うたっていただけの〜Bestia liberata〜
「当時の話は、私も与えられた情報から事実として知っているだけなのだけれどね」
リユラ・リュリラ(落陽と宵闇の隙間・f27592)は語り始める。宛ら吟遊詩人のように。
その|橄欖《ペリドット》の瞳で、ここではない、何処か遠くを見つめて。
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ヒーローズアースのとある実験施設。
この施設では『人工的に神を創り出す』ことを指標として掲げ、その前段階的な試みとして『強化人間と獣の交配及び接合』という非人道的な実験が行われていた。
強化人間の身体を作り変え、神獣を祖に持つとされた獣との交配を可能にし、そこから新たな強化人間が生まれれば、片親となった獣の部位を継ぎ接ぎする。そんなお粗末で、非道な人体実験だった。
だが、ある日。
強化人間と思われていた実験体の中に、本物の女神が混ざっていた。恐らくは、力が弱く強化人間だと施設の人間が思い込んでいたのだろう。
その女神から、リユラという存在は生まれた。神の翼を持った彼女は獣の角を埋め込まれ、その瞬間に『人工の神』として、研究員らに認められた。
研究施設が壊滅したのは、その翌日。
女神を憐れみ、リユラに絆された、研究に関してはとんと無知ではあったが、真面目で正義感の強い、助手の青年が手引をした。女神は歌の力で実験体らを鼓舞し、彼らと共に施設を破壊し脱出した。実験は明るみに出、研究員らは法の裁きを受けることとなった。
青年と女神は夫婦となり、まだ赤子であったリユラと慎ましくも平穏に暮らしていた。
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「さて、ここからが私の記憶の始まりなんだ」
物心ついた時には、リユラはとある教団――確か豊穣の神獣教団と言ったか。今はもう存在していない教団なので、然程重要な情報ではない――が拠点とする神殿に囚われていたと言う。母と義父がどうなったのかは覚えていない。
何処から嗅ぎつけたのか、教団の幹部がリユラの存在を知り、教団員の信仰の拠り所とする偶像として、リユラを両親から引き剥がしたらしい。
リユラは巨大な鳥籠に囲われ、教団員らに『獣の聖母』と呼ばれ祈りを捧げられる日々を送った。リユラはと言えば自由はなく、することもなく、戯れに歌えば教団員らは歓声を上げて跪いたものだった。
歓喜も嫌悪も、そこにはなかった。リユラにとってはただただ虚無だった。彼らはリユラも、リユラの歌も求めてはいない。届かない。ただ『獣の聖母』の博愛を、この歌に投影しているだけなのだ。己に都合のよい解釈で。
いっそ死ねればこの虚無も収束するのだろうか。茫洋と、そんなことを考えたこともあった。だが、それもすぐにやめた。己に流れる神の力が自死を赦しはしなかったからだ。そう、造られたものでもこの身は確かに神だったのだ。
自らを終わりに出来ないのなら――いっそ。
ふと思い立って、それを試してみた。思いの外、あっさり叶ってしまったものだから拍子抜けしてしまった。
ああでも、ヒトは嫌いではないのにな。寧ろ好ましいくらいだ。いや、これも濡れた手で拾った資料を読んで、義父のことを知った今だから、そう思うのだろうか。どちらでもいいな。
信徒の血に濡れた手で、リユラはそんなことを刹那、思案した。
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鳥籠は既に壊れ、吊り鎖は千切れて神殿の床に転がっている。
リユラの記憶の中に、外の景色はなかった。ゆるりゆるりと歩を進め、宛もなく彷徨えば遂に神殿の出口が見えた。
足を踏み出せば、太陽が眩しかった。
額に手を翳して空を仰げば、広がったのは赫い、あかい――黄昏の空。
(「――綺麗だ」)
初めて、そう思った。
何かを綺麗だと、そう感じた。
記憶に刻まれた、初めての外の世界は、その光景は、泣きそうなほどに美しかった。
(「ああ、叶うのならば」)
もっと。
美しい空を、景色を、この目で見たい。
その為の脚も、翼も、自分は持っているのだから。
籠の鳥も、獣の聖母も、もうここにはいない。
ここから、歩き出すのだ。『リユラ』として。
資料にあった、母からの唯一の贈り物。
その名と、共に。
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昔の話はこれでおしまい、と。
リユラは静かに目を閉じ、その語りを終える。
「今はこうして、世界を巡っているよ。グリモアの力も得たことだし、ヒーローズアースの外の世界にだって行ける」
三十六の世界を股に掛ける、旅暮らし。
未だ見ぬ世界にも、いつか行けると信じて。
「色んな景色を見たいんだ、この目でね。特に空の色の違いと、自然が作り上げた絶景が好きなんだ。最近では写真術を覚えようか、なんて考えているよ」
まだ検討段階だけどね、と微笑みつつ。
「……ああ、折角の紅茶が冷めてしまったね。それを飲んだら注ぎ直そう。お茶菓子も遠慮なく食べてくれていいんだよ」
そう言って、紅茶とお菓子を勧める彼女の表情は。
とても活き活きとしている、ように見えた。
成功
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