【アリラビ】ゲストと一緒にお茶会、のはずが……
どうやら生放送のアーカイブだ。
実放送から少し期間が空いていることを見るに、編集したのだろう。
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「こんちょこわー、ちょこたんだよー」
いつものハイテンションはどこへやら、ゆったりした挨拶から動画は始まった。
「撮っていいって言われたので突発ライブー。ま、駄弁るだけー」
チャンネル主であるピンク色の狐獣人は、なんというかほやっとしていた。
「ふうん、せっかくの水着姿なのにそんな調子でいいの?」
小さなテーブルを挟んで対岸、白い毛並みに短めの茶髪、そして垂れ耳の兎獣人がくすりと笑った。
キャップにスポーティーなビキニ姿である。兎の愛らしさとは裏腹に、赤く強い瞳が印象的だった。
桜の狐――桜咲智依子はほにゃ、と笑った。
「ライブでいつも通りはねー、ちょっとしんどいから。だいじょぶ、こっちのテンションがいい、って需要もあるのです」
そんな智依子はレオタードスタイルである。白と赤のゆったりとしたグラデーションで、胸元――谷間を見せるようなデザインだ。
「その割に結構挑戦的じゃない、|水着《それ》?」
「わははー、若気の至り。心配せんでも、ちょこたんにそんな需要、ないない」
白い兎とピンクの狐。二人の獣人は談笑しながら、アイスティーとお茶菓子に舌鼓を打つ。
――流れていくログ。
『うおでっか』『でっかいがふたり』『ベロニカちゃんたまんねぇ』『そうなんだよ、ちょこたんでけぇんだよ』『アリでは?』『説明しよう、あれは活動初年のコンテスト用水着で、』『後方オカン面したいのに待って助けて』
「それより、私の自己紹介は?」
「あ」
グッダグダね、と茶髪の兎は笑う。
その次の瞬間には、白い彼女の隣に赤い狼――これまた獣人が現れた。白いスポーツ用水着を纏っており、これまた理想的な体型である。
「ワーニン・フォレスト――私の情報を示せ」
身長二メートルの赤狼が彼女に触れる。すると白兎の胸元に木の看板が現れた。
――名前:ベロニカ・サインボード
――時計ウサギの道しるべ
――アリスを導くもの
――そして今は、同じ猟団のお友達
「というわけで、ベロニカ・サインボードさんとお茶会しておりまーす。はくしゅー」
進行は、どこまでも緩かった。
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からりと晴れた夏空が広がっている。
焼け付くような陽射しだが、遮蔽に入ってしまえば不思議と涼しい。湿度が低い――あるいはそういう概念か。
ざあ、と波の音がする。白い砂浜にはいくつもビーチチェアとパラソルが連なって、まさしく常夏の楽園がカメラの向こうで展開されていた。
「いやー、アリラビも大概なんでもアリって印象だけど、こんないかにもなバカンス……優雅だぜ……」
智依子はまったりとアイスティーを飲む。透き通った琥珀色の液体が減り、からりと氷が揺れた。
「むしろ何でもアリじゃなきゃ、|アリスラビリンス《ここ》じゃないとも言えるわね」
ベロニカはアップルティーのアイスである。林檎の皮をフレーバーに使っている。微糖が実に心地良かった。
何があったかと聞かれれば、単に時計ウサギが妖狐を遊びに誘っただけである。
同じ猟団に所属する者同士、交友を深めよう。丁度いい|世界《スポット》を見つけたから。ついでに動画配信のノウハウも教えてほしい――大体そんな感じである。
「で、最近どうなの? チャンネル、随分順調って聞いてるけど」
ライブ配信ではあるが、繰り広げられるのはただの雑談だ。台本はほとんどない。突発的な思いつきだし、これはこれで需要があるのだ。
「んいー、なんというか、本当ご愛顧ありがとうございますって感じ。今度、UDCアースでグッズ展開決まりました」
人気者の素の顔、友人同士の雑談――推しの人となりを知るチャンスであるし、聞き流すためのラジオという使い方もある。
「えっ、凄い――それ言っちゃっていいの?」
「だいじょぶー。さっき情報解禁されたのは確認してあるからー」
ま、アニメショップのワンスペースだけだけどね、と言い添える智依子である。アクリルキーホルダー、マグカップ、シール、メモ帳――たわいも無い品々。
「へえ、本当に順調なのね、凄いわ。猟団としては配信も本業だし、見習わないと」
「いやー、どうだろ。ちょこたん、猟兵としてはマジで錆びてるし。ちゃんとオブリビオンを狩ってるみんなには頭が上がらんっつーか」
桜色はたはは、と笑った。
「――まあこう。役割を放棄しているな、と思う事はたまに、あるかも」
「――――」
一瞬、兎は話題を間違えたか、と思った。
狐はほにょ、と笑った。
「まーでもこうアレだ! ちょこは後方支援って感じで! エンタメこそがキマフュのライフワークだし!」
取り繕うような感じでは、ない。少なくともそう見える。見えた。
「なるほどね。娯楽を提供することで、|アリスたち《ひとびと》に安心してもらう。それは立派な、」
――瞬間。
どうしようもない地力の差が出た。
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「――――!」
ほとんど反射だった。ベロニカは身体を捻ってビーチチェアから砂浜へ落ちる。
コンマ一秒の後、カラフルに彩色された木製の椅子が吹き飛んだ。テーブルだって同様で、綺麗な紅茶が無惨に飛び散り、
「、ぁ――」
ぽおん、と。蹴り飛ばされたサッカーボールのように、吹き飛ぶ狐の図。
「智依子――――!」
時計ウサギの隣に狼が立つ。
ワーニン・フォレスト。彼女の最も得意とする、あるいはそのものである異能。その本質は「対象に看板を付ける」であり、
「チッ!」
がきん。ベロニカの行く手を阻もうとした不可視の一撃を、その拳で弾き返した。
「邪魔ッ!」
すかさず赤狼の拳が放たれる。尋常ではない速度、異次元のワンツー。パワーは勿論、精密性だって負けていない。
だが――空を切る。
「――冗談キツいわ」
思わず吐き捨てる。
敵襲。オブリビオン――この世界に於いては、それをオウガと呼ぶ。
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結論から言えば、不可視の怪物だった。
シンプルといえばシンプルである。ひねりがない。ありきたりな題材と切り捨てるのは簡単で、
右足を踏み出す。瞬間、左手後方に殺気。
「くらえ!」
ベロニカはそちらを見ない。代わりに赤狼が拳を振り抜く。サイキックエナジーである狼女は、本質的に時計ウサギそのものである。
――当たらない。いや、気配が失せる。
攻撃の正体が掴めない。すばしっこいのか、特殊な攻撃なのか、単体なのか複数なのか、落とす情報が非常に少ない。
単純に、脅威である。
――コメントが飛ぶ。
『あかんあかんあかん!』『ちょこたん起きてー!』『有識者、推測!』『ベロニカたんにヒント!』『どうやって伝える!』『カメラどこ!』『グリモア持ちとかおらん!?』
智依子はぐったりと気絶している。砂浜の上で仰向けになり、両手両足を投げ出している。目元は前髪に隠れて窺えない。
率直に言って、無防備。首だろうと胸だろうと腹だろうと、どこからでもどうぞと言わんばかりの醜態。怪物からすれば、さぞ美味そうに映るだろう。
残念ながら当然である。
「冗談、キツい、わ――!」
智依子に近寄りたい。すぐに助け起こして、この場はいったん逃げ出したい。ベロニカは一歩を踏み出すが、
「ぐっ……!」
足先に斬撃が飛ぶ。ギリギリ踏みとどまるが、バランスを崩す。勢いは敢えて殺さず、転びかけたところで狼女に身体を委ねる。くるりと前転して立ち上がる――攻撃に手が回らない。予測する余裕を与えてくれない。|看板《サインボード》を付与しようにも、命中させられない。
激化する戦闘を、ベロニカは最前線で戦えている。それでも手こずる初見殺し。
一方の智依子は、数年前から配信業との腰掛けになってしまっていた。
――相手になる道理が、なかった。
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岡目八目、という言葉がある。
争いや競争に於いて、当事者より第三者の方がよく状況が見える、という意味である。
語源は囲碁。対局している本人は熱中して視野が狭くなるが、冷静な観戦者からしてみれば、八手先まで見えている――。
そんな言葉はさておき。
「ワーニン・フォレスト――!」
ベロニカは閃いた。対価として腹部にきつい一撃をもらったが、それで目的のものまでたどり着けたのだから差し引きややプラス。
元の場所、吹き飛ばされたテーブルの側。
そこには智依子の端末がある。キマイラフューチャーの改造が入ったスマホは、宙に浮いて戦場を撮影していた。狼の手がそれに触れる。
すなわち、
「――チャットを転載する――!」
瞬間、ベロニカの右肘から柔らかい看板が生えた。瞬く間に同期される『視聴者のコメント』。
『本体は別!』『攻撃分離型!』『敵は一体!』『見えない飛び道具とか酷い!』『光が当たると逆に消えると見た!』『屁理屈!』『それもまたアリラビだね!』
にやり。時計ウサギは獰猛に笑う。
コメントの治安がいいのが幸いした。あるいは上手に間引かれているのか、どちらでもいい。
――猟団の視聴者は訓練されていた。たとえ自身に能力がなくとも、あるいは所持しながら脱落していても、数多の戦場を見慣れていた。
すなわち、集合知。
一歩間違えば下品なスポーツ観戦のヤジだが――どうやら、智依子の視聴者はなかなかの精鋭揃いだったらしい。
だとすれば、どうするか。
「シッ!」
ずがん。赤い拳が砂浜を叩きつける。何度も、何度も。
「そらそらそらァッ!」
白い砂が空を舞い、太陽を覆い隠す――別に暗闇にする必要はない。そこまでの範囲攻撃は出来ない。だが、
「――くらえ!」
視界の端が、確かに歪んだ。コンマ一秒未満の判断で、ワーニン・フォレストの拳がそれにぶつかる。
今度こそ逃がさない。狙って放ったのなら、発動する。
こいつの悉くを暴き立てるために。
にょっきりと、木製の看板が生えた。
「――――な」
智依子の身体に覆い被さった何かから、生えていた。
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遮二無二走る。コメントが溢れる。
時間よ止まれ。世界よ止まれ。その結末だけは駄目だから、なんとしても、
――止まってくれない。
そんな都合の良い能力は、この場の誰も持っていない。
「ちよ、」
狐はぴくりと動いた。あるいは動かされた。胸元で何かが動いたのだろう、大きいと評価されたそこが少し潰れる。気付けば手足の位置もずれており、陰になって右手は見えない。
即ち、
「――――こ――!」
狙いは、首元、
だん。
場違いな音が、響いた。
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だん。
もう一発、小さな爆音がした。
「いや、申し訳ない」
一瞬、誰の声か分からなかった。
「久しぶりの出番故に、機を伺っていた」
桜色の狐の右手が、己の胸の前に来ていた。
「これでも一応配信者、その保護者だ。即ち」
その手には、小さな金属塊がある。掌サイズの拳銃。女子供でも扱えるが、代わりに射程と威力が心許ない。
「――どのタイミングならバズるか。盛り上がりを優先させていただいた」
装填された二発を撃ちきって、『彼女』はオウガに拳を入れた。
容赦ない射撃と重たい一撃によって、不可視の怪物は完全に特性を見失った。
『ママ!』『ママーッ!』『信じてたママ!』
「ああ。胸元に隠しておいた、と言えば盛り上がるだろうか?」
『これはママ、ちょこたんじゃない、やったぁ!』
――そも、桜咲智依子は神降ろしの巫女である。その人格の発現だった。
「――冗談キツいわ、まったく!」
ノイズ混じりになったオウガに向けて、ベロニカは一歩で距離を詰めた。
「それは申し訳ない。視聴者サービス、ということで一つ納得してほしい」
彼女は躊躇なく後ろに飛んで距離を取った。
「ワーニン・フォレスト――!」
低姿勢。さながら、肉食動物が獲物に襲いかかるかのような。
兎がやれば皮肉めいているが、しかし放たれるのは狼である。
見えている。射程内である。要救助者は一人としていない。
故に、何も、問題は無い。
「くらえ」
みしり。
「くらえ、くらえ、くらえ」
ずん、ずん、ずん、ずがん、ずがん、ずがん!
「くらえくらえくらえくらえくらえくらえくらえくらえくらえくらえくらえくらえくらえくらえくらえくらえくらえくらえくらえくらえくらえくらえくらえくらえくらえくらえくらえくらえ――――!」
無数の拳が叩き込まれ、後には何も残らなかった。
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「えっなんでトレンド乗ってんの!?」
恐る恐る動画の反応を見た智依子は、そんな悲鳴を上げた。
成功
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