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第一夜『月の夢』

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樂文・スイ




 女が階段を登っている。軽快な足音に反して息も絶え絶えで、噴き出る汗は夏の暑さゆえのものではなかった。
 後ろからもうひとつ、階段を登る音が聞こえる。先刻、その主である男の猟奇的な笑顔を見た女は後悔した。女はこのアパートに住んでいた。
 階段はひとつ。男に捕まらず脱出することは不可能だ。一縷の望みに懸けて屋上へと向かう。避難用の梯子か何かがあるよう祈って。
 屋上へと辿り着き、女は必死で逃げ道を探した。しかし男の吐息が背後に、間近に迫るのを感じて悲鳴を上げた。
 男がナイフを振り上げた。女の肉の感触を確かめるよう、背中から馬乗りになり滅多刺しにした。ぐしゃり、ぐしゃりと肌の引き裂かれる音が、月のない夜の闇に吸い込まれていく。悲鳴が途絶えるまで、幾重にも。
 ふと、男は手を止めた。満たされたのが理由ではなかった。血が、流れぬ。溢れぬ。認めた途端に女の姿が掻き消えた。男は狐に抓まれたような顔をしていた。
「それこそアンタの望みじゃないか」
 含み笑いを孕んだ声に男が顧みる。人の形をした、金の眼の狐がそこにいた。狐は――自分は、総ての顛末を知っていた。
「独り逝くのは寂しいだろって、アンタが火を点けたんだ。女諸共ここはただの一人も残さず燃えた――三階もあったってのに、よくやるよ」
 けれど自分は、その周到さと執念深さに見事とさえ言いたくなった。拍手でも贈ろうかとすら考えた。それでも今の男に必要なのは、落とし前だ。――そういう体だ。天誅を原拠に自分は嗤った。
「ツキがなかったな、アンタ」
 掌に光った刃が陽炎のように揺らめいたのを見て、男は震え上がった。常軌を逸した|暴君《サイコパス》であろうと、未知への恐怖は拭えないらしい。
 男が女にしたように、その身体を剖き、抉り、躙る。血と肉を分かつように、手応えを掌に覚えさせるように、ずぶりと突き立て引き裂いた。
 すると鼓膜を破るほどの絶叫を闇が呑んだ。熱い熱いと男は喚いた。刃は熱を持って傷口を焼いていた。
 突如、その傷口から男の身体が燃え上がった。揺らめく炎の中に自分は人の顔を見た気がした。その内のひとつが女のそれに見えてならなかった。
 女は果ててツキを得たらしい。憤怒か憎悪か、由縁などは預かり知らぬところだ。ただ、自分は黒く変わり果てて斃れた男に目もくれず、いつしか姿を現した、赤い月を仰いでいた。

 樂文・スイ(欺瞞と忘却・f39286)の見た、夢だ。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2023年07月24日


挿絵イラスト