Candy Pop Absolute
●はじまり
――暗澹に月頂くダークセイヴァーの常夜をルキフェルは仮面の下で無感動に見上げた。
嗚呼、今宵もただ眩しいだけで月明りが煩わしい。
そんな月明りの下で愛しきM'ladyは、曲にあわせてちりちりと最近ご執心の鈴の音を幽けく響かせている。
乙女の祈り。それはまるで紡げぬ歌声のかわりようだった。
哀れ視覚は暗闇に閉ざされ、唇から音も紡げない彼女にも彼女なりの楽しみが出来たのならばよい。音を楽しむために遺されたのが|聴覚 《それ》だけなのが心が痛むが。
ふと、此方を向いて薄く笑み綻ばせるM'ladyの|顔《かんばせ》に過去の幻影が重なる。
恵みを齎すこともない茫としたその|月明かり《ひかり》、それがよく射し込むだけの場所を、月のよく見える場所ね、と彼女はたおやかに微笑んで。微笑んで。ほほえんで。
がたり、床に落ちた書物もそのままにルキフェルは安楽椅子から立ち上がった。M'ladyが気に掛けるがそっと制す。
「M'lady、少し出かけようか。なに、急用を思い出しただけだ」
頷く彼女を連れ立って再び見上げた常夜が、月が、嗚呼、やはり忌々しい。常夜すら光頂くことをゆるされているというのに、何故、彼女はそれすら奪われたのか。
――思い出せなかった。
此方を見て微笑む彼女の眼差しの甘やかさは覚えているのに、彼女の其の瞳の色をルキフェルは思い出すことが出来なかった。
ルキフェルの記憶からすらも彼女の光は奪われていた。世界は、何もかもを彼女から奪っていく。彼女が一体、何をした。
暗闇に灯るべきは常夜に在るだけの無意味な月ではない。確かに自分を癒していた彼女の瞳の色であるべきだ。
「そうだ」
(世界が貴女からすべてを奪うなら、俺は貴女のために世界からすべてを奪い返すだけだ)
思い出せぬならば集めればいい。彼女に相応しき色を見つければいい。
空にかかる五色の橋の麓に宝があるという詰まらぬ言い伝えになぞらえて、まずは五色、瞳でも集めてみようか。
自らの境遇の些事すら選べずにいた彼女だ、瞳の色を選べる自由くらいあってもいいだろう。
――そうしてその日よりルキフェルは、数多の無垢な魂だけではなく、M'ladyに相応しい|瞳《キャンディ》をも求めて、ふらりふらりと|常闇の世界《ダークセイヴァー》を彷徨う。
●例えばそれは、あかいあかいキャンディのとき
白い髪、赤い目で産まれた私たち|双子《姉弟》は、其の歪な容姿から吸血鬼との混血だと噂を立てられて、産まれた村では家族共々疎まれておりました。
私たちが齢五つになる頃には父は母と私たちを置いて愛人の元へ消え、しかし母は父を恨むこともなく私たちを愛しんでくれました。村人たちからの扱いは厳しいものでしたが、母のおかげで貧しいながらも幸せな日々を過ごしていました。
ある日、数日の長きに渡り母が留守にしていたときのことです。
本当の父だと名乗る見知らぬ男が家を訪ねて来てきました。
彼、いえ、父と名乗る其の男は、母が仕事中の事故で亡くなったこと、そして村人たちの噂は真実であることを伝えると、私たちを村外れの森にある小屋に案内して、其処での暮らし方を教えてくれました。
もう母に会えないことは悲しかったけれど、その分、彼が私たちを支えてくれました。
弟は、彼が父だと認めることこそ終ぞありませんでしたが、それでも私たちが知る父よりも長い時間を共に過ごした彼のことは嫌いではなかったようです。
幸せでした。幸せだったんです――。
(あなたたちが来る前までは)
そうして父と弟らしい男二人が炎にまかれて絶叫を歌う最中、姉の亡霊はM'ladyの傍らで囁きました。
「嗚呼、美しい色だ……貴様が持つには過ぎた代物だな」
既に息絶えた姉の身体からは真っ赤で可愛いネクタイと、その瞼の奥に隠された林檎のようなキャンディが、ルキフェルの手によってぶちりぶちりと刈り取られています。とても瑞々しくて美味しそうな音、と姉の囁きなど無視してM'ladyは微笑みました。
それでも尚、怨嗟を囁き続ける姉にM'ladyは言いました。こういうときばかりはネクタイが苦しくて、声紡ぐことはできないのが残念でなりませんが、それでもM'ladyは言いました。
知らないわ、知らないの。私にはどうだっていいことよ。私は彼とずっと一緒に居られたらそれでいいの、それがいいの。高貴で優しい彼が、訳もなく人々を手にかける筈がないもの。だから、私の傍らで囁く貴方は森に住む悪い魔女で、貴方の弟は魔女の家に人を連れ込む悪い悪魔で、貴方のお父様は連れ込まれた人を食らう悪い吸血鬼だったのよ。
そうよ、そうに決まっているわ。彼が何故、キャンディを集めているのか私は知らないけれど、私のために集めてくれているのは知っているわ。だから私はただ楽しみに待っているだけでいいの。それだけでいいのよ。だから、他のことは知らないわ、知らないの。どうだっていいのよ。だって私は彼とずっと一緒に居られたらそれでいいの、それがいいの!そう、それだけがいいんだもの!
だから知らないわ、知らないの。私にはどうだっていいことよ。
(貴女こそ魔女だわ)
姉は言いました。けれどM'ladyはやはり聞きません。だって姉が言う言葉は嘘ばかりなのですから。
M'ladyにとっての真実とは、いつだってルキフェルから紡がれる|虚言《言葉》だけなのですから。
やがて姉の肉体も火刑に処され、怨嗟の亡霊は魂として彼に回収されて消えていきました。炎の爆ぜる音が周囲を包みます。ルキフェルの収穫作業の終わりの合図です。
M'ladyは彼の肩にそっと手を添えました。
「嗚呼、帰ろう、M'lady。それで、貴女の好きなワルツを聴こう。この場所は少しばかり五月蝿すぎた」
ええ、ええ、今日はとっても五月蠅かったわ。傍らで魔女がずっとずっと嘘を囁き続けるの。■■■■は立派に役目を果たしただけなのにとても失礼だったわ。
「最近は人語を操る魔獣が多くて煩わしいな」
まあ、あれらは悪魔や魔女ですらなかったのね!獣のくせに卑しいわ。もう、はやく帰りましょう。そして、私の好きなワルツを一緒に聴くの。踊るかわりに鈴を鳴らすわ、■■■■は本ばかり読んでいるんだもの。私はお仕事の邪魔はしないのよ?
●誰も彼もが夢中になる完全無欠な|瞳《キャンディ》を求めて
例えば赤にも色々ある。林檎のような赤、沈む間際の陽のような赤、ルビーのような赤、そして血のような赤。
例えば橙にも色々ある。オレンジのような橙、金木犀のような橙、カーネリアンのような橙、そして星の煌きのような橙。
黄にも、緑にも、勿論、青にも。色の名前はひとつなれど、その名が示す色の差異は実に多岐に渡った。
まず集めるべきは五色と定めはしたが、同じ色ごとにわけた|瞳《キャンディ》詰め瓶の中だけでも実に見事な色彩のグラデーションを描いている。
しかし、これだけ集めてもどれがM'ladyに相応しいかがわからなかった。
――いいや、彼女のことだ。どれも相応しいに決まっている。ただ、自分が納得できないだけだ。
ルキフェルは棚に増えた瓶詰と、机に広げた鉱石の図鑑の写真を見比べた。宝石の類など詰まらぬものと興味はなかったが、集めるべき|瞳《キャンディ》の色の参考くらいには役に立つ。
「虹の色でも足りぬなら……」
飽いたら次は花の色の数だけ集めてみようか。花ならば宝石以上に色彩に溢れていることだろう。彼女にこそ相応しく、自分が納得できる色にいずれ出会う可能性はある。が。
「否。まだ、だ。更に集めるべきは、青か」
ルキフェルは室内に流れる美しく青きドナウを聞きながら、M'ladyがすっかり懐いてしまった男の瞳の色を思い出していた。
嗚呼、あの青に比べたら瓶詰の青の|瞳《キャンディ》はどれもこれもが色彩も輝きも劣るものばかり。常闇の世界だけをうつしてきた青は、暗く濁りすぎていた。
いっそ| 三十六世界《他世界》を渡って|瞳《キャンディ》を集めるべきか。次の世界の目星は既についているが、|常闇の世界《ダークセイヴァー》よりは慎重にならざるを得ない世界であることはあの男の話より察してはいた。
何はともあれ知らねば集めることもできなかろう、とルキフェルはそっとグリモアを起動する。
「M'lady、今宵も少し出かけようか」
相変わらず鈴を鳴らして遊ぶ彼女に声をかけ、その手を取る。こくこく、と楽しげに頷いて微笑む彼女を連れたって、そうしてグリモアが導く先は――。
はらり、一片花が散る。そこに二人の姿はなかった。
成功
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