あの日見た星の名を
●寂寥たる流れ
時は流れる。
どんな存在にも時は流れている。けれど、それを体に溜め込むことのできる者とできないものが居るとするのならば、不死の仙人というのは、時を体に溜め込むことのできない者のことを言うのかも知れない。
己の体がそういうものである、とノーメン・ネスキオー(放浪薬師・f41453)と理解している。
歳を経ることのない肉体。
それ故に奇異なる視線に晒される前に立ち去る。
常なることだった。
別段大変だと思ったこともない。放浪たる薬師。それが自分の身分というものだ。
とは言え、拠点というのは必要だ。
管理が大変だという点には目をつむるとしよう。今日は、そんな拠点の一つである家財を押し込んだ屋敷へと戻ってきていた。
「おや」
ノーメンは黒布に覆われた顔の奥で意外な表情を浮かべた。
其処に居たのは見知った……いや、見知った、とは言え彼女の知る頃より顔の皮膚に皺が深く刻まれるようになった御老体であった。
「御老公、今日はどうしたんだい? 薬が切れるのはまだ少しあると思うんだけれど」
そう声を掛ける。
だが、反応が遅れている。側に居た黒と黄色のに色に別れた髪色をした偉丈夫が老体の耳元で何事か捺さ約と、御老公と呼んだ彼が目を開いてノーメンを迎える。
「おお、待っておったぞ、ノーメン」
「耳が遠くなってしまったんじゃあないかい。それに顔の皺だって岩みたいになっているよ」
軽口を言ったつもりだったが、ノーメンは黒布の奥で、しまった、とも思った。
御老公と呼ばれる彼は自分の不老である体のことを知っても、特別何か態度を変えるでもなく、また同時に彼女を排斥するようなことはしなかった数少ない知人の一人だ。
彼の前だとどうしてもこんな軽口を叩いてしまう。
「ぬかせ……とはどうにも言えぬようになってしまったらしい」
「昔はあんなに気骨があったじゃない。忘れるような歳じゃあないだろう?」
「いや、死期、というものは年を経れば感じ取れるようになるらしい。わしもそう長くはない」
「縁起でもないなあ。ああ、どうだい。こっちに立ち寄ったということは時間があるんだろう? 酒……は、まあ少々はいいだろう? 飲みながら話でも」
ノーメンの言葉に御老公は頭を振る。
今日此処にいるのは、そうした用向きではないのだと彼は言う。
では、何を、と問うと一歩、偉丈夫が前に出る。御老公の耳元でノーメンが戻ってきたことを伝えていた男性だ。
いや、男性ではないな、とノーメンは思った。
姿形は男性であるが、それは球体関節人形の類だ。御老公は錬金術師であった。
その研究の過程でいくつかの人工生命体を生み出したことは酒の席で聞いたことがあった。恐らく、彼もまた其の一つなのだろう。
「アベレ・アエテルニタスと申します」
慇懃無礼、という言葉がしっくり来る応対であった。
「ふむ。私は……」
「ノーメン・ネスキオー様。そう主から伺っております。薬学に精通されておられると。主の服用される薬の処方も」
「そうだね。それで、彼を紹介してどうしたっていうんだい?」
まさか、とは思った。
死期を悟る、と彼は言っていたのだ。ならば、つながる点と点というものがどういうものであるのかを察することができないわけではないのだ。
「こやつを引き取ってくれんか。いや……こやつを受け入れてはくれないだろうか」
その言葉にノーメンは若き日の御老公の姿を幻視したことだろう。
学ぶことへの真摯な視線。
思い出してしまう。
だから、ノーメンは軽口が叩けなくなってしまっていた。
喉に支えたものがあったからでもあるけれど。
「……君の頼みとあらば、と格好良く言えたらよかったけどね。いいよ。構わない。どうせ、私ならメンテナンスもできるって見込んでの事でしょ」
「話が早くて助かる。君はいつだって闊達だな。そこが好ましいと何度思ったことか」
「御老公、そういうのはもっと早く言うべきだってことだよ」
「ふふ、まあそう言うな。年を経たから吐き出せる言葉もあるのだよ。知っているだろう?」
「そういうことにしておいてあげるよ」
二人のやり取りに『アベレ・アエテルニタス』は自分の処遇が決まったことを知る。
「よろしくお願いいたします。ノーメン様」
主、とは言わないのだな、とノーメンは黒布の中で彼が未だ主である御老公の死期が近いことと折り合いをつけている最中なのだと知る。
そこまで考えてノーメンもまた自分も同様なのだと思うのだ。
「なに、近いうちにまた立ち寄らせてもらうよ。それくらいの分別は弁えている」
「そっか」
だとしたら、寂しくなるな、とは小さく呟くだけにとどまった。
年老いて耳の遠くなった彼。
彼の耳にはきっと届かない。
けれど、ノーメンは、若き日の頃の彼の眼差しを見ただろう。
黒布越しの視線。
ああ、と思う。
そこにノーメンは星を、永遠の名を冠する星の輝きを見た――。
成功
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