あなたへ綴る、水神祭
●新しい距離
「そぉ、れっ」
見よう見まね、張られたネットから上半身まるっと飛び出すくらい高く跳んで、思いっきり叩き込む。セーラー襟とふわふわフリルの水着が翻り、白い四肢と長い尾がしなやかに躍った。
どこかふてぶてしいペンギンぽいものが描かれたそのボールは、相手側のコートで見事砂を散らして跳ね返った。
「すごいすごい、タマオ! 勝ったわ、信じられない! ありがとう!」
「えへへ~~、こちらこそ、ありがとう。楽しかったよ~~」
アクエリオ水神祭は、ディオスボール。二人組で参加する競技が故に出会った、即席のチームメイトとハイタッチと笑みを交わし合って別れ、炬燵家・珠緒(まいごのまいごのねこむすめ・f38241)は拾い上げたディオスボールを手にきょろりと視線を走らせた。
コートの傍のベンチに置いた、水着とセットのベレー帽。
その上の──もっふもふの白いまんまる毛玉。額に小さな角、そこに桃の花咲く兎──否、霊獣。桃源郷で出逢い、共に旅している相棒。
「苹果、見ててくれた~~?」
すっごい活躍だったでしょ~~。告げてボールを頭上に掲げてやれば、つんつんと角で苹果もそれを突いて遊ぶ。
ひとしきりふたり──あるいは二匹──で遊んだら、ボールを返却して帽子と苹果を掬い上げて、珠緒は再び祭りの喧噪に賑わう都市の中を歩き出した。
周囲の人々の楽しそうな笑顔に、珠緒も自然と口許を緩める。
初めての場所。初めてのお祭り。初めての、同道者。そのどれもが、珠緒の心を跳ねさせた。
「苹果、迷子になっちゃダメだよ~~」
ひとがいっぱいいるから、と告げるとっても大切な忠告に、でも腕の中の相棒は黒い瞳をきゅっと吊り上げ珠緒の肌を、ちくっ。
「いたっ、え? 迷子になるのはわたし? 失礼な~~、そんなことないよ~~」
ふくふくとまんまるな姿がひと回り大きく見えるのは、毛が膨らんでいるから。怒っているというより、不本意だと訴えているのだと、出逢ってまだそんなに長くはないけれど判るようになってきた。
──もう~~、こんなにちっちゃい癖に~~。
そう言ったらまた腕をちくちくされるから言わないけれど。
まぁるい背中を撫でてやれば、立ち上がった兎耳が落ち着いていく。その様子にまた勝手に笑みが零れて。
「あ、美味しそう~~」
顔を上げた彼女の真朱の瞳に映ったのは、なみなみと注がれた|果実水《ジュース》の瓶がいくつも並ぶ露店。客の手に渡るときにはたっぷりの氷を足してくれるみたいで、思わずごくんと喉が鳴った。
夏の陽射しの下、しっかり運動したから冷たい飲み物はとても魅力的。きらきら輝く苺も、旬まっさかりのオレンジも、しっかり甘みのマンゴーも、どれもこれも美味しそう。
だけど。
珠緒は腕の中の毛玉を見下ろした。
「……苹果は飲まないもんね~~」
お祭りなのに、ひとりだけ楽しむのは、なんだか違う気がする。
──だってわたしも、ご主人様と一緒に食べたりしたものの方が、ひとりで食べるより、
つんっつんっ。
「えっ? なに~~?」
腕に走ったちいさな刺激に、強制的に現実に引き戻される。腕の中の霞を喰らうという霊獣は、またふんすふんすとなにかを訴えていた。
「……気を遣うなってこと~~?」
珠緒が問えば、ぽふー、と満足気に胸を張り毛玉は目を細めた。もうこの子、本当に素直じゃない。
素直じゃないけど、優しいな。……まるでご主人様みたい。
「ふふ、ありがと~~」
相棒の言葉(?)に甘え軽い足取りで露店へ向かい、珠緒はたっぷり瓶の前で尻尾をゆらゆら、耳をぴこぴこ、悩み抜いたのだった。
●増える記憶
喉に滑る冷たい苺の清々しさと甘み、ほどよい酸味をめいっぱい楽しんで、カップの中身も半分になった頃。
「……あれれ? わたしたち、どっちから来たっけ?」
水神祭都アクエリオ。初めて来るその道は水路が入り乱れ、祭のためにとりどりに彩られた旗や花飾りたちによってどこもかしこも同じに見える。だから珠緒は悪くない。うん。肩に移動した相棒からの冷たい視線がほっぺを突く気がするけど、悪くないのだ。
「う~~んとぉ……」
「お嬢さん、迷われました? 乗って行きます? どこへだって連れていきますよ!」
首を捻って辺りを見回す珠緒の背後──水路の上から、声がした。ちゃぷ、と水が揺れる音に顔より先に耳が回る。
ゴンドラ。この都市でごく一般的だという交通手段だ。ゴンドラ乗りの少女は明るい金色の髪を煌めかせ微笑む。
乗ってみたいなとも思っていた。折角だからと揺れる小舟に乗り込んだは良いけれど。
「さあ、どこに行きたいですか?」
「え~~っと……、ん~~、どこでもいいよ~~」
「えっあの、じゃあ、どこかに行きたいとか、なにかしたいとか」
「ん~~?」
ズボラな珠緒の指示とも言えない指示に、ゴンドラ乗りの少女は困り顔。気ままな野良猫が乗り込んでしまったみたい。時々ある。
さすがの珠緒も少女の表情に察して、もう少し考えた。行きたいとこ。やりたいこと。
「あ。お土産を買いたいかな~~。ここのお祭りのだって、判るようなの~~」
「お任せください!」
まさに水を得た魚。ちょっぴり珠緒の科白にかぶってしまうくらいに意気込んで、少女は櫂を漕ぎ出した。水の揺れと頬を撫でる風は、石畳の道の上とは温度もにおいも違う。
そうして辿り着いたのは広い広い幅の水路に、幾多の色とりどりの屋根を付けたゴンドラが並び、進み、過ぎていく水上露店街。もちろん客の乗ったゴンドラも行き来するから目まぐるしく景色は移り変わり、けれどひとつもぶつかり合うような音はしない。
「すごぉ~~い」
「この光景は、余所にはちょっと無いんじゃないですか?」
苹果が落ちないようにそっと手で押さえつつ身体を乗り出す珠緒。舟の加重に偏りが出ても、誇らしげな表情の少女がちょっぴり修正するだけで転覆なんか当然しない。
「ご主人様とも、お祭りに行ったことあるんだ~~」
ひとつ、ひとつ露店舟を覗いていきながら、肩から膝に場所を移した苹果の背を撫で、珠緒は告げた。
「すごく小さな村のお祭りでね、素朴で、こんなに賑やかで鮮やかじゃなかったけど……でも楽しかったなぁ~~」
木の実のタルトを振る舞ってくれて。ご主人様がいたく気に入って。食べてごらんって渡してくれて。
「だからわたし、ご主人様にまた作ってねって言ったの~~」
嬉しそうな珠緒の締めの言葉に苹果は黒い瞳で彼女の顔を見上げ、ゴンドラ乗りの少女も「えーっと……」一生懸命言葉を探した。
「お嬢さんが作ってあげる、とかではなくて……?」
「え?」
想像もしていなかった問い掛けに、珠緒は瞬く。作ってあげる? わたしが? ご主人様に? ん~~。出来なくはないとは思うけれど。
「でもご主人様のごはん、美味しいから~~」
珠緒は素直にそう返した。
そんなこんなで覗き続けたお店のひとつ。珠緒の目に留まったのは、小さな硝子のインク壺だった。
色は深い水の色。ここの水路の|水面《みなも》みたいに、傾けるときらきらと輝く細やかな粒子が揺れて綺麗だ。
──これで日記を書いたら、ご主人様にも伝わるかな~~?
今日この日の、楽しかったキラキラの想い出が。
「また、ご主人様にお話したいことが増えちゃうな~~」
良かったねと言うかのように苹果が身を擦り寄せるから、ふふりと珠緒はその背を撫でて破顔した。
成功
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