夏日、新緑に響く氷の音
●直下
夏の日差しの厳しさは言うまでもないものであったことだろう。
強烈で、肌を刺すようだった。これが太陽が天頂に高く登る頃合いであれば、なおのことである。
あまりにもジリジリと太陽光が差し込むものであるから、多くの生き物は涼を求め日陰を、または水辺へと走るだろう。
馬県・義透(死天山彷徨う四悪霊・f28057)と外邨・蛍嘉(雪待天泉・f29452)が暮らす屋敷の中もそうであった。
縁側が最も日差しが辛い。
差し込む光は確かに生命を育むのに必要不可欠であろう。
生命萌える季節とは良く言ったものである。
しかしながら、限度というものがあるだろう。
「今年も熱くなりましたねー」
「本当にね。あの子らも、この暑さには参っているようだ」
二人が視線を向けたのは室内プール。
屋敷に隣接するように追加されたプールの中を揺蕩うものがあった。
「ぷきゅ」
冷たい水温を調整されたプールは、この屋敷の中で巨大海月である『陰海月』とドクターフィッシュ、ガラ・ルファ『陽凪』が主に利用している。
彼らもまた、この夏の暑さに辟易していた。
夏の日差しは木々の緑を色濃くするし、空の青さも雲も、何もかも色を濃くする。
その光景が嫌いなのかと問われたのならば、そんなことはないと言うだろう。何事にも限度というのがあるのだ。
気温はあっという間に30℃を超えてしまっている。
まだまだ気温が上がる、という予報得ているから尚更である。外に遊びに出かけたくても、この炎天下である。
『陰海月』は干からびてしまうし、『陽凪』も言わずもがなである。
唯一、ヒポグリフである『霹靂』だけは平気であろう。けれど、やはり、この暑さに鬱陶しそうな顔をして、今は二又の尾を持つ『玉福』と共に冷房の効いた部屋で体を冷やしている。
「『陽凪』のお陰でプールの掃除は不要であるのが助かりますねー」
「ふふ、あんなに一生懸命に。元がドクターフィッシュであるからでしょうね」
「『陰海月』も心地よさそうですねー。どれ、私達もお茶を頂きましょうかー」
「いいね。ああ、そうだ。水羊羹がまだあったよね」
「冷蔵庫の中に。いくつかいただきものでしたがー」
二人は連れ立って台所に向かう。
むわ、と夏の熱気が蒸すような空気と共に彼らの頬を撫でる。なんとも生ぬるく、また張り付くような熱であったことだろう。
「これはたまらないね」
「麦茶を作っておけばよかったですね。なんとも間が悪い」
「仕方ないさ。こうも暑いと火を遣いたくなくなるものだからね」
だが、お茶は飲みたい。
どうせなら冷たいものがいい。水羊羹だけではどうにも涼が取れないだろう。
「とは言え、茶葉から抽出するのならばお湯を沸かさねばなりませんがー……」
「ああ、そうだ。そう言えば、この冷蔵庫というのは製氷することもできるだろう? そうでなくってもユーベルコードを使えば氷を生み出すなんてワケないはずだよね?」
「それはそうですけど」
蛍嘉の言葉に『疾き者』は頷く。
とは言え、そのためだけに『静かなる者』を呼び出すのもなんというか気が引ける。それに製氷機の中を見やれば氷は出来ているのだ。
「これで足ります?」
「十分! これならお湯を沸かさずとも冷たいお茶が飲めるというものだよ」
ほう? と『疾き者』は首を傾げる。
そんな彼とは裏腹に蛍嘉はガラスの容器を取り出して、茶葉を放り込む。
そこに製氷機から取り出した氷の塊を次々と放り込んでいくのだ。
「それで、次は?」
「待つ! それだけだよ」
「待つだけ、でいいのですかー? しかし、これは……」
「そう、水出し緑茶ならぬ、氷出し緑茶というものだよ。簡単でしょう?」
蛍嘉はお盆の上に二人分の茶器を置いて、ガラス容器に満載された氷と茶葉を持ち上げて見せる。
「まあまあ、そんなに待たせることはないからさ。ちょっとお待ちよ。あ、こっちは運んでおくからさ。そっちは水羊羹はよろしくね」
そういう彼女に『疾き者』は頷く。
水羊羹はいただきものであったが、つぶあんとこしあん、そして抹茶と三種類あった。
切り分けていくのも考えたが、容器に入っているから、このままガラスの器に盛り付ければ、それだけで見目にも涼やかだろう。
竹で出来た串を用意して、『陰海月』と『陽凪』が揺蕩うプールの前へと運び込む。
「お、きたきた。こっちもそろそろ頃合いかなって思うんだけれど……」
彼女の視線の先にあるのは、ゆっくりと解けていく氷と、そのしずくが茶葉に染み込んで鮮やかな緑色の液体が底に溜まっていく光景であった。
「なるほど。確かにゆっくりと茶葉が広がって行っていますねー」
「それに僅かだけれど、緑茶の香りが立ち上ってきているようにも思えないかい?」
「確かに。しかし、よくこんなことを知っていますねー?」
「ああ、以前聞きかじったことだよ。こんなに暑くて台所で火を遣いたくないと、心底思わなければ思い起こすこともなかっただろうけれどね」
くすくすと蛍嘉が笑う。
氷がきしむ。
溶けた氷同士が擦れて音を立てる。それがまた涼やかに思えたことだろう。
ガラス容器の底に溜まっていく薄緑色。
その鮮やかさを眺めながら、二人はプールで揺れる海月と魚の尾ひれを見やる。そうこうしていると、『霹靂』と『玉福』が入ってくる。
「おや、仲良しなことだね」
見やれば、『霹靂』の背に『玉福』が乗っている。あの涼しい部屋から、こちらに移ってきたのだろう。
それを見やれば、『陰海月』と『陽凪』もまたプールが出てやってくる。
「これ、しずくが落ちるでしょうー。もう、暫し待っていてください。何か拭くものをもってきますからー」
「ぷきゅ」
はーい、と鳴く声が聞こえた。
氷の音が静かに響く。
蛍嘉は容器の中を見やる。彼女はどの道、『陰海月』や『陽凪』がお茶や水羊羹をねだるだろうことを予見できていた。
だから、ガラス容器の中の茶葉と氷はたくさん用意してあるのだ。
室内の温度に負けて氷が溶けてはしずくを底に溜めていく。
広がる茶葉。
「これもまた夏の日の過ごし方の一つだよね」
「ぷきゅう」
「これ、もう少し待つのですよー」
『疾き者』が『陰海月』と『陽凪』の体のしずくを軽く拭ってから、もうよいよ、と示すと二匹はぐるりと宙を舞うようにして氷出し緑茶の容器を興味深げに見ている。
どちらもこうしたものが好きなのだろう。
『玉福』はあくびをして、頭の後ろをかいているし、『霹靂』もまた興味深そうであった。
「まあまあ、待ちなよ。もう少しだからさ」
軽く容器を揺する。
カラカラと氷の音が心地よくなってきている。
氷出し緑茶は、お茶の成分の内、渋みと苦味を極力抑えたものである。
何故、と問われたのならば、そうした成分が高い温度の液体に溶け出すからだと、蛍嘉は答えただろう。
じゃあ、氷で抽出するということは?
「苦味渋みは抑えられて緑茶の甘みにも似た味わいと香りだけが残る、というわけだね」
「良い香りがしますね。これもまた違った飲み方と言えましょうー」
「ふふ、たまには良いだろう? いつも温かいお茶を飲む、というも悪くはないがね」
「麦茶も捨てがたいですねー。はと麦茶、プーアル茶、ドグダミ茶、まあ今の世というのは、嘗ては贅沢、嗜好の類の品がたやすく手に入りますゆえー」
水羊羹だってそうだろう。
甘味のたぐいは、そう簡単に手には入らなかった。
貴重なものであったし、易易と口に運ぶものでもなかった。
けれど、現代、UDCアースなどにおいては違うだろう。アポカリブスヘルなどの世界の事情もあろうが、大抵の場合は食事に対して不自由を得る、ということはなくなっているように思える。
だからこそ、氷出し緑茶のような手法が花開き、人々の間に伝播していく。
「これもまた豊かさの享受と言えましょうー」
「まったくだね。おっと、もう良いようだね」
「いやはや、茶器の用意がいい。ここまで予見しておりましたー?」
「当然、と言えるだろうね。さあ、どうぞ」
そう言って蛍嘉は『疾き者』に氷出しした緑茶を差し出し、『陰海月』や『陽凪』にも手渡す。
口に含めば、緑茶の香りと甘やかな味わいが広がる。
さらにひんやりと冷やされた緑茶が喉を滑っていく心地よさは代えがたいものがあったことだろう。
「ああ、生き返るというものですねー。これは確かに良い……旨味を十分に引き出せています」
「そうだろうとも。それにゆっくりと抽出しているから味が濃いように思えるね。どれ、水羊羹を……と」
「ぷきゅ」
触腕がゆらゆらと揺れて蛍嘉が手を伸ばそうとしてた水羊羹の一切れを取ってしまう。
「おっと……まあ、いいよ。お食べ」
ありがとー! と『陰海月』が鳴くと、『陽凪』や『霹靂』もねだりにくる。
そんな様子を微笑ましく思いながら『疾き者』は『玉福』も、と思えば……。
「にゃー」
あんまり興味ないと言わんばかりに風吹く涼し気な場所に陣取って寝そべっている。
食い気よりも涼しい場所でのんびりするほうが優先されるようである。
未だ日は高く。
されど、涼やかな風は冷たい緑茶が運んできてくれる。
なんでもない日だけれど、特別に思える夏の一日。
『疾き者』は、『陰海月』たちと戯れる蛍嘉を見やり、やはり笑む。
こうした穏やかな日々が続けば良い。
多くを望まないから。
少しでも長く、少しでも、より穏やかに。
そう願う夏日は、からりと響く氷の音と虫の音と共に夕暮れを運んでくるのだった――。
成功
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