、男は言う。外からは陰気な村という印象があったが、住んでみれば意外と悪くはない、と。
「静かな土地に眠っていたものが、ゆっくりと掘り起こされていくような……そんな感覚でしょうか」
変わりゆく村について、そんな風に男は喩えた。十年以上前の領主の交代が、間違いなくこの村の転換点になったと思うが、あくまで変化はゆるやかだ。
急な発展を促すのは、この地の人々の意思に反するとの考えもあり、かつての領主は伝統を「遺す」ことを選んだと言う。その時が来たら、人々の手で選べるように「可能性」を遺して、間もなく領主は役目を降りた。
「……その領主様は、元は旅の方だったそうです。だからでしょうか、『いずれは自分が居なくとも統治が成り立つように』と、早い時点で考えていたと言います」
――まるで、来たる死を見据えて日々を生きる、ファビウスの領民、そのもののように。
だからこそ、人々は領主の決断を受け入れ、領主が居なくなってからも変わらず日々を過ごした。
しかし、大きな変化はなくとも、時は流れていく。ちいさな変化が生まれてから、今年で十五年になるのだ。その間に亡くなった者も多く、人の絶えた家も出てきた。
「今はこうして、遠くへ行った者たちも戻ったりしていますが、先のことは……っと、」
「おとーさん! お母さんが呼んでるよ!」
と、村のことを一通り話し終えた男の元へ、子どもが走ってきて勢いよく抱きついた。先ほど、「彼女」が村を見ていた時にぶつかった子かも知れない。
「……まったく、祭りだっていうのに仕事の話? 今日くらいゆっくりしたらいいのに」
さらに、幼い女の子と手を繋いだ女性がやって来て、それから「彼女」に気づいて軽く会釈をした。
口ぶりからして夫婦だろう。この村について説明をしていたのだと、真面目そうに応える夫に対し、妻のほうは勝気な様子で手招きをする。
「ほら、これからお婆ちゃんの墓参りに行くんだから、あなたもついて来てよ」
確か、夫のほうは他の村の出だと言っていたから、妻がここの出身になるか。お婆ちゃん、という言葉が気になって話を向ければ、興味深い話が聞けた。
「丁度ね、領主様が変わる頃、不思議な旅の人に会ったんだって言ってたのよ。……あたしはその頃、村を出てたんだけどね、領地の改革にあわせて戻ってきて、それから何だかんだで村を行き来してる」
「旅の人、……ッスか」
「そうそう。もしかしたらあれは領主様が、身分を隠して領内を回っていたのかも……なんてお婆ちゃんは言ってたけどね。その領主様だって、少ししたら行方が分からなくなったし」
当時、そもそもが領主不在で、後任がいない中での交代劇だったのだ。その後の人材の育成が追いつかず、多少のごたごたもあったらしい。それでも今はどうにか、こんな風に祭りを行うことが出来ているのだ、と夫人は笑った。
「で、お婆ちゃんね、亡くなって六年になるか。『いつお迎えが来てもいい』が口癖だったけど、最期は穏やかで……幸せそうに、見えたかな」
静かに過ごし、静かに眠れる村で、老婆は最後まで生きることが出来た。そのことを聞いた「彼女」の瞳が和らぎ、それからどこか遠くを見るように細められる。
その、祈る姿にも似た真摯な佇まいに、夫人は何かを感じ取ったらしい。
「ねぇ、旅の方。お名前をうかがっても?」
「……アカシャ、ッスよ」
聞き覚えのない名前に「ふぅん」と頷いた村の女は、やがて家族とともに墓地へと歩いていった。
さて、そろそろ夜も遅い。こちらも家へ帰るとしよう。素敵な旦那様と可愛い子ども達が、「彼女」の帰りを待っているのだ。
(「オススメのお土産に、あとは料理のレシピと」)
ほんのり暖かさを増した心は、この地に流れた確かな時間を感じ、人々とともに過ごすことが出来たからか。
これから先の未来は分からない。
けれど、絡まる生と死の糸がどんな布を織り上げていくのか――自分も目を逸らさずに、まっすぐ歩いていくとしよう。
――「彼女」の名は、アカシャ・ライヒハート(暁倖・f39256)。
かつてアカシ・カワタレを名乗り、ファビウス領の領主を務めたこともあるエンドブレイカーは、祭りの喧騒に背を向けて、ゆっくりと家路を辿っていった。
成功
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