初めましてと水神祭
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「お疲れ! ピーク過ぎたから遊んできていいぜ」
果実水のカップを受け取りルッツ・ハーミット(朱燈・f40630)は賑やかな通りを見た。
水路の波音が心地よく、色とりどりの旗が翻る。すれ違う人々はみんな笑顔で、ついルッツの頬も緩んだ。
──やっぱり夏と言えば水神祭だな。
水神祭都アクエリオ。その名称の元となった年に一度のお祭り。
「さて、どうしようかな」
知り合いの手伝いが目的だったから、それ以上の予定は特になくて。
だが「!」視線を巡らせた彼の茜色の瞳に、留まった姿があった。黒の猫っ毛。纏う雰囲気。
「リ──」
「?」
振り返ったフードのスピカ耳が跳ねて、
──じゃ、ない。
その視線はルッツが想定したより頭ひとつ分ほど低かった。「ごめんなさい人違い──」謝ろうとして、まるく開いた相手の左右色違いの目に釘づけになった。
色違いの瞳自体は、さほど長くない猟兵経験の内に珍しくないものだと知った。けれど空色と夜色の双眸に、確かな見覚えがあった。
「……んん? あれ、やっぱりキミ──、」
(息子が出来た)
(えっ?!)
あっさり告げた“彼”の足許にしがみつくこども。“彼”と同じ黒髪、左目の。
『招待状』でみんなで訪れたあとも、個人的に何度か来た親友の故郷。ルッツは小世界を巡ったりしていていつしか月日の感覚も狂ってしまったけれど。
(ま、前会ったのって、二年くらい前だよね)
(ん)
(ど、……どう見てもこの子、三歳は越えてるよね……?)
くすくす“彼”は笑った。軽くこどもの背を押し、あっちで遊んでおいでと促して呼んだ名は。
「『リコ』?」
「え、」
相手がレモネードのカップをぎゅうと握ったのを見て「あっ、」慌てて説明をする。ぼんやりした男と。星霊と共存する郷で。ああいや、そもそも自分はエンドブレイカーで。
「とおさま。……とおさまの、お友達なんだ、な」
直接血は繋がっていないと聞いていたけれど、輝く瞳にルッツは見覚えがあった。おとうさん、と自らのことを呼んで慕ってくれる笑顔。血縁なんて関係ないと彼は既に知っている。
「あれからもうそんなに経つのかぁ……、見ないうちにこんなに大きくなって……」
ほろり泣きまねは“彼”にもしたっけ。
改めて名乗り合って、リコ・ノーシェ(幸福至上・f39030)へとルッツは軽く手にしたカップを揺らした。
「あ、僕のことも好きに呼んでね。……『おじさん』以外で」
「……いや、おじさんも悪くない、か……?」言った傍から口許に曲げた指を添えて覆す。滅多にない機会だ。いやでもたまにならともかくずっと呼ばれるのはどうだろう。
その面白、こほん。喜怒哀楽のよく現れる彼に、リコはくすくす笑った。“彼”によく似た顔で。
「……良ければ。ルッツって呼ばせてもらえたら、嬉しい、よ」
「リコはこのあと時間ある?」
やっぱりひとりはちょっと、淋しかったから。誘うと同じ気持ちだったらしい彼が肯いて、ふたりで歩き出した道は変わらず眩しいくらいの笑顔で溢れている。
周囲を物珍しそうに見遣るリコは、きっと初めてなんだろう。ならばとルッツは意気込んだ。たくさん楽しいことを体験させてあげたい。幸い、水神祭には何度も足を運んだことがある。
だけど。
「なにか気になるもの、ある?」
顔を覗き込んでもリコは「あ……、ん、と」途端に言葉に詰まってしまう。フードのスピカ耳も心なしか下がったようで。
欲しがることが苦手で、甘え下手。
──なんかすごく、憶えがあるなぁ……。
出会ったばかりのあの子のような。あるいは“彼”みたいな。世界に『自分』を加えられないひと達。
だから。「見付けたら教えてね」と軽く伝えつつ、隣の彼の視線をさりげなく追って──、
「あ!」
「っ?」
びっと指差した先、ひとつの屋台。ソフトクリームのそれ。
向日葵の髪をやわく翻し、ルッツはリコを見た。
「ねぇリコ。僕あれが食べたいんだけど、付き合ってくれない?」
「ぅ、──うん……っ」
「あ、これも増し増しで! リコもおんなじでいい?」
「うんっ」
手許に届いたカラフルなスターシュガーでめいっぱい彩られたソフトクリーム。添えられたアクエリオ様型クッキーに、リコの瞳がきらきらしている。ひと口舐めればひんやりとしつこくない甘みが舌に広がった。
「……おいしい」
「だよねぇ」
やわやわと表情を緩めて零す年下の友人の感想に、ルッツの瞳も和らぐ。似ているけど、やっぱり違う。
「……ルッツ、溶けちゃう、よ……?」
「あっうんニヤけてなんかないよ!」
「? 言ってない、けど」
「ふふ、うん、そうだね。楽しいなーって思ってただけ」
垂れそうな部分を舌で掬って素直な気持ちを伝えたなら、リコも「ん……おれも」と笑った。
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散々惜しんだ挙句にアクエリオ様型クッキーも食べ切って、アクエリオ様模様の風鈴を見たりチュロスを食べたり、水風船を取ろうと躍起になってみたり。満喫するふたりの耳に、
「最終ゴンドラレースそろそろ締切でーす、ご登録まだの方はお急ぎくださぁーい」
そんな声が届いた。「……」そちらをじっと見つめるリコへ告げる。
「出てみる?」
「え」
驚いた色違いの目。彼の戸惑いは判る。だから笑った。
「大丈夫!」
「わ、ぁ……!」
走る風に髪を泳がせ、縁を握るリコが感嘆を零す。後方に立つルッツが波を掌に感じながら櫂を漕げば、くんと速度が上がった。
ゴンドラ乗りは資格制だ。もちろん資格がなくてもゴンドラ乗りを雇えばレースに参加できるけれど、ルッツはその資格を所持している。
「だいぶ久し振りだけどね。どう、リコ?」
「思ったより、速くて、涼しくて、楽しい。気持ちいい」
「判るよ。観るのもいいけど、乗ると格別だよね」
無邪気に返す彼。心から言っているのは、横顔だけでも充分伝わった。
でもこれは、アクエリオ水神祭のゴンドラレース。
「『右:迂回路、前:滝』……。滝……? ね、ルッツあれ、」
「まあ、なんのために水着なんだって話だよね」
過ぎた看板を指して首を傾げたリコへ、ルッツはお陽さまみたいな笑顔を向け、進路は──変えない。
「えっまっすぐ行ったら、」
「しっかり掴まっててね!」
見れば水路の先はなんだか明らかに途絶えていて。
「えっえっえっ待っ、────っ?!」
混乱と困惑を全部置き去りにして、ゴンドラは空へ飛び出した。
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飛んで、跳ねて、回転して。
水飛沫もめいっぱい浴びて、たくさん笑って。
さすがに一位とはいかなかったけど、楽しんだ度合では一等賞。
「結構遅くなっちゃったね。付き合ってくれてありがとう」
ルッツがごめんねと言えばリコはふるふると一生懸命に首を振った。それが微笑ましくてルッツもふにゃりと相好を崩す。
「良かったら、また遊ぼう。……それと、なにか困ったときはいつでも呼んでね」
──違うってもう判ってるけど。大切な“彼”に似ている君は、やっぱり放っておけなくて。
きょとんと瞬いたリコにはそんなこと判らないから、神妙に肯いた。
「おれも助ける、から。言って、な」
「ふふ、ありがとう。それじゃ──」
差し出そうとした手を、顔の横辺りに挙げる。握手よりきっと、こっちの方がいい。だって仲間の挨拶って気がしない? なんて。はにかむルッツに、リコも応じた。
弾くみたいに──ぱちんッ──ハイタッチ。
告げる『またね』にはきっと、『これからもよろしくね』の願いを乗せ合って。
成功
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