Paradis de la mer 『Azur』
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「『海の家』って何だい?」
切欠は、九瀬・夏梅のその一言だった。
「海の家ですか……」
「むう、知っているのですか、澪」
反芻した寧宮・澪に、シリン・カービンが妙に真面目くさった表情で返す。
シリンの手元に劇画調の書物が置かれているのは、偶然だろうか。
「ええ……それは海辺で行う店舗経営の一形態……伝統的なものは味の薄い焼きそばや浜焼き、温めのジュースを提供し、海で泳ぐ方の空腹を解消してきました……」
「澪の説明は確かにあってるんだけど……そのメニューじゃ、なんだか残念よね」
「でもありますよね、そう言う海の家」
澪の説明にエリシャ・パルティエルが微妙な表情になり、冬原・イロハがこくこくと頷く。
「そんな料理を出すところなのかい?」
「……お肉もある。フランクフルトとか、美味しい」
言葉のままに受け取った夏梅が渋面になっているを見て、木元・杏がお肉を挙げてフォローする。
「昨今は店特有のメニューで他店との区別化を図ると、澪明書房に」
澪もなんだか尤もらしい事を付け加えた。
「休憩所兼カフェのような店のことかな?」
「その手の伝統的な施設のようですね」
同じく『海の家』を知らなかったガーネット・グレイローズは、シリンと顔を見合わせる。
「やってみるのも、楽しいかと思いますよ?」
「アジュール出張verですね。行き先はUDCアースか……あ、ケルベロスディバイドも!」
「良いんじゃない? 新しい世界を知る事が出来るし、あたしたちで素敵な海の家にしちゃいましょ♪」
2人の様子を見た澪が提案し、イロハが候補を上げ、エリシャが賛同し――。
「良さげです、ここ。扇風機に、冷蔵庫。ガスの調理場も……」
「こんな良い場所を手配できるなんて、さすが商売人の顔ね」
「やるなら成功させたいからね」
しみじみ頷く澪とエリシャからの賛辞に、ガーネットは小さな笑みを返す。
ここは、ケルベロスディバイドの海岸にある、貸店舗の中だ。
「じゃあやってみよう、となるとは予想外だったよ」
その日の内に世界を飛んだばかりか、夜には海の家とする貸店舗まで決まっている行動力に、夏梅は苦笑するしかない。
「アジュールの看板を掲げて海の家を運営するなら、お料理も美味しいの出さないとね」
場所が良いなら猶更と、エリシャが音頭を取ってメニュー会議が始まった。
「ん。この世界、海や街の様子は、UDCアースやシルバーレインと同じ雰囲気」
「そうですね、建物や人々の様子はそれらの世界の雰囲気に近い様に思えます」
最初に挙手した杏の言葉に、シリンが頷く。
「だからお肉が良い」
一気に話が飛躍した。
「アジュールのお品はどれも超おいしい、葡萄ジュースも最高。是非皆に味わって貰いたい。そして、流行をリサーチしたら、お肉はこの世界でもベストおぶベスト」
「良いんじゃないかな? 夏休みらしいから、家族連れもいるだろう」
聞けば根拠のある杏の肉推しに、ガーネットも同意を示す。
「なら、アジュール名物の『とりあえず肉』を小盛りで再現しようかね」
「私も手伝う」
試作するかと調理場へ向かう夏梅の後に、パタパタと杏が続く。
「大丈夫でしょうか?」
「杏がいるから、滅多な事にはならないだろう」
「ええ。肉は杏がいれば大丈夫です」
2人を見守る澪とガーネットとシリンの手には、ワイングラスが握られていた。
――これでも電脳魔術師の端くれですからねー……会計はおまかせ下さい。
――私はフロアを担当するよ。
――では私も。
3人とも早々に料理役から抜けたのもあり、前祝に樽ひとつ開けている。
程なく、肉の焼ける匂いが漂って来た。
「美味しそうな匂いが……あら? 焦げ臭い?」
思わず鼻がヒクヒクしていたイロハの表情が、ふいに曇った。
「……『とりあえず炭』になっちまったよ」
「お肉が……ええと、炭の塊に……」
顔を出した夏梅が持ってきた物体の黒さには、エリシャも言葉を選びようがなかった。
「アルはいつも簡単に作ってたのに、難しいねぇ」
「ドンマイ、夏梅」
「ですが、諦めるのは早いかと」
呻く夏梅の内心を見透かしたように、ガーネットとシリンがグラス片手に微笑みかける。
「夏梅、食べられないお肉なんて、ないよ」
肉なら杏がいる――そんな期待に応えて、杏が調理場から顔を出した。
「焦げたお肉は、砕いて、ソースを足して、炒めればおっけー」
炭と化した肉を一撃で握り砕き、ソースを足しながらフライパンで炒めていく。
「こうすると、ふりかけになる。なった」
「え? もうかい?」
「さすが杏ね」
あっと言う間のリメイクに夏梅の目が点になり、エリシャは感心したように頷く。
「もう一回やってみない? 失敗は成功の元、次はきっと上手くいくわよ」
「だと良いんだけどね」
エリシャが再チャレンジを促すが、夏梅はまだ自信がなさそうだ。
「それなら、私と氷を削りませんか?」
そんな様子に、イロハが水色猫型のカキ氷機を取り出した。
「カキ氷……あたしが作ろうと思ってるの、フルーツ串やチョコバナナとかなのよね。カキ氷をセットにして、お客さんが自分でトッピングってしてもいいかも?」
ふと、エリシャの中で閃きが生まれる。
「トッピング……カキ氷にフルーツ串とやらをぶっ刺すのかい?」
……。
「やっぱり……お客さんが自分でトッピングするセットありにしない?」
「そ、そうですね……」
出来れば夏梅を応援したいイロハだったが、今の一言に垣間見えた夏梅のセンスの無さを思うと、エリシャの提案が無難である。
「ただ、とりあえず肉、を杏さんに任せる事が多くなってしまいそうですが……」
「ん。任せて」
イロハの懸念を、当の杏が二つ返事で払拭した。
「前にマスターが料理しているところを見て少し勉強したから、あたしも少しは手伝えるわ。みんなで分担しましょ」
エリシャもこう言った事で、調理の担当はほぼ決まった。
「そう言う事なら、エリシャ、イロハ。フルーツとカキ氷、教えておくれよ」
「ええ!」
「勿論です」
そして夜は更けていく。
●
翌朝。
「皆さん、こんにちは!」
足裏に感じるさくりとした砂の感触に、セーラー服風の水着姿のイロハが声を弾ませる。
「お腹がすいたり涼みたい時は、海の家『アジュール』にぜひいらしてくださいな」
「美味しいお肉、あります」
マーメイドをイメージしたブルーの水着の杏も、イロハと共に海の家と肉をアピールして回る。
「海の家『アジュール』はこちらです……」
海の家では、澪が声を上げていた。
「美味しいお肉にフルーツ、カキ氷はいかがですかー……」
日光を避け建物の中を漂っていても、澪の声は外まで良く通る。
「あ、さっき宣伝してた海の家か」
「水着美人も可愛いから綺麗とよりどりみどり、でもおさわりはのーせんきゅー……」
そう言う澪も、明るいグリーンの水着の上からレースの上着を羽織っていた。
「あの子も接客してくれんのかな……」
「寄ってみようか」
良く通る声とその容姿は、特に若い男性客の目を引いていた。
「「いらっしゃいませ」」
フロアで接客を担当しているガーネットとシリンの水着は、なんかもう凄かった。
ガーネットは薄いゴールドの生地の上に黒の生地を重ねたドレスタイプで、シリンに至ってはボディを覆う黒い水着に網タイツと言うバニースーツである。
「はい、こちらがお品書きです」
「ご注文を承ります」
「! あ、ええと、お勧めは……」
差し出されたメニューで我に返った客が、慌てた様子で席に着く。
「焼肉と、カキ氷もお勧めですね。フルーツもありますよ」
「でもお勧めは、『とりあえず肉』ですね、ええ」
勧めてこそお勧め。ガーネットとシリンは敢えて話を分け、『とりあえず肉』を勧める。
「大丈夫かい? メニューを見た客が首を傾げているえkれど」
「た、多分大丈夫よ。澪に言われて解説、書いたから」
セパレートタイプの黒い水着姿の夏梅と、白地にレモン柄の水着姿のエリシャは、調理場から心配そうに様子を伺っている。
「とりあえず……にく?」
「なになに? とりあえず肉とは――海の家『アジュール』の本家である隠れた名店で、店主が気紛れに出す超大盛肉の盛り合わせ……の小盛り番?」
「良くわからんけど、珍しいじゃん」
「それ3人前で」
人は未知に惹かれるものだ。
記念すべき初注文は、とりあえず肉に決まった。
「ただいま。お肉は任せて」
外での呼び込みをイロハに任せ戻って来た杏が、慌ただしく調理場へ駈け込んでいく。
じゅぅぅぅ~っと油が跳ねる音、ソースを絡めた肉が焼ける良い匂いが、海の家の中に広がっていく。
「できた。シリン、ガーネット」
「はい。こちら、とりあえず肉、です」
「3人前になります」
「これが……!」
「とりあえず……肉!」
運ばれてきた肉々しさに、客が驚嘆の声を上げた。
●
「すごい肉料理を出す海の家があるって」
「何がすごいの」
「それが良くわからない」
とりあえず肉。
そのてきとーながら珍しい名前は、すぐに噂となって砂浜を駆け抜けた。
昼食時が近いのもあって、客はどんどん増えていく。
~~♪
BGM代わりのゆったりとした澪の歌声とは裏腹に、調理場の中は一気に忙しくなっていた。
「アルも連れてくりゃ良かったかね」
料理は不得手だからと、夏梅は洗い物を担当。
「杏の焼くお肉大人気よ」
「杏さんのお肉、本当に美味しそうですものね!」
「ふふ。やはりお肉は正義」
調理の手伝いに入ったエリシャとイロハの言葉に、微笑む杏の頬を汗が伝う。
一方のフロアはと言うと――。
「注文いいっすかー」
「はい、次に伺いますね」
「少々お待ちを」
どれだけ客が増えても、シリンとガーネットの2人で足りていた。
シリンは無駄のない動きで客の中をすり抜け、ガーネットは足りない手を念動力で補っている。
「え、葡萄ジュースがもう無くなりそう? じゃあ新しいのを補充しないと」
ジュースの樽なんて大物も、浮かせてしまえば重さは関係ない。
――おぉぉぉぉっ!
――いいぞー!
(「そう言うものでは……まあいいか」)
何か勘違いされてるような歓声や拍手が浴びせられるが、ガーネットはそれを飲み込んだ。
(「こういう接客は慣れないし大変だが……新鮮だな」)
取引先との商談経験は数あれど、このように不特定多数の客を相手にすると言うのは未経験。
(「なんか楽しくなってきたぞ」)
「はい、焼き肉ですね」
口の端に笑みを浮かべて、ガーネットは新たな注文を伝えに走る。
(「何やら吹っ切れたようですね」)
その様子に笑みを浮かべ、シリンも、とりあえず肉を別のテーブルへ運んでいった。
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昼時を過ぎてしばらくすると、客層と注文の内容が変わって来た。
「いちごカキ氷とフルーツ串のセットです」
「こっちの注文はマンゴーカキ氷とフルーツ串のセットだ」
とりあえず肉中心だったのが、急にカキ氷が増えて来たのだ。
「お暑いのできっと売れると思ってました」
「いい読みじゃないか、イロハ」
ガリゴリシャリ。
ガリゴリシャリ。
感心したように笑う夏梅とイロハが、せっせと水色猫型のカキ氷機のハンドルを回し、器の中に白い氷の山を作っていく。
「リズムもばっちりですね。楽しいでしょう?」
「確かに、ちと楽しいね」
練習の甲斐あって、イロハと夏梅が氷を削る音は、澪の歌のリズムと合っていた。
「はい、こっちも出来たわ」
シロップ色に染まった氷の山の隣に、エリシャがフルーツ串を置いた。
「わたしは店員、店員……」
杏がチラチラ横目で横目で見送るそれが、フロアに運ばれ――。
「わぁ! 来た来た!」
「どう並べよう……」
「悩むよねぇ~」
若い女性客の歓声が上がった。
エリシャ考案のフルーツ串は、元々それだけでデザートにと、苺や葡萄にパイン、キウイ、オレンジと、彩り鮮やかな果物を幾つも使ったもの。それを自由に使って飾れるカキ氷は、特に子供や若い女性と言った客層に好評だ。
とは言え、男性客が途絶えるわけでもない。
「男性客、次々と来るわね」
「店員の皆も水着姿なんて、ちょっとしたコンテスト会場だからね」
それをエリシャが口に出せば、夏梅が水を片手に笑って返す。
「最初はちょっと恥ずかしかったけど、わかるわ。みんなの水着姿、とっても可愛くて綺麗だもの。特にシリンのバニー姿は、宣伝効果高いと思うわ」
「こんなこともあろうかと新調しておいて良かったです」
「何を想定してたんだ、何を」
エリシャの賛辞に微笑むシリンに、ガーネットのツッコミが飛ぶ。
「シリンさんもガーネットさんも、カッコイイ」
「んむ。2人はクールビューティ」
そんな2人に、イロハと杏が向ける羨望。
「でも、だからこそ不安なのよ。酔っぱらったお客さんとかに、絡まれたりしないかしら……って」
エリシャが不安げに呟いたのを聞いて、イロハが「あっ」と声を漏らした、その直後。
「おー、なんだぁ、この海の家」
「へー。マジできれいな子ばっかじゃん」
見るからにガラの悪い客が現れた。
「澪。ロックな曲あります?」
「ありますよー……」
湧いて出たような登場に目を細めるシリンのオーダーに、澪は一度深く息を吸い込む。
~~っ!!!
澄んだ声はそのままに、これまでとは打って変わって激しい曲を歌い出した。
「こんなとこで働いてねーで、俺らと良い事しよーぜ」
最初から目をつけていたのか、男の1人がシリンに手を伸ばし――一トレーで手を阻み、足を払う。
「っ!?」
「オーダー、ありがとうございます」
何をされたかもわからぬ内に尻餅をつかされていた男は、シリンの有無を言わせぬ笑顔に飲まれ、あたふたと這い蹲って出ていく。
「はい、君達も回れ右」
「お、おぉぉ!?」
「なんじゃこりゃぁ!?」
一方ガーネットは、他の男達をまとめて念動力で浮かばせていた。
「酔っ払いはお呼びじゃないんだ」
そのまま身体の向きをくるっと変えて――這い蹲って来た男もまとめて、砂浜に放り飛ばす。
撃退完了。
「さすが。私が出る幕はないね」
カラカラと笑う夏梅も、いざとなれば『白鷺』の顔になるだろう。
「……大丈夫そうね」
頼もしさを感じ、エリシャは安心したように呟いた。
●
ふいに客足が途切れ、海の家に静けさが訪れる。
「イロハさん、カキ氷はメロンで、エリシャさん、フルーツ串もお願いしまーす」
それで緊張が途切れたか、降りて来た澪がいきなり客と化した。
「……澪」
「澪は店員だけどお客さんなのね」
いつも以上に眠たげな様子にシリンは苦笑し、エリシャも思わず微笑む。
デバイスと独自プログラムで楽ちんです――と本人は言っていたが、注文と金額情報を収集し1人で会計業務をこなしつつ、その傍らでBGMも歌っていて、消耗しない筈がない
「あ、夏梅さん、私にもとりあえず肉ください……杏さん、葡萄ジュースも……」
「ですって。澪さんに食べていただきましょう♪ カキ氷」
「肉は杏からもらっておくれ」
イロハにも促され、夏梅も苦笑しながらガリゴリシャリと音を響かせ始める。
「ガーネット。先に休憩入って――」
「ダメよシリン。丁度お客さん途切れてるし、みんな休憩しましょ」
自分の休憩を後回しにしようとしたシリンを遮って、エリシャが外へ駆けていく。
開店中の札をくるっと返し、準備中にして戻って来た。
「ん、休憩大事」
それを聞いた杏が、調理場から顔を出す。
「澪、ジュースとお肉。みんなも、どうぞ♪」
杏がテーブルに置いたお盆には人数分のコップとたっぷりの串焼き、そして何かを混ぜたおにぎりもあった。
「これは昨日のふりかけおにぎり……ん、最の高……」
「お肉……おいひい……」
肉の旨味と幸せを噛み締める澪と杏。
「澪さん、夏梅さんのとっておきです」
「はい、杏も。休憩で食べたいって言ってた、みぞれとフルーツ串よ」
そこにイロハとエリシャが、澪には緑色のカキ氷の、杏には無色のカキ氷の、それぞれセットを運んできた。
「特別なカキ氷……いただきます」
「これに練乳をかけて……ふふ♪」
澪は早速シャクシャクと氷にスプーンを入れ、杏は上からたっぷりと練乳をかけていく。
「エリシャのフルーツも美味しそうだし、イロハのカキ氷も欲しいな」
それを見たガーネットも喉の渇きを覚え、腰を下ろした。
「どうだい? 海の家『アジュール』は」
皆のグラスと器が空になった所で、夏梅がぽつりと尋ねる。
「海の家アジュール、盛況ね!」
「大盛況、楽しいね」
「最初の心配はどこへやら、だね」
エリシャと杏とガーネットが顔を見合わせる。
「夏梅さんは、どうですか……やってみて」
「良くても悪くても、皆で何かをやるのは楽しいもんだ」
「それはよかった。閉店後の一杯が楽しみですね」
澪の問いに笑って返す夏梅に、シリンも微笑み返す。
まるで終わったような雰囲気だが、夜の営業時間は残っている。
海の家アジュール。
7人の少しだけ特別な夏の日に幕を下ろすには、まだ早い。
「もうひと頑張りしようか。澪、ご機嫌なサマーソングをお願い出来るかい?」
「はい、ご機嫌な………ええ、楽しくてポップなの、歌いますよ」
復活した澪は、ガーネットにひとつ頷いて――ふわりと浮かんで夏の夜ぴったりの軽快なメロディを唄い響かせる。
(「みんな楽しそうで、良いですね」)
それぞれの役目に戻って行く皆の笑顔に感じる幸せを噛み締める様に、イロハはフルーツ飴を口に入れた。
成功
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