見えざる狂気は赫し夜に目を醒ます
狂っている。
狂っている。アイツは。
狂っている。俺がやらないと。
狂っている。だから、俺がアイツを――、
●
「落ちてきそうな月ですねェ」
虹目・カイ(○月・f36455)が月を仰ぐ。
耀く冴えた黄金の月だ。しかし月も、月と同じ彩したその双眸も冷めていた。
カイは知っている。猟兵になる以前は能力者であった。故に理解するのはここが特殊空間であるという事実。終わりのない夜、沈まず触れられそうなほどに近い月だ。
そして視線を落とせば、人の影が映るのだ。
見覚えがあった。
佇むその姿は、赤い三日月を携えて。
カイの知る姿と違うのは、瞬くごとに明滅するかの如く刹那、紅へと塗り替えられる瞳のみ。
「――鳥羽様?」
その名を呼ぶ。
鳥羽・白夜(夜に生きる紅い三日月・f37728)の名を呼ぶ。
慎重に、相手の出方を窺うようにして。だってここは特殊空間だ。己のように噂を聞きつけ足を運んだ――にしては様子がおかしい。
まるで彼こそが、特殊空間の主であるかのように見えるものだから。
「虹目か」
声は明瞭。
しかしその瞳は。
「俺がお前を、止めてやる」
「え」
赤黒く、澱む。
「――|起動《イグニッション》」
●
三日月が己の首を狙った。
それを認めたカイもまた、短く起動を告げて。
宝石にも似た刀身の薙刀で、受け止めた。
紅の三日月と金の繊月が、交わされる。
「鳥羽様、どうか正気に」
「正気? ……俺が?」
心底。
理解出来ない。――そう、明滅続ける白夜の瞳は語っていた。
「正気じゃないのはお前の方だろ!」
目を覚ませ。
今の白夜は心から、そう咆える。
カイは悟った。
ここは『そういう場所』だ。
迷い込む者を狂気に染める。能力者が言うところの『見えざる狂気』に、その症状は似ていた。
そうと解れば冷静に、淡々と。
くるり薙刀回して静かな瞳で紅を見据えて。
とは言え、猟兵としての実力は白夜の方が上。正攻法で勝ち目はなさそうだ。
「不本意なんだけどな……緊急事態だ」
普段の彼なら、変じない筈の真の姿。
紅い瞳に蝙蝠の翼。その姿はまさしく吸血鬼。
カイは原初の吸血鬼について考えを馳せたが、すぐにやめた。
彼は貴種の血こそ引いてはいても、銀誓館の能力者であり、猟兵だ。その存在とは根本的に違う。
思考する間にも、三日月はカイの頭上に降ってくる。早く止めなければ白夜の命さえ危うい。
薙刀で受け止め、往なす。流して、切り結ぶ。しかし真の力を解放した白夜は易々その動きについてくる。白夜主導で演舞でもしているかのようだった。
だがやはり、白夜の方が速い!
「戻って……来い!」
薙刀が跳ね飛ばされ、宙を舞う。
今や光を放つ刃は白夜の手にのみ在りその存在を主張する。
そしてがら空きになったカイの胴へと今度こそ、三日月は迫り――、
「……、え?」
かは、と。
白夜が空気を吐いた。
その脇腹へと、カイの脚が突き刺さっている。
「戦いとなるとお行儀悪くてね。失礼致しました」
酷く凶悪に、女が笑う。
これでも能力者時代はそれなりに場数を重ねた女だった。そんな女にとっては一瞬の隙があればいい。
糸で編まれた七色の化け狐が、白夜へと殴りつけるように突撃し、――それが、最後。
瞬間、ぱちりと見開かれた白夜の瞳に、光と元の彩が戻る。
その瞳に映る姿は、常軌を逸しているようには見えなくて。
「(――ああ、)」
そして、悟る。
「(狂ってたのは、俺の方だったのか……)」
月が砕けて、崩れる。
白夜の上にも降り注ぐ。
●
「――なんか色々ごめん!」
惜しげもなく拝むように両手を合わせる白夜に、カイは柔らかな苦笑を見せた。
「お気になさらないでください。一歩間違えれば、本当に私の方が狂っていたかも知れないのですから」
とは言うものの、どうにも落ち着かない白夜である。無事だったからよかったものの、やはり罪悪感は残る。
それにこのことが後輩達に知れたら大変なことになりそうだ。そちらの方はどうしようか、と思いつつも。
「……しっかしマジであの特殊空間ホント……何が悲しくていい歳して羽生やして見せないといけねーんだ、厨二病かよ俺は……!」
「まあまあ。格好良かったではございませんか」
「やめろ頼むから変に気遣わないでくれ……!」
カイの真意がどうあれ、真の姿を好んでいないことは事実なので、意図せぬ黒歴史製造に頭を抱える白夜。
けれど、はたと思い出して顔を上げ。
「虹目」
「はい?」
これだけは伝えねばと。
絞り出すようにして。
「あと……その、ありがとな」
告げれば、カイはきょとんと目を丸くしたが。
すぐに平素の穏やかな微笑みを向けて。
「どういたしまして」
斯くして、月は赫く染まらぬまま。
静かに、夜は明ける――。
成功
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