●戦いの裏側で
屋敷に吹き込む風が少しだけ涼しげなものに変わってきたのを『夏夢』は思う。
秋、と言うにはまだ残暑の厳しい日々である。
朝晩は冷え込むのだとしても、昼間はどうしたって陽射しがまだ強烈なのだ。
「ええと……」
今、『夏夢』は屋敷の主の留守を言いつけられている。
猫である『玉福』のお世話もしなければならない。けれど、それが苦であると思ったことはないのだ。
彼、彼女、性別が不明な幽霊である『夏夢』は、それとは別なところで困っていた。
そう、食事である。
宅配を頼んでも良いとは言われているのだが、どうにも気乗りしない。
自分で作る、という発想はなかったし、またできるとも思わなかった。
とは言え、宅配を使うと量の問題であるとか、味付けの問題で尻込みしてしまう。それに自分は少食なのだ。
「レトルトが一番簡単なんですよね……」
量もこれ一食を二度に分ければ二食分になる。
横着な、というように『玉福』が鳴く。
「ち、違いますよ! 私には量が多いんです。少しの量で存在を維持できるというのは強みになりませんか? なりますよね!?」
「にゃあ」
自分にそう力説されても、猫であるので食費だとか燃費だと言われてもわからないし、例え理解していたとしても、どうでもいいことだった。
なので、それはそうと自分の食事のカリカリをよろしく、と自動エサやり器を小突く。
まだ食事の時間ではないのだが、食べたいと思ったのならば、食べなければならない。猫なので。
「にゃあ」
「あ、はいはい。補充ですね……ってダメですよ! 一日の量は決められております! 勝手に量を増やしては私が叱られて……叱られて……」
「ごろごろ」
にゃあ。
喉を鳴らして『夏夢』にすり寄る『玉福』。
「は、はわわわわわわわわっ!!」
ああ、これはダメである。
こういう風にやられては『夏夢』はもうダメだ。あっさりと餌の袋を手に取ってしまう。
「にゃあ」
ちょろい、と言うように『玉福』が鳴く。
カリカリを頬張って見上げると、『夏夢』の君ょな顔が見える。微妙な顔である。なんていうかしまりがない。
とは言え、今は主たちが留守にしている。
どうやら一月ほど留守にするようだった。以前もこのようなことがあったし、度々一定の周期で主達は戻ってこない月があるのだ。
別に、気にならないわけではないが、一度主が戻ってきた時、ものすごい血の匂いがしたので逃げ出してしまった。
あれは一体全体どういうことだったのだろう。
猫である『玉福』には知る由もないが、それは以前あった大いなる戦い。
常闇の世界における鮮血の濁流の中をかき分けた決死の戦いの最中であったのだ。しかし、それはそれである。
血の匂いはちょっと嫌なのである。
「はぁ~……お猫様は素晴らしいですね。この毛並み、ツヤ! どれをとっても最高です」
『夏夢』は電子レンジを扱って、レトルト食品を取り出す。
自分も食事にしようと言うのだろう。
とは言え、横着である。こういう電子レンジを使う食材というものの進化は目まぐるしく、今では皿ごとついてきているものだってある。
皿を洗うのは、とてもじゃないがクリエイティヴではない、ということなのだろう。
一手間を惜しむ、というのが今の人間流なのだな、と『玉福』は思った。
幽霊にもその波がやってきているのかもしれない。
時代は省エネ戦国時代なのかもしれない。
とは言え、鼻がむずむずする。
ひげがひくつき、今にもくしゃみをしてしまいそうになる。『夏夢』も同様だった。
二人は同時に、へっくし! と同じようなくしゃみをしてしまう。
「あら……タイミングぴったしでしたね」
「にゃあ」
二人は顔を見合わせる。
どうやら、誰かが自分たちのことを噂しているのだろう。
その誰か、を考えた時、二人はこの屋敷の主のことを思い浮かべたのだ。多分、いや、絶対主である。
自分たちのことについて何か話しているのかもしれない。
「今も何処で何をしていらっしゃるのでしょうねぇ」
「なあん」
戦っているのかもしれない。無事を祈るばかりである。
とは言え、このくしゃみは恐らく良いものであろう。吉兆と言えるかもしれない。二人はそう想うことにした。
よくない噂であっても、主たちが無事に戻ってこれるのなら、それに越したことはないのだ。
「さ、食べてしまいましょう」
「にゃん」
カリカリと『玉福』は食事を終えて、じゃあ、そろそろ、と言うようにエアコンの効いた部屋へと戻っていく。
食べたら寝る。
それが一番なのである。果報は寝て待てとも言うだろう。己達の主が戻ってきた時、それはきっと喜ばしい一報と共にであろうから。
「やっぱり主たちが私達を噂しているのかもしれないですねぇ」
『夏夢』はそう思って、遠き何処かで戦う主達の身を案じるのだった――。
成功
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