月の眩しい夜の砂浜に足音がひとつ。心地よい波の音に耳を傾けながら、スイは周りと見渡した。
「いやぁ、この世界の夜は涼しいねぇ」
身に受ける風の涼しさについ目を細める。
スイが日頃、拠点とするUDCアースの夏はまさに灼熱地獄、日々、救急搬送は大忙しだ。
「さってと、じゃあ早速、下見すっかな」
そんな灼熱地獄とは無縁の夏の夜を少し楽しんだ後、スイは早速、お仕事に取り掛かる。
今回、スイが|此処《サムライエンパイア》に来たのは同居人たちと夏休みを楽しむための下見、という実に平和的な理由だ。|人気《ひとけ》が多い海のバカンスは楽しいが、同居人たちは恐らく羽を伸ばせまい。という訳で既知のグリモア猟兵を捕まえて、世界を飛び越えてきたのである。
しかし、海開きなどという文化がない世界の海は|殺人鬼《ご同輩たち》には都合がいい。遊ぶに邪魔が入るのは野暮だから予めお片付け、という意図だ。スイは岩場の隙間など物が隠しやすそうな死角を重点的に見て回る。人がいないか、人だったモノが捨てられていないか、あとはそう――
「ああ、やっぱ居るねぇ」
――こういうのがいないかどうか確認するのも、下見の目的だ。
夜風に交じり聞こえた水面を何かが跳ねる音。魚にしては騒がしく規則的で不自然だ。おまけに歌声まで聞こえてくる。誘われたならばノるまで、と声のする方へ波を掻き分けて。
――この海岸には恵比寿様が出るんだよ。あんたも気をつけな――
果たして地元住人がぽそり吐き捨てた言葉の通り、水位は腰半ばほどの沖合の岩場にソレは居た。
濡れそぼる濡鴉色の髪は艶やかに真白の肌を飾る。瞳に青藍の海を湛えて、唇、薄く微笑み。女の形をしたソレの魚の半身が水を扱いで、スイへと近寄ってきた。
「会いたかった」
とは甘言。まんまと腕を絡ませてきたソレは、誘われてるとは知らず、肉を喰らおうと口腔を開き――ぐわし、スイは鷲掴んだ。閉じないように指を食いこませる。
驚愕に見開かれた目はぎょろり瞳孔が彷徨って。まるで魚のようだ。否、半分は魚か。引き剝がそうとするソレの爪が腕に食い込むのも構わず、そのまま持ち上げた。
「いやあさ、興味はあんだぜー?あんたはどう死んで成れ果てたのかーとかな。でも、今日はちょっと野暮用でね。まあ、とりあえず、話聞いてくれりゃあいいからさ」
嗚呼、果たしてソレに音を拾う聴力が残っているのか。先程までの美しい姿はみるみるうちに様変わり。
スイの熱に触れたソレの身体は、ぐずり肌がふやけて崩れ。掴む口腔は骨を確りと抑えなければ、力入れずとも肉が融け落ちていく。指先をどろり伝う体液からは酷い悪臭。青かった瞳はただ濁り、片目などはもう糸を引いて、ぽろり、海に零れた。ぶくぶくに膨張した身体は乳房の形が遺っていなければ、最早、女とすらわかるまい。
スイはその変容を目の当たりにしても、表情ひとつ変えることはなかった。声音もかえず、ただ淡々と目的を果たす。
「お気に入りの子たちと此処で遊びたいんでね。そんときは邪魔すんなよってお仲間にも伝えてくんねー?簡単っしょ?いいなら、ほら、腕放せって。俺も放してやっからさ」
あまつさえ、今、お返事できないっしょー?なぁんて人好きするような笑みすら浮かべて見せた。
ソレの爪の食い込む力は次第に弱まれど、躊躇うように遺る片目。海に零れた筈の片目すら水面を泳いで、ぎょろりぎょろりとスイを名残惜しげに見つめてくる。スイは、盛大に溜め息ひとつ、吐き出して。
「――また、死にてぇ?」
――やがて夜も更ける頃、其処には誰もいなかった。
ざざぁんざざぁん、波は静かに寄せては返し、砂浜を白く清める。
成功
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