●少し前
自分がどうしてこうしているのかを忘れてしまった。
名前もない。
性別が男性であったのか女性であったのか。
それさえもわからない。
けれど、たった一つわかっていることがある。
「お猫様尊い! しゅき!! らいしゅきがすぎる!!」
そう、自分はお猫様が大好きだ。
あの柔らかそうな体。すらりと伸びた手足。ぴんと立ち上がった尻尾。耳のとんがり具合もいいし、つぶらな瞳もいい。ひげの伸びた様も綺麗で好きだ。
ああ、願わくば、あの肉球に踏まれて死にたい。
いや。
もう自分は死んでいるけれど。
どうして死んだのかわからないが、自分が死んだということだけはわかる。所謂幽霊状態ということであろう。
けれど、どうすれば成仏、というものができるのかわからない。
ああ、いや成仏というのだから仏に成る、ということだ。つまり悟りを開かなければならない。
つまり煩悩を捨て……れるわけないのである。
目の前にゆうゆうと歩むお猫さま!
ああ、伸びた二又の尻尾しゅき!!
「は~!! しゅき! 寿命が伸びる! 死んでるけど! でも伸びる! 体ないけど心が健康になっちゃうううう!!」
正直言って自分でもやばいな、という感覚はある。
でも止められない。
お猫様の後を追いかけてしまう。可愛い。かわいいねー! ぷりぷりと振るおちりの可愛らしいこと!
「って、おや……?」
はれ? といつのまにかお猫様を追いかけていたら見知らぬ屋敷にやってきている。
というか、なんかすんごい。
えぇ、なんか渦巻いてる。あの黒いの何? そういう素養がまったくない自分であってもあれはやばいとわかる。
けれど、お猫様に夢中で自分は全く気が付かなかったのだ。
それどころか。
「っていうか、なんかデカイクラゲッ! えっ、なんか見たこと無い生物いる!? ど、どういう場所なのここ!? もしかして、幽霊屋敷とか!?」
この禍々しい空気から察するにそういう場所なのかも知れない。
でもである。
あの二又尻尾のお猫様はなんかくつろいでいるし!
ああ、でもクラゲが宙に揺蕩う姿は見ているだけで癒やされてくるような、和むような気持ちになってくる。よくよく見ると、あの鷲と馬が合体したような生き物は精悍な顔つきでかっこいい。
まあ、ならいっか! と自分は思う。
「ぷきゅ~!」
大きなクラゲが一つ鳴くと、一人の男性……男性? え、何あれ? もしかしてあの黒い禍々しい渦みたいなのの中心はあの人なの?
「どうしたました、『陰海月』……え、はぁ……幽霊の日だから幽霊の話を……?」
なんか凄いこと頼んでる!
ていうか、前! 前にすんごいのいる! 今目の前にいる人が一番すごいから! と自分は指差すが三匹には通じない。
そうこうしていると、自分の背筋が凍りそうなお話をしているではないか。
え、物理で引っこ抜く?
幽霊を?
こわっ。そして、何より怖かったのは、その人が自分のことを認識していたことである。
「君は一体どのような用向きで我等の屋敷へ? そうです、先程から私達の会話に混ざってしきりに頷いていた……そう、あなた――」
ヤバいと思った。ココで黙っていたら速攻であの禍々しい呪詛に取り込まれる! 本能で悟り、自分は叫ぶのだ。
まごまごしている。
自分の口の形を形成するのが難しい。誰かと言葉を交わすなんてどれぐらいぶりだろうか。
上手く発音できず、けれど懸命に言葉を紡ぐ。
「お猫様につられまひて!!」
思いっきり噛んだ。
あ、そうそう。
これは過去の想起。
自分が『夏夢』と名乗る切っ掛けとなった話。
名前のない自分が輪郭を得た日。
そう、7月26日は幽霊の日――。
成功
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