デイブレイク・オブ・ザ・ハート
●視線
誰かの視線が自分というものに輪郭を与えるのならば、この体の線の一つ一つは貴方のものだと言えたのならば、どれほどよかっただろう。
用意した水着も、貴方の前に立つためにある。
ティア・メル(きゃんでぃぞるぶ・f26360)は東雲・黎(昧爽の青に染まる・f40127)と海で待ち合わせていた。
不思議なものである。
約束、と言う言葉を使うだけでどうしてこんなにも心が高鳴るのだろうか。
此処に鏡があったのならば、きっとティアはひっきりなしに鏡の中自分の前髪を弄り回していただろうし、今着ている水着……水色のフリルの位置を気にすることしかできなかっただろう。
いや、でも彼の方から今日は誘ってくれたのだ。
それだけで無根拠な自信と不安を同時に抱えてしまう。
「れーくん、まだかな」
彼女は鏡がないから肩から掛けたバックを気にする。時計盤を模したアクセサリーバッグ。そう、今の自分は急がなくちゃと胸の鼓動走らせる時計うさぎ。
そして、彼女の視界に現れたのは。
「待たせたな」
●まばゆいもの
きっとそれは己には眩いものであるように思えただろう。
「んにっ! れーくん、帽子屋さんがテーマ? んふふ。すっごーくかっこいーんだよ! 似合ってるね!」
あんたも、と黎は己の喉から言葉がかすれるように出たのを自覚しただろう。
ふさわしくない。
己はふさわしくない。
どんな言葉も彼女を例えるのは蜃気楼の輪郭を示すのと同じように難しいことだった。
対する己はどうだ。
彼女が言ったようにシルクハットを頭、左腕を隠すようにしてジャケットを羽織っている。黒髪は彼女の美しい髪とは真逆だ。己の夜明けのような昏い色の瞳を見つめる彼女の瞳は宝石以上の価値があるに違いないとはっきりと思えてしまう。
己の存在意義というものがあるのならば、彼女の空色に映るためにあったのだと。
「に……似合ってるな、まあ、あんたはは何着たってかわいいけどな!」
視線が泳ぐ。
なんというか、いつもより肌の露出が多い。
不躾な視線になってしまいそうになる。サキュバスが何を、と思うだろう。
困ったように黎は頬の熱さを誤魔化すように、何か飲み物を買ってくるとすぐにティアから離れてしまう。
「あっ、れーくん!」
●輪郭をなぞる
帽子屋と時計うさぎは幕間にて、しばし離れる。
未だ頬が熱いと黎は思った。何か冷やすものが必要だ。海の屋台というのは、この陽射しのせいもあって、どこも盛況だった。
かき氷でいいか、と黎は渋々並ぶ。
あまりティアを待たせてはいられない。彼女、あれだけ可愛らしいのだ。待たせていたらナンパされるに違いない。
そうなった時、己は冷静でいられるだろうか。
そんな風に思っている黎の儚げな中性的な顔立ちに周囲の女性たちが色めきだつ。黎自身は気がつけないでいたが、それが彼の魅力故であることは言うまでもない。
ティアは、それを見て己の頬が膨らむのを自覚できなかった。
気がついたら、ずんずんと足を踏み鳴らすようにして黎に近づいて言っていた。
いや、駆け足だった。
もとより自分は駆け足自体が苦手だ。でも、それでも。どうしようもなくなっていた。
心が跳ねる。
心臓が跳ねる。
これはきっと走ったからではない。恐れる心を振り払うようにしてティアは黎の腕にしがみついていた。
「あっ、お、おい……!」
「れーくんは渡さないんだよ」
自然と出ていた言葉だったのかもしれない。
言って初めてティアは己が何をしたのかを自覚して、そさくさと体を離す。え、何? と周囲の女性たちの奇異なる視線が刺さる最中、己の肩を抱く力強い指先に心が、胸が今まで以上に跳ねた。
「悪いな、俺にはかわいい彼女がいるんでね!」
ティアはその言葉に、舌を出す。
威嚇。
周囲の女性たちは一斉に白けたようでもあったし、また同時にティアに対する羨望の視線も強烈だった。
けれど、ティアはまるで負けなかった。
もやもやしていたし、なんだか急に黎との距離を図りあぐねたように肩抱く彼の腕からするりと抜け出す。
「な、なあ……なんで怒ってんだよ。ちゃんと……」
黎は戸惑う。
ティアの機嫌が見るからに悪くなったからだ。
けれど、それが己を拒絶するものではないものだと黎は気がつく。だって、振り返ったティアの瞳は己が射抜かれたあの色をしていたから。
そして、その瞳が告げるのだ。
「これからも、ぼくだけ見ててね」
その言葉はさくらの花が咲くようだった。夜明けの瞳は、空色を映す。
いつもの軽口めいた言葉しか言えない。
でも、今己は笑っている。
笑って彼女に言葉を届けることができる。
「あんたしか見てないから、気にすんなよ」
その言葉にティアの中で花開く感情があった。
あなたが撫でるぼくの髪は輪郭。
乱暴でも良い。
整えた髪もあなたなら崩されたって嫌じゃあないの。
だから、と心に花開く感情の名は――。
成功
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