あてなるけつり日
●オフ・コース・オフ
キマイラフューチャーにおいて欲望というものは正しいものである。
他の何にもかけがえないものである。
生命が生きるのに最も必要なのが欲望であったのなら……。
「今日はそういう小難しいことも、画角も、尺も、コメントも、同時接続も、再生数もなしよ!」
陽殿蘇・燐(元悪女NPC・f33567)は高らかに宣言していた。
黒髪揺れて、青い瞳がきらめいているのを勝守・利司郎(元側近NPC・f36279)と瑞波羅・璃音(元離反NPC・f40304)は顔を見合わせてから見上げていた。
つまり?
「今日はオフということよ、つまり」
「つまり?」
「だから、夏休みよ」
「夏、休み、とは?」
燐の言葉に璃音は首を傾げる。
彼らは皆一様にとあるゲームのバーチャルキャラクターである。
猟兵になった際に封神台に登録されたり、異なる世界に召喚されたりで紆余曲折あったのだが、今はキマイラフューチャーで嘗ての上司でもある悪女――即ち、燐のもとに集った者たちだ。
「あら、知らない? 夏休み。夏季休暇、バカンス、サマーバケーション」
「ど、どれも馴染みが無い言葉なんですけど……結局お休みとどう違うんですか?」
「夏の暑さを楽しむおやすみよ!」
「じゃあ、今日は『悪女NPC(ラスボス)だったけど、猟兵になってみた』の配信はなしってこと?」
そうなるわね、と燐は頷く。
でも、夏休みとは言え、どんなことをすればいいのかと二人は困ってしまう。
二人の困惑を燐は見通していた。
「こんな時は『かき氷』よ!」
「はい! かき氷とは!! なんでしょうか
!!!???」
璃音はよくわからなかった、というより燐に手ずから教えてもらおうと思って挙手する。あっ、と利司郎は先を越された、と顔を歪める。
別に仲が悪いわけではないのだが、嘗ての上司である燐に対しては二人はずっとこんな漢字だった。
「良い質問ね。かき氷とは!」
ばぁーん!
燐は謎にポージングをとって炎纏う黒揚羽を己の手元から飛び立たせる。
いちいち演出してしまうのは、配信するときの癖が抜け言っていないんだな、と利司郎は思った。だが、それを言っては話の腰骨を折ることになるので黙っていた。
「氷を細かく削ってシロップをかけた冷たいスイーツよ! 知らないかしらUDCアースなんかでは、ただシロップをかけただけではなくて、器を果物にしたり、白玉やあんこを乗っけたりアイスクリームと合わせたり! それはもう、多種多様ってわけなのよ。バリエーション豊かなのよ」
おわかり? と燐の青い瞳が二人を捉える。
「な、なるほど……あたしが召喚された世界の大陸だと氷が貴重品だったんですよ。食べるわけには行かないと言いますか。どちらかというと、狩った魔獣の肉を保存したりするのに使われるもので……」
璃音の言葉に燐は頷く。
確かに氷事態は貴重であったのかもしれない。けれど、キマイラフューチャーにおいては、そのへんのことを気にする必要はない。
何故ならば。
「ああ、だから『コンコンコンコン』というわけか。え、っていうか、かき氷が出る『コンコンコンコン』があるんですか!?」
「ええ、この間配信コメントを見返していたら、ファンの子が教えてくれていたのよ。だから、今日どうかしらと思ってね」
「いきますいきます!!!」
「璃音も、当然くるわよね?」
え! と璃音はびっくりしている。自分もオフの日に一緒に、とは思ってもいなかったのだろう。
「え、あたしも混じっていいの?」
「当たり前だろう、そりゃあ」
「ええ、そうね。むしろ断っても三人で行くつもりだったわ」
燐の不遜な態度は作ったものであったかもしれない。
けれど、決してそれはただ不遜なだけではなくて、二人に遠慮をサせぬための方便であったのかもしれない。
そういう不器用だけれど実直な優しさが燐の魅力なのだと二人は理解していた。
彼女はそう云うけれど、内心はどう思っていただろうか。
断られるかもしれないと思っていたかも知れない。
けれど、それはおくびにも出せないし、そういうキャラじゃない、と断じるところであったかもしれない。
利司郎は、先回りするように璃音を肘で小突く。
ほら、と促すようだった。
「もちろんです! あたしも行きます! 行きたいです!!」
「あらそう。なら、行きましょうか。『コンコンコンコン』へ!」
燐が先陣きって炎蝶城から出ていくのを二人は慌てて追う。
「遠慮なんかいらなかっただろ。やっぱり。燐様が仲間はずれなんかするわけないって」
「わ、わかっていたわよ。それくらい! ただせっかくのオフだから一人になりたいときも在るかも知れないって思うでしょ!」
「そういうの逆に気を使いすぎてダメって思わない?」
「うるさいわね!」
そんな風にして二人がきゃんきゃんしているのを燐は背中で聞き、振り返る。
「ほら、そんなところで言い合いしてないで、こっちおいでなさい」
そういって手招きした場所へと二人が赴くと、おもむろに燐は建物の一部を『コンコンコンコン』と叩く。
すると、そうなっているのが当然と言わんばかりに壁面から赤いいちごシロップのかき氷が出てくる。
「おおっ、これが……って、なんかすごいな……」
「ええ、面白いわね。かき氷ってもっと、こう……シンプルじゃあなかったかしら?」
そう云う燐の手にあるのはガラスの器に山盛りになったかき氷。
いちごシロップがかけられているのはわかるのだが、さらに苺のピューレがかけられているし、苺そのものが散りばめられている。さらには金箔すら散らされているのだ。
正直に行って豪華過ぎる。
「燐様、写真。写真撮っておきましょう!」
「それもそうね。配信なしとは言え、SNSにアップする写真入はちょうどいいかもしれないわね」
そう言って燐は器を手にしたまま立っている。
あ、と利司郎はカメラを構えようとして、燐がレンズを手で塞ぐようにして制する。
「何をしているの利司郎」
「え、何って写真を……」
「お馬鹿ね。あなた『コンコンコン』、まだしていないでしょう? 今日は動画配信はおやすみなの。オフなの。つまり、あなたは今スタッフでもなんでもないの。なら、まずやることは?」
「『コンコンコン』?」
「そういことよ。さあ、早くしなさい。璃音もよ」
燐に促されるようにして二人は壁のそれぞれ異なる部分を『コンコンコンコン』と叩く。
すると利司郎の前に現れたのは、彼のイメージカラーに似た黄色のシロップのかけられたかき氷だった。
イエローがまばゆくも爽やかさを醸し出している。
「これは……柑橘の香りがするな。檸檬ってことか?」
「そうみたいね。凍らせたレモン果汁のキューブに、この色濃い黄色はレモンピールってことかしら?」
「レモンピール……ああ、なるほど。果実の皮ってことですね。やあ、これは涼しげで面白いなぁ……でも、これって檸檬だけの香りではないような?」
「ゆずと後は……」
「グレープフルーツじゃないですか? このつぶつぶ」
二人が利司郎のかき氷について観察していると、璃音も自身が『コンコンコン』によって現れたかき氷を手に持ってやってきていた。
「ああ、なるほどなぁ……って、なんだそれ!?」
「あたしのはなんだかすごい色なのよね……これって知っている?」
「ブルーハワイね。カクテルにも同じ名前のお酒があるのよ。あちらはリキュールを使うけれど」
「じゃあ、これってお酒を使っているってことですか!?」
璃音が目を丸くする。
別に彼女はお酒が飲めない年齢ではない。三人とも成人した年齢であるから、問題はない。けれど、それでもかき氷にお酒、という組み合わせに璃音は驚いたようである。
貴重なものである、という先入観が未だ抜けていないのかも知れない。
「かき氷に使われるのは、よく聞くところだとラムネとかソーダね。でも、それはシロップメーカーで異なるという話だし……」
「あ、でもこれ、結構手が込んでる感じしますね」
利司郎が示す先にあるのは、地球儀をイメージしたように青く染まったかき氷の山のあちこちに大陸をもしたような抹茶クッキーとバタークッキーが配されている。
さらには、周囲に雲を表現したであろう綿あめがまとわりついているのだ。
「これも映え、というやつね。さあ、三人とも揃ったわね。さあ、こっち見て」
そう言って燐はいつもは利司郎の役目であるカメラを、自前のスマホのインカメラで撮るのだ。
三人と三つのかき氷を納めた写真は、それは仲睦まじい様子が伝わってくるようだったことだろう。
「さあ、食べましょう」
「いただきまーす!」
「わっ、綿あめ面白い……」
三人は自分のかき氷を一口頬張る。
口に広がる甘さと香り。
味わいは優しく、それぞれに特徴あるものだっただろう。燐の苺かき氷は甘酸っぱさと濃厚さが。
利司郎の檸檬かき氷は柑橘の香りが強烈で刺激的だった。璃音のブルーハワイは見た目からは想像できないほどにしっかりとスイーツしていて、食べごたえがある。
「爽やかでいいなぁ。オレ、これ好きですよ!」
利司郎の言葉に燐は不敵に笑む。
「あらそう? なら一口」
頂戴、と言うより早く燐のスプーンが利司郎のかき氷をさらう。
「んー! いいわね。あなたの言う通り爽やかだけど、刺激的な甘酸っぱさね」
「あたしも」
「あ、おい!」
なんてそんなやり取りをひとしきりした後、利司郎は目の前に差し出された赤いかき氷に目を丸くする。
「えっ!?」
「あら、せっかくだからこっちも味わって見たらどうかしらと思ったのだけど」
差し出されたスプーン。
そう、これは所謂『あーん』というやつである。
利司郎は助けを求めるように璃音を振り返る。だが、そこにいたのは、一足先にノックアウトされていた璃音しかいなかった。
「ほら、あーん。溶け落ちてしまうわ」
早く、と燐が急かす。
いや、急かされても、と思う。っていうか、無理じゃなかろうか。いや、無理じゃない。無理じゃない。
だって燐が『あーん』しているのだ。
甘んじてとうか、謹んでというか!
だが、悲しいかな。利司郎も璃音もキャパシティをとっくに超えているのである。なにの、って緊張の度合いである。
元上司とは言え、今でも尊敬はしている。慕っている。
そんな相手からの『あーん』に緊張しないほうがおかしい。
いや、食べる。
食べたけども!
二人はお互いの気持ちが痛いほどにわかる。
故に璃音は利司郎の背中を押すのだ。大丈夫。目を瞑って『ぱくっ』とすれば一瞬だと。いや、一瞬じゃダメだ。しっかり味わえ、とどっちだよと言わんばかりの葛藤もあったが。
「あー……ん」
「はい、お上手。どう?」
二人は答えられなかった。
上手い言葉は見つからず。さりとて顔はかき氷の涼やかさとは真逆。
けれど、燐は二人の表情を見て満足気に笑う。
二人もそれを見て、良しとするしかなかった。
だって、燐のあんな表情を見たのだ。これで他に何か言おうとすれば、全部野暮になる。
だから、二人は同じように笑って、夏日の一時を燐の笑顔で締めくくるのだった――。
成功
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