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英雄曰く

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ルキフェル・ドレンテ




 お洒落に気を遣う、そんな時代に生じたのだ。黄昏ていた、垂れていた、きたない結び方に溜息をかけてやる。姿見の前でくるりとまわり、僅かにふらりとした彼女は、可愛らしく、豊かな感情の表現として、目玉だけをぐるりと回していた。
 ――ねえ。今日は何して遊ぼうか。お忍びで町にでも行ってみない? 大丈夫よ、お父様もお母様もきっと、拳ひとつで赦してくれるわ。お父様だったら、夜に相手をしろって言ってくるかもしれないけど。■■■■、貴方が守ってくれるものね!
 ――お父様、どうして。|病死《●●》なんて!
 腐敗した実芭蕉、かつては黄金とも呼ばれた味わいも、現、何者も口に出来ない黒で在る。死滅めいた斑点に中てられた人々は虐げられ、苛まれ、混沌とした時代に自らの肉片をこぼす。嗚呼、原因は知っての通りに、根元そのもの、国とも解せない伽藍洞の、木偶の酩酊さ。錯乱している彼等は甘ったるい力に貪食されており、それ故、自らが貪食の獣だと勘違いしていると謂う事か。華々しかった卓上も、玉座も、今では糞尿よりもひどい面並べと化しており、そのお粗末なデウス・エクス・マキーナは犬も喰わない劣悪さ、劣等さと謂うワケだ。濃厚に……莫迦みたいに濃密に……犇めく吐き気の最中でも、俺が俺を維持出来ていたのは、勿論、何の為に剣を取ったのか、忘れる事がなかったオカゲだ。この幸い、最愛にのみ頭を垂れるべきだったと謂うのに。愛する君よ、愛しい姫君よ、俺にだけ微笑んでくれる、貴女だけのお力。そう、世がどれほどの糞溜まりだろうと、朽ち腐り爛れ果てようが、彼女の傍らに在る俺だけは高潔で在ろうと――宣誓したところで、宣告されたところで、地獄は地獄以外の何物でもないと、奈落でしかないのだと、如何して、把握した儘に視なかったのだ、踊っているのか踊っていないのか、その程度の差でしかない。
 暗黒が笑った。暗澹とした現実とやらが、法と呼ばれるヴェールを剥ぎ取っていた。道具だ、道具なのだよ、彼女は! 女は、何処まで行っても、如何様に優秀でも、皮を捲れば只の、果実の為の道具に過ぎない。堂々と、俺の前で、そんな事を宣った輩の|肩書《父親》など記憶の外に放り投げた。兎も角、俺は視たくなかったのだ。誰かの痰壺として酷使される君を、一族郎党が喜ぶ為だけの、ご結婚おめでとうございます、など。泣きながら否をこぼす君への縛鎖――それは可笑しな事ではないか、と、口にした俺も、クロスした槍の後ろ側でこのザマだ。力とは『このような』愚か者どもが揮ってもいい装置だったのか。忌まわしい。虫唾が走る。これが、俺の臓腑に収まっていた反吐だと謂うのか……。脳髄が脈打っている、鉄は熱いうちに打て……叩け……捻じ曲げろと。
 そんなにも権力が、何もかもがお望みか。権力と冠する、有り触れた言の葉が、彼女を煩わせるのか、狂った舞曲の下僕どもめ。で、在れば、容易な、簡単な事なのではないか。捧げものは別に新鮮な血肉でなくとも問題ないのだ。つまり、無数のお隠れとやらを造り出し、繰り返し繰り返し、繰り上げれば良い。十の位も随分な彼女もご立派な継承者と謂うワケだ。最早、文句を唱える輩も、咎める輩も、一切合切が存在しない。如何だ、俺の計画は、企ては知られる事なく上手くいったのだよ。まあ、でも、此処まで辿り着く過程も、中々に面白かった。如何やら俺自身も力に支配されているらしい……。
 彼女の顔色はあまり良くなかった。心細げに玉座へと腰かけた彼女はいわゆるお飾りなのだ。その座から遠い処に在ったが故、帝王学の『て』の字も知らぬ。政治も外交も交易も、悉くを、国力回復の為の全てを、俺が影から引いていく。そう、彼女は惹いていれば良いのだ。御前に跪く彼等、彼女等の大嘘を、鷹揚な笑みで迎えていれば良い……。
 四文字だ。救い、救われの関係性は四つの文字だけで表現が出来る。
 収拾がつかない、叩き付けられたのは数日後の事だった。
 何が喚いている? 何が騒いでいる? 悪魔だと……?
 熟した実を喰らおうとした瞬間に外気が揺らいだ。黄金か否かを確かめようと口を開けた瞬間に虚の沙汰だ。クーデターだと? 莫迦な、新たな獣を招いた記憶はない。俺が彼女の為だけに創り上げてきた泰平を野蛮な戦火で、戦禍で、貪り尽くそうと思惟するなど。広がっている。血と肉とその他のジュースが、神憑りの如くに、狂い、不定形に落ちてくる。忌まわしい連中め、まさか、今更俺と彼女の足元にイカレタオツムを転がして逝くつもりか。陣頭指揮を執るべく鎮圧に向かうに際し、俺の最も信頼している、懐刀に彼女を預けておいた。なあ、おい、俺よ。あの時の俺よ、莫迦な話ではないか? 新たな獣ではない、最も旧い獣の、蛇の大渦巻きだったのだ。呑まれていく戦禍、全てを取り戻したと思った刹那の内に永遠の亀裂――降伏しろ、オマエに勝利はない。彼女の身柄を確保した……。お綺麗な謂い様だ。剣を棄てる、俺は俺の牙を引っこ抜いた。これで終いだ。打たれた鞭の味は初めてにしても、とても、哀とやらに満ち充ちていた……。
 ネクタイ。ネクタイをしている。素晴らしいネクタイだ。いや、そもそも、俺が如何してネクタイを知っていたのか。そんな事は常識、隠語でしかなかった故だ。彼女は俺の名前を呼んだ、呼んだから、あんなにも、真っ赤な沼を散らかしていたのだ。抉られた咽喉は、声帯は、もう二度と、あの美しい音をこぼさないし、垂れ下がった舌の具合も、ズタズタにされてしまっては果実も食めない。それで、おい、その、貴様が掌で転がしている『もの』は何だ。……飴玉さ、魔女が持っていた飴玉。そんな危険は物を、如何して嵌めた儘にさせているんだい……? 血濡れの包帯が、ぐるりと、茨めいて彼女の窩を、涙を隠している。やめろ、やめてくれ、こんな事をして何になる。全部俺がやった事だ、彼女は何もしていない。悪くないだって? 悪いさ。悪くなければ困る。オマエが騎士だったなら解るだろう。悪役は美しければ美しいほど、醜ければ醜いほど『うけ』が良いのさ……。拷問しろ、いや、してくれ。俺が悪いのは視ての通りだろう。祀り上げた俺の責だ。巻き込んだのだ、俺が。俺こそが悪魔だ、王を誑かした悪魔だ。聞いているのか、貴様、俺が……俺が……! 支離滅裂の中で、ころりと、何かが崩壊した。靴の味だったか泥の味だったか、踏まれた頭蓋の罅割れだったか。何だってする。するのに……。
 洗礼――絶望――筆舌に尽くし難い。
 沈んで往く、何処までも何処までも、貌無しの魔王が如くに。
 呪われろ、嗚呼、呪われろ。いつまでもいつまでも、彼女が救われるまで、救われたとしても、尚、呪われろ。呪われて呪われて呪われて、その果て、最果てに、魂諸共腐敗して終うと好い。そう、叫ぼうとした記憶を抱え、ようやく、俺は今の俺で在ったのだとハッキリとする。ああ、何者かの所為で悪夢を視たのだ、いや、あの頃の、生前の反芻をしたのだ。あの煩わしい猟兵め……これは、感謝すべきかもしれないが、嗚々、忘れられようか! 酷く克明によくよく覚えていて、決して拭われる事のない、過去からのギフト。ぬるく優しい骸の海をひとり揺蕩い、再びこの世界を踏み締める今この業々――ある種の恋煩いめいた想いに、抱かれ続けて、抱き続けて。……結び直しておくか、M'lady……。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2023年09月09日


挿絵イラスト