オートナル・ハート・トゥ・ハート
●稜線
山の際が燃えるように色を変えていく。
その様子を遠く見やりながら、自分は上の空だった。
ぼう、としているといつだって思い浮かぶ顔がある。ころり、と変わる表情。笑ったり、むくれたり、驚いたり、微笑んだり。
多く思い出すのは笑顔だった。
砂糖菓子のような彼女。
濃い灰青の浴衣の浴衣の帯をしめ直す。寛ぎ着である浴衣なのに、どうしてか自分は緊張している。
秋祭りに誘われて、今こうして待ち人を待っている。
浴衣を着る事自体何年ぶりだろうか。新鮮な気持ちと、どうしたって浮ついてしまう自分の姿を客観視してしまって東雲・黎(昧爽の青に染まる・f40127)はこんなんじゃあいけないと頭を振る。
待ち合わせ、というのは好ましいものだ。
普段顔を合わせている者同士だとしても、心のなかに涼やかな風が吹き込むようであった。揺れる黒髪。頬をくすぐるそれに黎は振り返る。
そこにいたのは己がしきりに思い浮かべていた笑顔の君だった。
「れーくん! んふふ。浴衣姿もかっくいーね!」
●言葉にできない
自覚してしまえば、きっとすぐに破裂してしまいそうな感情であった。
それは酷く脆くて、己の輪郭の全てを弾けさせてしまうものであるとティア・メル(きゃんでぃぞるぶ・f26360)は思っただろう。
何に。
自分の感情の正体に対して、だ。
言葉にしてしまえば簡単なことなのかもしれない。
眼の前には黎によく似合う色合いの浴衣と黒髪が揺れている。背中を見ても一目でわかる。あれは自分が恋い焦がれている人だと。
これが乙女のセンサーである、なんて。浮かれた気持ちの後には、すぐに躊躇いが生まれる。
その背中に言葉を投げかけていいのかと。
もしも、違ったのなら。
見間違えた他人の誰かであったのなら。
この恋はきっと誤ちなのかもしれない。拒絶されてしまったのなら、と思う。
怯える心と会いたいと慕う気持ちが振り子のように心をかき乱していく。
それでも自分は前に踏み出すのだ。
怯えはおしゃれの魔法で塗り潰す。目一杯おしゃれをして。いつもと違う自分を見て。少しでも、少しでも。本当に少しでいい。
可愛いって言ってくれたのなら。
「ああ、あんたも。柄、金魚なんだな。ふっ……ひらひらしていて、あんたらしい」
「らしいってどーいうこと?」
「かわいらしいってことさ」
他愛のない言葉なのかもしれないけれど。それでも心が飛び上がるのをティアは感じて。
「さ、行こう」
手をつなぎたいなんて思っていた心を容易く吹き飛ばす指先の感触に、満面の笑みを浮かべてしまう。
●届いていたけれど、素直になれずに
ドキドキした。
とても。
「れーくん、遅いなぁ……」
ティアはご機嫌だった。秋祭りに彼を誘ってよかった、と心から思う。今は一人長椅子に腰掛けている。通りがかる人々を見る。
誰もが楽しそうだ。
なんだか、自分が楽しいとどうしてか他の皆も楽しそうに見えてしまう。世界の色が違うのかもしれないと本気で思ってしまう。
黎はしばし、彼女と離れた。かろかろと鳴る下駄が原因だった。
少し足が痛いなって思っていたら、彼は目ざとくそういうものを察してしまった。少しでも離れたくないなって思っていたものだから、こういう時は鈍くってもいいのにって思う。
でも、足を冷やすものを捜してくるといった優しさは素直に嬉しい。
「ねぇ君、一人?」
それは思いがけない言葉だった。
振ってきた言葉にティアは顔を上げる。そこには知らない男の人達がいた。
首を傾げる。
けれど、そういう態度にも彼らは慣れたものだった。
後から聞いたことだけれど、ナンパされていたのだという。
戸惑っていると黎が血相変えて戻ってきて、自分の手を取って体に引き寄せる。
何事、と思ったけれど、嫌じゃない。
「やめてやってくれないか。彼女は、俺の連れなんだ」
短いけれど、強い語気だった。
「ごめんね。デート中なんだよ」
ね、と彼らに申し訳ない気持ちになるより先に黎が苛立っていることにティアは慌ててしまう。
「謝ることなんてなかった……」
「違うよ、れーくん。ごめんねじゃなくって、ありがとう、なんだよ」
「わりぃ。大丈夫」
言葉は短かったけれど、彼が自分を心配してくれていることがわかる。
だから、思わず。
「れーくん……」
言葉を続けようとして空に大輪の花が咲く。
それは花火だった。
盛大な音が響き渡り、言葉がかき消される。
黎の顔が花火の光に照らされて色を変えていく。彼の息を呑む気配。
でも、伝えたかった言葉は花火の煌々たる光と音に塗りつぶされた。
思わず発してしまった言葉。
でも、彼には届いていないようだった。
これでよかったのだと思う。
自分は泡になるまで、なっても……きっと、続く言葉を真正面から伝えられないだろう。
嫌われたくない、その一心で。自分の心を臆病にしてしまう
ときめきは胸を突き刺す痛み――。
成功
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