食物文化研究同好会~現実は夢より奇なり?
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強烈な日差しが徐々に和らぎ、楽しかった夏の終わりを肌で感じる頃。
少年は夢を見た。
車窓に映っては過ぎ去っていく見慣れない景色を、子どもは不安そうに眺めていた。
先程から話していた父と母の喋り声が、赤ん坊の泣き声で中断される。ベビーシートに乗った赤ん坊を母があやす。
「スバル、もうちょい辛抱してな。あとちょっとで着くさかい」
――そうやった、と子供は“思い出した”。
俺は知花・飛鳥。今四歳で、「大人のつごう」ってやつで住み慣れた関西から引っ越すところ。
家族や家、それに近所や公園で時々逢うおともだち。ほんの小さなコミュニティで生きている子供にとって、引っ越しというものは大人以上に大きな出来事だ。
元々引っ込み思案な飛鳥にとっては、期待より不安の方がずっと大きかった。両親は「今より大きくて綺麗なおうちに引っ越すんやで」とか、「近所におっきな公園があるんやって」としきりに新居のいいところを話してくれたが、飛鳥の表情は沈んだままだった。
ただでさえ、澄春が生まれてから父も母も以前ほど飛鳥に構ってくれなくなった。
公園で遊んでも、同じ年頃の子どもになかなか「いっしょにあそぼう」が云えなくて。
向こうから声をかけて貰えても、緊張してうまく話せないうちにつまらないのか去ってしまったりして、一人でぽつんと遊ぶ日も多かった。
四歳の子供は寂しいという気持ちをうまく言語化する事も出来ず、「なんかおもんないなあ」という日々を送っていた。
それでも何度か顔を合わせているうち少しずつ一緒に遊べるお友達も出来ていたのに、その矢先での引っ越しだ。新しい場所で一から友達を作れるかもわからないのに、両親は飛鳥の通う幼稚園の話なんてものもしている。
――ようちえん。
ただでさえ不安でいっぱいなのに、いきなり何十人も同じ年頃の子どもがいる中に放り込まれるというのが恐ろしかった。
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辿り着いた新居は確かに大きかった。飛鳥と澄春と、それにもっと兄弟が増えても大丈夫なようにという事らしかった。兄弟が増えるという事が、まだ飛鳥にはピンと来ていなかった。澄春は確かにかわいいけれどまだ喋ったり一緒に遊んだりは出来ないし、弟というよりもおっきな子猫でも家にいるようなものだと思っていた。
引っ越して早々、あいさつ回りというものに飛鳥も突き合わされた。
飛鳥の母が近所の家のチャイムを押すと、ドアを開けて出てきたのは彼女と同じ年頃の女性だった。
何やら話し込んでいた二人が、どちらからともなく「そうなんですか!?」と声を弾ませる。どうやら隣の家の女性――イチノセ、というらしい――にも、飛鳥と同い年の子どもがいるらしい。飛鳥は興味と不安が入り混じったような気持ちになった。
「ミカド、ちょっとこっち来て」
イチノセさんの呼びかけでやってきた子供は、抹茶色の髪をした男の子だった。
きれいな顔やなあ、というのが飛鳥の第一印象だった。同じ年頃の、それも男の子にそういう印象を抱いたのは、多分始めてだったと思う。子どもながらにスッとシャープな目尻で、大人になったら母たちが「イケメン」と呼ぶような顔立ちになりそうだ。
「帝です、はじめまして」
ぺこりとその子が頭を下げて、まあ、しっかりしとるなあ、と飛鳥の母が歓声をあげた。それから飛鳥にも挨拶を促す。
「あ、飛鳥、ですっ」
緊張と、慣れない丁寧語に声がうわずってしまう。
イチノセさんや帝の話す言葉は、関西育ちの飛鳥にとってはテレビやネットといった画面の向こうでしか聴いた事がないどこか遠い言葉で、それがますます飛鳥を緊張させるのだった。
たまらず母の後ろに隠れる飛鳥に、母が苦笑を漏らす。
「元々人見知りの強い子なんですが、下の子が生まれてからますます甘えん坊になっちゃって。あんまり構ってあげられへんからかなって心配しとるんですけどね」
「大変ですね。うちも共働きだし一人っ子なので、帝に寂しい想いさせてるんじゃないかって。このくらいの子って難しいですよね」
同い年の子供の子育て中という共通認識がそうさせるのか、初対面にしては突っ込んだ話題で盛り上がる母たち。
「あの、もし知花さんがよかったら、協力しあえるところは協力しあいませんか」
「えっ、いいんですか?」
「お互い様ですよ。飛鳥くん、よかったら帝と遊んでやってね」
「ありがとうございます! 帝くんもいつでもうちに遊びに来てな」
こくりと頷いた帝が、飛鳥へと手を差し伸べる。
飛鳥が反射的に身体を強張らせてしまったので、それ以上無理に近寄っては来なかった。
その代わり、真っ直ぐに目を見て云うのだった。
「よろしく」
ゆっくり、飛鳥の緊張を和らげるような話し方だった。
人見知りな飛鳥だが、この子とは仲良くなりたいという想いが湧きあがって来た。
「よ、よろしゅうな」
勇気を振り絞って、自分からその手を取ったのだった。
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それから飛鳥と帝は急激に仲良くなっていった。
両親共働きの帝がよく知花家に遊びにきたからというのもあるが、一番の理由は帝がとても話しやすいからだった。
周りの子より大人びている帝は、飛鳥が緊張してうまく喋れなくなったりしてもバカにしたりせず、「ゆっくりでいい」と待ってくれた。父や母みたいに安心して接することが出来るし、そしてもちろん同い年だけあって一緒に遊ぶのがとても楽しかった。
「ミカドくん!」
「呼び捨てでいいよ。俺も飛鳥って呼ぶ」
「ミカド!」
「ああ」
「なあ、ミカ!」
「なんか女の子みたいだな。別にいいけど」
どこに行くにも、飛鳥は帝の後ろにひっついていた。
親たちに連れられて行ったちょっと遠くの遊び場で、初めて見る遊具を飛鳥が怖がっていた時も、率先して帝が遊んでみせてくれたから飛鳥も楽しく遊ぶことが出来た。
「へへ、ミカだーいすき!」
そんなある日の事だった。
いつものように家を訪ねてきた帝が帽子を被っていたので、飛鳥は質問した。
「外に遊びに行くん?」
「公園に友達がいる。今から行って仲間に入れてもらおう」
「えっ、嫌や。こわいもん」
即答だった。
帝となら積極的に関われるようになった飛鳥だが、やっぱり相変わらず他の子供相手には緊張してしまう。
そんな飛鳥に、帝は優しく云うのだった。
「大丈夫、俺がいるから」
帝が云うと、本当に大丈夫なんじゃないかという気がしてくる。それに――
(「ミカにつまんない子ってゲンメツ? されるんは嫌や」)
勇気を振り絞って、でもやっぱり帝の後ろにひっつくようにして、飛鳥はいつもの公園に行くのだった。
「お……多い!」
公園で帝に手を振る人数を数えて飛鳥はびっくりした。
せいぜい一人か二人だと思っていたのに、帝の友達とやらはざっと五人はいた。
(「ど、どうしよ……」)
大勢の輪に入っていくのが怖くて、飛鳥はますます身体を縮こませる。
隠れたつもりだったのに、帝の友達の一人、やたら体格のいい子供が目敏く飛鳥をひょいと覗き込んできた。
「おー、帝だー! あれ? 後ろのそいつ誰?」
「この前引っ越してきた飛鳥だ。ほら飛鳥、自己紹介して」
「うっ……」
――緊張する。するけれども、ミカの友達なら、きっと悪いやつじゃない、と思う。
「……えっと、ちはなあすかです。い、一緒に遊んでもええ……?」
蚊の鳴くような声だった。
でも帝の友達はにぱっと笑ってくれた。
「飛鳥かぁ、よろしくな! じゃあみんなでサッカーしようぜ!」
「……うん!」
一度勇気を出して輪に入ってしまえば、そこは子供同士。そして飛鳥も大好きなサッカーという事もあって、すぐに仲良くなれた。
(「あいつらともいっぱい遊んだな。せやけどやっぱ、子どもの頃ってすぐに引っ越しやらで離ればなれになってまうんやんな。今でも一緒なのってミカだけやさかい」)
幼児ではない誰かが、そんな事を思い起こしていた。
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そしてまた、ある日のこと。
「うぇぇんミカ助けてぇぇぇ!」
「? どうした飛鳥」
「これ取って取ってー!!」
飛鳥がパニックになっているのは、肩のところに虫が止まったからだった。
「それてんとう虫だぞ。別に悪いこと何もしないぞ」
「でも嫌なんや! はよしてー!!」
てんとう虫が首元の方にゆっくり動いてきたので、飛鳥はますます涙目になってしまう。
「しょうがないな」
しっしっと帝が手で追い払うと、てんとう虫はあっさりどこかに飛んでいった。
「ん、もういないぞ」
「ひっく……ほんまありがとぉ。ミカ大好き~!」
「大袈裟だな」
どんなに小さな虫でも怖がる飛鳥をバカにしてくる子はたびたびいた。両親だって「男の子なのに怖がりなんだから」なんて呆れてくるほどだった。
でも帝は決してバカにしなかった。だからますます、飛鳥は帝を頼るようになった。
今でも正直虫は苦手だ。てんとう虫が止まったくらいで大泣きする事はないが、でもやっぱりかなりビビる。帝に助けて貰う事に慣れ過ぎていて、克服する機会がなかったのかもしれない。
(「あの頃からミカはそうや。俺がどんなしょうもないお願い事しても、絶対に嫌がれへんで聞いてくれたな」)
――そして、またある日のこと。
いつものように泣きじゃくっている飛鳥を帝は宥めてくれていた。
誰かと喧嘩したのかとか、いじわるな奴におもちゃを取られたのかとか聞いてきてくれたが、飛鳥の泣いている原因は違った。
「……ミカともいつかバイバイせなあかんのかな」
「ん? どうして?」
父から聞いた話がショックで飛鳥は泣き出してしまったのだった。
子どもの頃一番の親友だった友達が、親の都合で転校してそれきり逢えなくなってしまったという。
そういえば関西で何度か遊んだ子達だって、もうそれっきりだ。帝のように親同士の付き合いがあったわけではないから、住所も電話番号もわからない。
子どもの友達付き合いは、所詮その程度なんだろうか。でも飛鳥にとって、帝がいない状況なんて考えられなかった。帝がいたからこっちでも友達ができたし、毎日が楽しいのに。
「俺はどこにも行かない」
いつものように優しい口調で帝は云ってくれたけれど、どんなにしっかりしているといっても彼もまだ幼い子供だ。帝の意志だけではどうにもならないことは飛鳥にもよくわかっている。
「……そんなん、わからへんやん」
「もし引っ越したりしても、絶対手紙書くし、電話するし、もうちょっと大きくなってスマホ買って貰ったらメッセも送る」
「それだけじゃ嫌や」
駄々をこねるように飛鳥は泣いた。帝も押し黙ってしまった。
どうしたらミカと離れ離れにならずに済むんだろうと、小さな子どもは一生懸命考えた。
そして思いついた。どんなに引っ越ししたって、父も母も弟も一緒だ。
家族なら、ずっと一緒にいられる。
「俺、大きくなったらミカと結婚する」
「結婚?」
いつも表情の薄い帝が、この時ばかりは目を丸くするのが見えた。
「そしたらずっと一緒にいられるんやろ?」
「……そうだな」
その時の帝は少し動揺しているようだった。
今にして思えば、パニックになった飛鳥が変な事を口走っているだけなのだから「はいはい」と適当にあしらわれても仕方がなかったと思う。
動揺していたということは、それだけ真面目に飛鳥の話を聞いてくれていたということだろうか。
ミカらしいなあ、と、また子どもではない飛鳥が呟いたようだった。
「じゃあ、大人になるまで飛鳥が覚えてたら、しよう」
「ゼッタイ忘れへんって! ミカと離れたないもん!」
差し出された小指に、自分の小指を絡める。
――そこで目が覚めた。
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「……夢、かあ」
高校生の飛鳥はベッドに寝ころんだまま独りごちた。
時計を見るとアラームの15分前。二度目を決め込むには中途半端な時間だ。
ぼんやりと部屋の灯りを眺めながら夢の事を思い出す。
「なんや、随分懐かしい夢やったなあ。そやった、あの頃の俺ってすごい泣き虫で、ミカがおらんとなんも出来へんかったっけ」
今でこそ自分は友達が多いタイプだが、それは帝があの時のように飛鳥と他の子供たちが触れ合う機会を作ってくれたことも大きい。学校にも行っていない年頃の子供にそんな気遣いが出来るものなのかと今になって驚かされるが、相手がミカである事を思えば納得もいく。
昔からすごく大人びていて、表情は淡々としているけれどとても頼りがいのある、優しい帝。
「いつも一緒で、あの公園で遊んで……今見るとなんてことないフツーの公園なんやけど、当時は小さい遊園地くらいの感覚やったなあ。立派な滑り台があるし、みんなでサッカー出来るくらいの広さもあって」
覚えていたことも、夢をきっかけに思い出したこともある。
親たちにしてみれば飛鳥はまだまだ子どもなのだろうが、それでも本当に小さかった子ども時代というのは随分遠くなったものだ。
寝返りを打って、飛鳥はまた夢の続きを思い出そうとした。
「そんで、ミカと離れとうないって駄々こねて、結婚するって……。……けけけ、結婚!?」
ぼっと顔が赤くなった。“夢の中の自分”というものは、得てして突拍子もない行動に出るものだ。しかも夢の中なので、周りが勝手に辻褄を合わせてくれたりもする。そういえば夢の中の帝も、あっさり承諾してくれていた。そんな、バカな。
|まさか《・・・》、|本当にあの頃の自分がミカに結婚するなんて云ったわけでもあるまいに《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》。
「……随分変な夢やったなあ」
そりゃあ、帝と結婚したら毎日が楽しいだろう。
帝は気が利くし、優しいし、おまけに頭がいい。困りごとがあっても帝に相談すれば大体助けてくれる、と飛鳥は思っている。
両親共働きの帝は飛鳥の家で夕食を食べる事もあったから、食の好みも近い。
ずっと一緒にいるから今更細かい事で揉める事も殆どないだろうし、一緒に居てリラックスできる相手というのは大きいと思う。人生のパートナーとしてこれだけぴったりの存在もなかなかいない気がする。
でもそれは、恋愛感情だとかそういうものを一切考えず、あくまで本当に結婚したらという前提で想像してみただけだ。本当に結婚するわけなんてないのだから。
「ほんっと、ヘンな夢やったなあ。そういやこないだもヘンな夢見たなあ。なんでかコスモレンジャーの追加戦士がパンダっちゅう」
あれもミカに話したらちゃんと聞いてくれたなあ、くだらない話やのになあ、と飛鳥は思い出す。とりとめもない思考はどんどん逸れて行って、飛鳥は今朝見た夢の事を徐々に忘れていった。
その筈だった。
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その日、学校で帝が女性教師と話しているのを見た時、飛鳥は再び夢の事を意識してしまうのだった。
(「結婚かあ。そういえばミカってどんな女の子がタイプなんやろ」)
その女性教師はまだ二十代で、美人というほどではないがふわふわとした可愛らしいタイプの先生だ。密かにファンだという生徒がとても多い事を飛鳥は知っている。
(「ミカもあのセンセ気になったりするんかなあ。それに男子校だからあんま意識してへんかったけど、共学やったらミカってきっとモテるよなあ」)
涼しげな目元によく似合う眼鏡。印象を裏切らないクールさ、聡明さ。それに、冷たそうに見えてとても頼りがいがあるというギャップ。
(「……いかにも女の子が好きそうなタイプやんなあ。ミカもいつかは誰かと付き合うて結婚するんかな。昔のミカを知らん子と……なんか、それ、嫌やな」)
ちく、と胸の奥が痛んだ気がした。あれ、と思った。
(「なんでモヤっとるん俺?」)
ミカが誰を好きになって、誰と結ばれたとして、そんな事は自分には関係ない筈なのに。
そういう自分だって、まだ恋愛感情というものはピンと来ないけれど、いつかは誰かを好きになるのかもしれないのに。
「飛鳥?」
話を終えたらしい帝が声をかけてきた。
「ずっと黙ってどうした? 具合でも悪いのか?」
「えっ!? い、いやいやそんなことないで!」
一瞬、この前みたいに面白おかしく夢の事を話そうかと思った。
子どもの頃の夢を見た、実際にあった出来事が殆どやったのに、何でか最後だけ俺がミカに求婚する超展開やったんや! なんて。
無表情の帝だって、さすがにぷっと噴き出してしまうかもしれない。
そしたら夢の中みたいに「俺ミカと結婚するー」なんておどけてみようか。
帝がまたいつもの淡々とした口調で「いいぞ」なんて即答して、飛鳥が爆笑するのだろうか。
愉快なやり取りを想像する。なのになぜか全然楽しい気がしなかった。それにやっぱり、話したら帝に変な目で見られてしまう気もする。それは、嫌だ。
(「あー、なんかミカの顔直視出来へんなあ。なんやろ、後ろめたいんかなあ。なんか違うな、何なんやろな……?」)
「ヘンな奴」
いつもは敏い帝がこの時ばかりは鈍い事に、ほっと肩を下ろす飛鳥だった。
成功
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