露木・鬼燈
◆おまかせ
日乃和の海をシャチ型水上バイクで水上警備。
バカンスを兼ねてるので何かがあってもいいし、なくてもいい。
警備でバカンスなんてそんなものっぽい!
8月上旬。日乃和は本格的な夏の到来を迎えていた。空高く直上に昇った太陽が目に痛いばかりの熱射を注ぐ。青い空に浮かぶ白い雲は、南からの風に吹かれて当てもなく漂っていた。晴天の下の海原は太陽光を受けて白銀に輝き、白波を砂浜へと打ち寄せる。
「あっついっぽい……ぽいじゃなくてとても暑いのですよ」
露木・鬼燈(竜喰・f01316)は広大な海を前にして、手の甲で額の汗を拭った。日乃和南州の夏の海は青く、暑い。白地のTシャツが肌に張り付く。腕を捲っても、水泳用のハーフパンツを着ていても、やはり暑いものは暑い。
海上警備のアルバイト募集。必要資格は猟兵である事のみ。チェックポイントを回るだけの簡単なお仕事です。日当云々――此度の鬼燈が南州のリゾート地を訪れる切掛となったのは、グリモアベースで配られていた怪しい求人のチラシだった。
「まぁ、新しい玩具も使えるし、バカンスも兼ねてるから丁度いいっぽい」
隣に停めたその玩具に目を移す。白と黒の配色の水上バイクだった。流線型の輪郭はまさしくシャチで、胸鰭を模した安定翼まで備えている。クイーンオルカ号という名は実に体を表していると言えるだろう。
ナノメタル製のフレームが太陽光を浴びて照り返しを放つ。これで今から海に繰り出そうと鬼灯がハンドルバーを押し込んだ矢先、誰かが呼ぶ声がした。首を横に向ける。女性が三人立っていた。
「やっぱ鬼灯さんじゃーん!」
三人の内の一人が手を振る。亜麻色の髪を揺らしているのは白羽井小隊の栞菜だった。その隣には那琴の姿もある。頭抜けて高身長で胸が豊かな全身傷跡だらけの女性は灰狼中隊の伊尾奈だろうか。いずれも青と黒の飾り気の薄い水着姿だ。官給品なのかも知れない。
彼女達がどうして此処にいるのかはさて置き、鬼灯にはやるべき事がある。軽く手を振って愛想程度に応じると、クイーンオルカ号のハンドルバーを両手で力強く押し込んだ。砂地を擦って波打ち際に。波打ち際を越えて浅瀬に。
「かっとばすっぽーい!」
クイーンオルカ号の背に飛び乗った鬼灯がスロットルレバーを回す。エンジンが唸りを上げる。後部のジェットノズルから泡立つ海水が勢いよく噴出し、突き飛ばすかの如き推進力を生み出した。
「わわわっと!」
機首が大きく持ち上がる。慌ててハンドルバーを右へ左へと切るとクイーンオルカ号も合わせて蛇行する。鬼灯は半ば強引に姿勢を整えると、身を低くしてスロットルレバーを更に捻った。
「速い! はやーい!」
漕ぎ出しは思った以上のじゃじゃ馬だったが、その分だけ加速が力強い。クイーンオルカ号が海面を引き裂いて走る。吹き付ける潮風を受けて鬼灯が双眸を細める。Tシャツが激しくはためいた。後方の海岸はあっという間に遠く離れて海原へと進出。腕時計型の端末が示す案内に従い、アルバイトの要件であるチェックポイントに向かって舵を切る。
「えーっとえーっと、どこかな? あれかな?」
目を凝らして遠方を睨む。海面に浮かぶ機械的な浮遊物が目に入った。それが鬼灯が目指しているチェックポイントの津波観測用のブイだった。
「まずひとつ目なのです……よっと!」
ブイの側面を抜けた瞬間にハンドルバーを右へと切る。ブイを起点としてクイーンオルカ号が後部を振ってドリフトする。激しい飛沫が上がる最中、鬼灯は生じた慣性に振り落とされないよう踏ん張りを効かせて堪える。手元で電子音が鳴った。アプリケーションがチェックポイントの通過を記録したらしい。
「次いってみるっぽーい!」
再加速するクイーンオルカ号が、盛り上がる波の丘に乗り上げた。機体が飛び跳ねるも、胸鰭状の安定翼が効果を発揮しているらしくバランスが崩れない。着水の衝撃に備えて口を閉じる鬼灯。シャチのジャンプ芸を思わせる派手な飛沫と共に、クイーンオルカ号は海面を激しく叩いて着水した。
際限無き海原を驀進するクイーンオルカ号と鬼灯。より速く。もっと速く。肌にぶつかり弾ける海水が痛いほどに加速する。
「わお」
思わず感嘆が漏れた。巨大な波のうねりが深い青の壁となって立ち塞がったからだ。
「ここは……突っ走るっぽーい!」
飛び込むしかない。このビッグウェーブに。
せり上がった海水の壁の側面を駆け抜ける。壁の直上が崩れ始めると、波は壁からトンネルへと有り様を変貌させた。そのトンネルの中に潜り込み、直上から巻き込まんとロールする波を置き去りにし、クイーンオルカ号と一体となった鬼灯が突き進む。波のトンネルが海水の落盤で塞がれる。
波濤を炸裂させて飛び出した逆叉が、海水の飛沫を浴びて煌びやかに輝いた。
全てのチェックポイントを巡回し終えた鬼灯は出立地点となった海岸に帰還、その後に近場の海の家を訪れていた。
「海上戦闘訓練?」
鬼灯が首を傾げる。那琴と栞菜、伊尾奈と共に小さなテーブルを囲い、顔を突き合わせながらかき氷をつつく。
「ええ、大津貿易港での戦闘後はこの南州でずっと」
応じた那琴に鬼灯は「へぇ」と短く返す。
「あたしら東アーレス半島行き確定みたいだし? ま、その訓練も一昨日までで、今はこうして休暇中だけどねぇ。鬼灯さんは?」
栞菜の口振りは他人事染みていた。
「うん? バカンス兼バイトなのですよ」
「バイトって? バカンスは分かるけど」
「海上警備っぽい。決められたルートを走るだけの簡単なお仕事だけどね」
紅のシロップがかかったかき氷を口に運ぶ。労働の後の冷たさと糖分が骨身に染みる。
「猟兵様に警備ねぇ……」
鬼灯は伊尾奈が言わんとしている先を理解している。猟兵に海上警備のアルバイトが回ってきた理由は、大津貿易港での戦闘の直前に届いた脅し文章だろう。
「そーいやさ、鬼燈さんはこの後何かあるの?」
栞菜が何やら含んだ薄ら笑みを浮かべている。
「えーと、日報書いて」
眉を顰めて答える鬼灯。
「書いて?」
テーブルに身を乗り出す栞菜。
「提出して」
「提出して?」
「今日の分のお賃金貰って」
「貰って?」
「帰るっぽい」
「ふーん……じゃあさ、今夜えっちしよ?」
「うん……うん?」
思わず聞き返す。隣の那琴が激しく咽せた。
「栞菜! 弁えなさい!」
「えー? なら代わりにナコがえっちしてくれいだぁっ!?」
那琴の中指が栞菜の額を弾く。大袈裟に仰け反った栞菜が今度は伊尾奈にしなだれかかる。
「うわーん、尼崎中尉ぃ……東雲隊長にパワハラされましたぁ……慰めえっちしてくださいぃ……」
「他所を当たっておくれ」
伊尾奈は短く言い捨てかき氷を口に含む。
「あーもう! つまんなーい! ねぇねぇ鬼灯さん、どうせ夜暇でしょ?」
「いやぁ……僕はやることがあるのですよ……」
胸の双丘を寄せて食い下がる栞菜に引き攣り気味な苦笑いを浮かべて身を引く鬼灯。
「ヤること!? だれへぎょっ!?」
「栞菜! いい加減になさい!」
那琴の手が栞菜の頭を掴んでテーブルに押し付けた。鬼灯は「まぁまぁ……」と宥める傍ら、視線を横へとずらす。南方の空に大きな入道雲が立ち昇っていた。
「……激しいのが来るかもね」
鬼灯の視線の動きを追った伊尾奈が小声を溢す。
「かも知れないっぽい」
無意識の内に顔から感情が失せていた。暗い灰色の積乱雲の真下はきっと嵐だろう。あの雲は何処へ行く? 消えるのか? 或いはより肥大化するのか?
口に入れたかき氷は、舌を痺れさせる程に冷たく、そして甘い。
成功
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