食物文化研究同好会~登校日編
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夏季休暇も終わりに近づく頃、とある男子校にもその日が訪れる。夏休み中の登校日だ。
「宿題終わったー?」「読書感想文がさあ」「あーやだやだ、まだ休み足りないよ」
同級生たちは、夏休み前と変わらない者もいれば、真っ黒に日焼けしている人、ちょっと髪が明るくなった生徒など様々だ。久々の学校がダルいなどと口では文句を云いつつ、久しぶりに友人たちに逢える機会を皆それなりに楽しんでいるように見える。特に緩い文化部に所属していて、夏休み中にあまり学校に来ない生徒たちはその傾向が強いようだ。
久しぶりの喧騒を聞き流しながら、一ノ瀬・帝はきょろきょろと辺りを見回している。
(「飛鳥はもう来ているだろうか」)
幼馴染にして密かに想いを寄せている知花・飛鳥の姿を探すけれど、無情にも見つかる前に朝のホームルームの開始を告げるチャイムが鳴ってしまった。
(「仕方ない、放課後にでも逢いに行くか」)
休み時間は飛鳥もクラスメイトとも話したいだろうからと、身を引いておく帝なのだった。
飛鳥を一番に想っているのは間違いなく自分だが、だからといって重い存在にはなりたくないのである。
……だったのだが。
「よっ、ミカ! 久しぶりやな」
その飛鳥が休み時間にクラスに来たものだから、度肝を抜かれる帝であった。そんな彼の内心に気づく様子もない飛鳥は、アイスの時ぶりやっけ? なんて朗らかに笑いながら隣の席に腰掛ける。
「あれ、折角の登校日なのにクラスの友達と話さなくていいのか」
天にも昇るくらい嬉しいのを無表情の奥に隠し、そんな事を訊いてみると。
「いやー逃げてきたんよ、あいつらまじでやかましい!」
飛鳥がぷりぷりと怒って云うのだった。
「やかましい……?」
ふざけているような軽い口調ではあったが、飛鳥が誰かに怒りをあらわにしているのは少し珍しいなと思った。何が起きたか尋ねたほうがいいのかとも考えたが。
「そんな事よりミカ、宿題って終わっとる?」
飛鳥の方から話を変えてきたので、帝もその事についてはとくに言及しなかった。
「……写させて欲しいって頼みだったら、いくら飛鳥でも聞けないぞ?」
「んな殺生な!」
実際の所は飛鳥に本気で頼み込まれたらノーとは云えないのが帝であるが、だからこそ頼み込まれる前にきちんと断っておくのだった。他ならぬ飛鳥の為にならないからである。
「判らないところを教えて欲しいって事だったらいいが……」
なんとなく飛鳥の顔から視線を逸らした帝の目線が、彼の首元に吸い寄せられた。
第一ボタンを外した首筋に、ぽつんと赤くて丸い痕がある。
(「……なんだ、あれ?」)
痣? でもあんなところをぶつけるだろうか?
(「もしや……キスマーク!?」)
なんで!? というか誰と!?
「やー、それ云うたらどこが分かれへんかが分かれへんっちゅうか」
飛鳥は相変わらず宿題の話を続けているが、帝はそれどころではなくなっていた。血の気がさあっと引いていく音が自分でも聞こえた気がした。
(「飛鳥にそういう相手が!? いやいやいやいや。俺達高校生だぞ、早くないか!? いや高校生ってそういうものなのだろうか、そういえばクラスの遊んでそうな生徒が他校の女子と「ヤッちゃった」だの下世話な事を云っていたなそうか高校生ってそういうものか、いやいやあれはあいつがチャラいだけだろう、飛鳥をあんな軽い奴と一緒にするのはありえない! ああでも飛鳥みたいにコミュニケーションの高いタイプはモテるだろうし、考えてみたら俺だって飛鳥の事が好きなんだから男子校なら安全なんて事はありえないし、それに何より飛鳥の人の良さなら告白されてぐいぐい来られたら断れないかもしれないじゃないか! なんで今まで考えも及ばなかったんだもっと警戒しておくべきだったんじゃないか俺は!」)
この間わずか0.2秒。思考回路はショート寸前。
飛鳥の事だから悪い奴に引っ掛かる心配こそほぼないが問題はそこではない。不純だとか誠実だとか、相手が恋人なのか行きずりの相手なのかとか、そういうのはどうでもいいのだ。
小さなころからずっと抑えていた思いを知りもしないような奴が、飛鳥を横から掻っ攫っていった可能性があるというのが問題なのだ!
「……飛鳥」
「ん?」
怖い。怖いが、訊かないのはもっと怖い。あくまでさりげなく、瑣末な事を訊くように心がけながら、帝は訊ねた。
「……飛鳥。首のその赤いのはどうしたんだ……?」
もしここで飛鳥が本気にせよ気の迷いにせよ、「そういうこと」があったという事を示唆してきたら。
(「……飛鳥を幸せに出来なかった俺に生きている資格はない。腹でも切って詫びるべきか」)
しかし。
「あー、コレ? 昨日寝とる間に蚊に刺されたんよ! もうー最悪や!」
大切な親友が切腹まで覚悟しているとは知らない飛鳥は、それはもうあっけらかんと答えるのだった。
「そ、そうか。それは災難だったな」
「寝とる間やさかい無意識に搔いてしもてな、その所為なのかやたら赤なってもうて」
「……確かに目立つな」
誤解だとわかっても尚、ついついチラチラ見てしまう帝だった。
シャツの間から見え隠れする色づきは、虫刺されとわかっていても妙に煽情的で。
(「……やっぱり俺は切腹すべきなのかもしれない」)
飛鳥は休み時間にわざわざ逢いに来てくれるくらい無邪気に慕ってくれているのに、俺はこんなにやましいことを考えているなんて。
「……飛鳥。俺、ちょっと購買行って来る」
「あ、俺も行く」
「飛鳥は待っててくれ、すぐ戻る」
一緒に席を立とうとする飛鳥を静止して、帝は小走りで購買まで向かった。
◆
五分後。
「おー、ほんまに早かったなあミカ。何買うてきたん?」
「飛鳥。目立たないタイプの絆創膏を買ってきたからこれを貼ってくれ」
慌てて買ってきた絆創膏を差し出すと、飛鳥がきょとんとした。
「えっ、気持ちは嬉しいけど別に蚊に刺されただけでそこまでせんでも」
「いいから。いいから」
俺が困るというか、色々な意味で居た堪れない気持ちになるので――とは口に出さず。
「お、おぅ、ミカがそこまで言うなら……」
受け取りながらも飛鳥は思う。
(「これでクラスの連中にからかわれんで済むんなら、確かに有難く貰っといた方がええかも?」)
実は先程「クラスメイト達から逃げ出してきた」というのは、まさに虫刺されが原因だったのだ。
「あー! 飛鳥がキスマークつけてんぞ! スッケベー!」
「抜け駆けかよオメー!」
「はぁ!? そんなんちゃうわアホども!!」
悪友たちがそんな事を大声で叫んできたので、飛鳥もそれを上回る大声で反論したのだが、奴らは聞く耳というものを持っていないらしかった。
「わー顔真っ赤! そんなに怒るって事は図星ですかぁ~!?」
「で? で?? “どう”だったんですか飛鳥さーん!?」
「ちゃ、ちゃうって云うとるやん! 小学生かアホンダラ!!」
男子校ゆえに“その手”の話題に飢えている彼らがますますヒートアップするものだから、付き合っていられないと逃げてきたのであった。
(「そう思うと、俺はまたミカに助けられたんやなあ。子供ん頃からおんなじや」)
前髪のヘアピンを無意識にいじりながら飛鳥は思う。
「やっぱ、ミカは優しいなあ」
その帝が一番飛鳥を“そういう”目で見ているとは、やっぱりまだ気づいていない飛鳥なのであった。
成功
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