心満たすは同じ|音《あい》
封神武侠界にも夏は存在する。夏を迎えれば当然平均気温は上昇し、春の頃よりも熱と鋭さを増した陽射しが降り注ぐ。
それは御簾森・藍夜(雨の濫觴・f35359)と楊・暁(うたかたの花・f36185)が過ごしている場所も同じだ。雲一つない青空から輝くような緑に染まる谷へと降り注ぐ陽射しが、全てを照らしている。
けれど二人を包む空気と風は心地よく、むしむしとした湿気も存在しない。
それも当然の事。今二人がいるのは川をゆく屋形船の中。壁と天井が陽射しを遮り、水面の上を翔けて冷やされた風が窓から室内へと流れていく。
「船なんて作戦で乗ったくらいだ。しかも|屋形船《こんな》じゃなかったし」
「船なぁ。案外乗らんな、船」
離島住まいではなく、漁業や海運業に勤めてもいない。船とは縁遠い生活をしている二人の目は、室内を緩やかになぞっていく。
風の出入り口である窓は大きく、外の明るさと風を招く為に窓掛けは外されている。そこにはめ込まれている窓枠は花や鳥が浮かぶ透かし彫りが見事で、木の机は磨かれて珠のようう。掛けている椅子もまた、窓枠のような彫物が優美な曲線を作っていた。
扉には都の様子と詞が描かれた美しい掛け軸が――という具合で、川の流れが生む穏やかな揺れや水の音がなければ、ここが船の上という事を忘れてしまいそうなほど。
「……こんなのんびり乗る日が来るなんてな」
「良いんじゃないのか、今まで散々頑張ったんだ」
「ふふ、ありがとう」
天気は良く風も気持ちいい。安らぐ心地のまま暁は藍夜に靠れ――、
「失礼致します。お食事をお持ち致しました」
扉の向こうから控えめに掛けられた声。途端にぴんっと立った狐耳と尾は、藍夜の目がバッチリ捉えていた。
「おっと、言ってる間に来たぞお楽しみが」
「待ってました点心!」
しずしずと運び込まれ、机の上へと並べられていく料理達。香りと共に華やかさを増したそこに暁の視線は釘付けで、尾がぱたぱた舞うように揺れる。
「わぁ……すげぇ、どれも美味そう」
鹹点心に甜点心――他にも沢山。机の上を華やかに飾る料理は全て、数多あったメニューの中から暁が選んだ王道ばかりだ。
「全部食うぞ、藍夜!」
「ああ。しかし、蒸し料理って簡単で良いよな、今度家でもやろう」
問題は皮の用意で――いや、そこは商店街の李爺さんに頼めば間に合うな。シリアスな顔で計算する藍夜である。
(「たぶん心音が強請るとあの爺さん二つ返事だろうし」)
心の中で「ヨシ!」のサインがキラリとした後。焼売、鮮蝦餃、蘿蔔糕と、二人の箸が出来立て料理を持ち上げては口に運び、それぞれの目を輝かせた。
「もちもちしてて美味ぇ! 叉焼包も肉に味が染みてる……!」
「~~っ、あっふぃっ! でもっ、うっま……!」
食べた瞬間に覚える『美味い!』。思わずはふはふと呼吸してしまう熱さ。
藍夜がまず気に入ったのは小籠包で、黒酢につけて針生姜を添えてのスタイルが止められない。暁も匙に乗せた小籠包へ軽く箸を入れ、溢れたスープに口をつけた瞬間、尻尾の毛がぶわっと逆立てながら味わった。
「っあふっ……ふふ、ジューシーだな」
何個でも食べられそうだけれど、次は別のものを。
どれにするかと並ぶ料理を順に見ていた藍夜の目が、真っ白な饅頭に止まる。
「心音。そのダンウォンなんとかって、蓮の実の?」
「そう、蓮の実。中の黄色い奴は黄身なんだ」
「へえ。色味はカスタードだが違うな、これはこれで」
両手で割って現れた満月を包んでいる餡が、蓮の実から出来ているという。暁の解説をお供に味と情報をふむふむとインプットした藍夜の好奇心は、暁という先生を隣に次へ移った。
赤くてサクッとしていそうなものが、ぴょんと上向きになっている揚げ物。これの名前は確か――。
「心音、そのフォンメイ……えっと海老の尻尾のそれ」
「あはは、鳳尾蝦多士な」
「それも中華なのか? 意外だ。土台パンだろ、これ」
「そう、海老のすり身乗っけて揚げた奴。これも美味ぇんだ」
「ザクザクして美味そう……心音、あーん」
口開けて待つそこへスムーズに運ばれゆく海老の尻尾のそれのお味は、予想通りの歯応えと一緒に、暁が言った通り『美味』の二文字が燦然と輝くものだった。
暁は幸せそうに頷き味わう様を目を細め見守った後、そうだ、と一つの皿に手を伸ばす。
「藍夜はこれ食ったことあるか? 香芒班柳巻」
「ヒョンモン……? ないな」
白っぽくてふわふわとした平たい棒状の見た目は、サンドイッチで春巻きでというか、何というか。ヒョンモンバーンラウグン、という響きから中身を推測するのも難しく、不思議そうに見つめていた藍夜に暁がニヤリと笑う。
「マンゴー入ってるぞ」
「へぇマンゴー……マンゴー?!」
見事な二度見と素晴らしい反応に暁の肩が震える。
マンゴーといえばこれという鮮やかなイエローは見当たらないものの、白身魚とマンゴーを使ったという組み合わせは成る程と納得出来た。肉にフルーツソース。それと同じだ。
「春巻きは美味いよな偶に食いたくなるし。あ、心音揚げたてなんだからほら二つに切れ、口火傷するから」
半分にすると、とろりとした橙色が顔を覗かせる。これがマンゴーかと藍夜は納得しながら、「あー」と開けて待っていたそこへと大切に届けた。はむっと閉じた口の中で揚げたての皮が割れる音がする。味わう暁の尾はというと――ご機嫌にぱたぱたしていた。
「ん~~皮がぱりっと中ジューシーで幾らでも食える……! なあなあ藍夜、次はどれ食う?」
輝く眼差しはどれも気になって選べない。そんな暁に藍夜は表情を綻ばせながら、気になっていた皿を手に取った。生地に練り込んだ具材がうすらと見えるクレープのような料理は、食べやすいようにと切り込みが入れられている。
「あ、俺これねぎ……じゃなくてチョン、ヤウ、ベン?」
「ああ、葱油餅か?」
「そう葱油餅」
「ふふ、はいあーん。んー……俺はそっちのがいい」
「ほら心音、あー……」
互いに『あーん』をしあえば、ぱりっとした歯応えの後すぐに来たもちもち食感。香ばしさも味わったそこに、デザートが運ばれてきた。
新たな蒸籠と皿の群れ。入れ替わり並べられていく数に藍夜は笑い、心から楽しそうにしている暁を見て目元を和ませる。
(「こういうところに行こう、っていう勇気が出なかったといえば、そうだったのかもしれないな」)
過去を思い起こさせるかも。どうやらそれは杞憂だったらしい。
「凄え、蛋撻に奶黄包、双皮奶や芝麻糕、芝麻球もある!」
「ダー……これエッグタルトか、見たことある」
「で、最後の〆はこれ、寿桃包!」
「桃まん! それは知ってる。中身は知らんが……」
どこからどう見ても立派な桃まん。けれど中身はどうか。割ってみるとしっとりとした白餡が詰まっていた。香りは――うん、これは桃! 暁は尻尾をぱたりぱたりとさせながら並ぶデザートを順々に見ていった。
「藍夜が食えそうなのは……芝麻糕はどうだ? そんな甘くねぇぞ?」
「ん? ジマ? これか、餡子……ではないのか、意外だ」
「芝麻は胡麻の事だ」
「あっなるほど胡麻……黒胡麻か」
見事な黒色のそれを箸で摘めば意外にも柔らか。ひょいと口に放り込めば――、
「ん、あっほんとだ案外中々お茶と合うな」
美味い、と自分を映して煌めく目に暁は笑い、同じように口に放り込んで――少しばかり昔の事を思い出した。
「こういうの、上官達が食ってるの見てずっと食ってみたかったんだ。でも、勿論あっちにいた頃は叶わなくて……日本に来たら来たで、そんな欲すら忘れて不抜けてたから」
上官。ああ、と藍夜の目がすうっと凪いで冷たくなる。
「……いけ好かない狐共か。心音の良さに一切気付かない上官を褒めてもいいが半面腹は立つので二三いや二三十発殴りたい」
「桁増えてるぞ?」
「大丈夫だちょっと手が滑る程度だから。おれだっておとなだからな」
「そうだな、大人だな」
「……心音、おいで」
くつくつと笑った暁は藍夜に手を引かれるまま膝に乗り、自分を抱き締めるその背へと腕を回した。温かさにほうと息を吐いたのは、多分、どちらもだ。
「全部美味かった。俺も知るメジャー所も選んでくれてありがとう、心音。食べやすかったし楽しめた」
「良かった。お前に喜んで貰えて嬉しい。罹ってから横浜中華街に食いに行って、美味かったからさ」
「横浜……なるほど、行こう。案外近くて行くの忘れてた、すまん」
「藍夜が謝ることじゃねぇだろ? でも、うん、行こう」
甘えるように寄り添う体が、こんなにも温かい。それを始めに覚えたのは、いつだったろう。
「俺は一人飯じゃなくなって、本格的に心音と暮らし始めて毎日が楽しいし幸せだ」
両親を亡くし、義祖父を失くし、日々の食事は栄養バーやゼリーばかり。焦がれるほどの憧れに近付きたくて山程の書籍を読んだ。商売で声は生きても表情は死んでいて――それが今はどうだ。
「“一緒”っていいものだな。これは一人じゃ絶対に分からないものだ。教えてくれてありがとう」
「俺だって、お前には礼を言っても言い足りねぇ。藍夜と一緒に食事して……店やって、毎日楽しいのも、安心して寝られるのも……全部、お前がくれた幸せだ」
大陸妖狐軍だった頃の食事は兵である自分を生かす為だけのもので、満足な教養も与えられず安寧からは当然程遠い日々ばかり。眠る時すら幽かな音で目が覚めて――死地にと焦がれた日本にて敗残兵となってからも日々は後悔に塗れ、温もりに彩られる事なんてなかった。
安寧を得たのは、自分が知らなかったものの名と形を教えてくれたから。
「ありがとう」
腕の中で咲いた笑顔は控えめで。けれどその温かさに藍夜も笑い、暁の前髪を少しだけどかして口付けを落とせば――愛が詰まった口付けで、控えめだった笑顔は幸せいっぱいの彩に染まりきる。
成功
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