|薬《サルファ》になれなかった|毒《てんし》
彼らが何故『神殺し』を目論んだのか、それを知る資料は、今のところない。
間違いなく言えることは、彼らは狂気に取り憑かれていた。
目的の為ならあらゆる道徳も倫理も投げ捨てることが許されると信じていた。
罪を犯しても構わない、ではない。
それらは全て許容されるべき代償であり、尊い犠牲なのだと思っていた。
故に、全ての残酷は。
正義の名の元に行われる。
◆
-ファイル№1477 被検体1号の活動記録
「所長、ミケーラに関してなんですが……」
「ミケーラ?」
「あっ、失礼しました、被験体1号の前回実験のデータです」
「おお、待ちわびたよ。……しかしなぁキミ、被検体はちゃんと番号で呼ぶようにしろと何度も言っているだろう」
「いいじゃないですか、名前を呼んであげたほうが喜ぶんですよ、あの子」
「…………能力は高いのになぁ、キミは。言っておくが、度が過ぎるようなら担当を変えるからな」
「心得ています、それで、この実験の補足なんですが……」
……上司に説明を終えた後、マウ研究員は自分のラボへと戻り、監視カメラの映像に視線を向けた。
『組織』の実験場には、分厚い強化ガラスの天蓋で覆われた中庭がある。
草木も花もあるが、全て人工的に生産したものだ。神が作り出した物は、この場所には一切存在しない。
実験が行われていない時、就寝時間までは被検体達にもこの場所は解放され、憩いの場となっている。
勿論、全ての会話と行動は記録され、監視下には置かれているが。
『それでね、すごーく、いたかったの! あたま、バチバチーっ! って! ずーっとよ!』
ミケーラ……被検体1号は、実験外時間になると、ほぼ必ずこの中庭に向かう。
『そォか……随分長くかかってンなとは思ってたけど』
サルファ……被検体88号は、ミケーラのそんな声に、気怠そうにしながらも、しっかりと顔を見て応じていた。
この名前は、彼らがお互いにつけ合ったもので、施設の正式な呼称ではない。
それでも、マウ研究員は、その関係性をとても良好なものである、と感じていた。
施設で行われる実験は過酷極まりない。何名もの被検体が命を落としてきた|実績《、、》がある。
だからこそ、心の強さ、拠り所というのは大事なのだ。
極限まで追い詰められた時、最後に物を言うのは、心の中、芯にある、譲れない、守りたい大切なもの。
それは人以外は持ち得ぬ、意思の力だ……と、マウ研究員は思う。
|神を超える力は《、、、、、、、》、|人からしか生まれ得ない《、、、、、、、、、、、》のだと。
『まだぐらぐらするよぅ、ねぇ、サルファ、すわってすわって』
『あン? なンで』
『いいからいいからー、ね?』
『………………』
『わぁい、ひざまくらー』
『……ってオイ』
『いーじゃない、つかれちゃったの、このままいさせて』
『…………あァもォ』
ぐしぐしと、|被検体1号《ミケーラ》の頭を乱暴になでつける|被検体88号《サルファ》の姿を観察しながら、確信する。
この二人こそ、、我らの理想へ辿り着く鍵であると。
「おっと、今日の整理をしておかないとな……」
じゃれ合う二人を見守っていたいが、仕事はちゃんとこなさねば。
被検体22号……雷神の核を移植した放電人間によるテストだ。
|被検体1号を対象に《、、、、、、、、、》、四十八時間、脳を含む全内臓に絶え間なく高圧電流を流し続ける実験を行った。
結果として|被検体1号《ミケーラ》の肉体は焼け焦げると同時に再生の兆候を見せた――損傷が生じた場合、それを修復するのが彼女の肉体の特徴だ。
継続的なダメージによって損傷を与え続けることは出来るものの、手を止めれば、たとえ即死レベルの負傷だとしても、すぐさま元通りになってしまう。
最終的に、先に被検体22号が力尽きて実験は終了した。
以前の実験結果、七十二時間の火炙り、二十四時間の水没実験、といった事例を補強する物となった。
『ね、サルファ、海ってみたことある?』
『あァ? あるけど、汚ェぞ。臭ェし』
『えー、うっそだー、海ってねぇ、青いんだよ?』
『そりゃ金持ちが行くリゾートとかの話だろォが。スラムから見える海なンざ汚水とゴミが垂れ流れてンだよ』
『………………』
『…………なンで泣きそうな顔してンだよ! ……ァー、そォかもな、青かったかもな』
『ほんとっ! そうでしょー! えへへ、見てみたいなあ』
『…………』
『サルファも! いっしょに海、見たいね!』
『……そォだな』
「物理的損傷では、神殺しは成し得ないのか……?」
エレメント、人が神から奪った力。
故に、神を殺し切るには至らない。
『…………ほら、やるよ』
『えー! すごーい、おかしだー! どこでもらったの?』
『隣の房の奴に貰った。盗んだわけじゃねェぞ』
『サルファがそーいうことしないの、しってるのよ? はい!』
『……なンだこれ』
『はんぶんこ!』
「………………」
ならば、人が作ったものはどうか。
カメラの向こうで、微笑ましく、慎ましく、手の中にある幸いを分け合う二人を見て。
マウ研究員の胸に、確かに熱いものが去来していた。
-ファイル№1784 被検体88号に関して
彼がいた|地域《スラム》が『清掃業務』の対象になった理由は、今となってはわからない。
あまりに治安が悪いからだったかも知れないし、暴力を行使することでしか生きられない子供達を世間が不要と判じたからかも知れない。
結果として、ミケーラと呼ばれて居た少年は『組織』に拉致られることになった、その過程に大した意味はない。
仲間と辛うじて呼べるような連中を先に逃がそうとして、殿を務めたのが理由だったか。
先に大通りに出た連中は、火炎放射器で一人残らず焼かれた。
そういう意味では、結局|不運《、、》だったのかも知れない。
生きて捕まってしまったことで、彼は被検体88号という記号を与えられる事になったからだ。
「すぅ……」
細い髪、細い腕、膝の上で眠る、淡い天使のような少女。
実験の疲れがあるのだろう、会話をしているうちに、眠ってしまった。
ミケーラ。
少女にくれてやった名前。
代わりに、サルファという名前をもらった。
人から何かを与えられたのは初めてだった。
「…………糞が」
自分はいい。
傷つけて、奪って、人様に迷惑をかけて生きてきた。
これが報いだというのなら、甘んじて受けようとすら思った。
だが、彼女は違う。
不運な歯車のかみ合わせで、こんな所に来てしまった。
自分が受けている実験を考えれば、彼女の苦痛だって容易に想像出来る。
誰も信用できなくなってもおかしくない。
全てに絶望して、壊れて狂ってしまっても仕方ない。
誰かが苦しそうにしていると悲しそうにするし。
笑っていれば、笑顔になる。
自分が救われない事は、受け入れられても。
彼女が救われない事は、何故を思わずに居られない。
「…………なァ、ミケーラ」
指の中で、髪の毛がサラサラと解けていった。
「もォ少しだけ、待てるか」
返事はなかった。柔らかな寝息が聞こえた。
「俺への実験を増やせ」
被験体の総数が、当初の半分以下になった頃、|被検体88号《サルファ》は実験開始の直前にそう言った。
マウ研究員と|被検体88号《サルファ》が会話をするのは、これが初めてのことだった。
「どういうことだい?」
「協力してやるっつってンだ。このクソふざけた実験に」
身寄りのない子供、拉致した子供、被検体同士を交配させて作った子供。
当然のことながら、被検体のほとんどは『組織』の実験に対して協力的ではない。
勿論、それらは『組織』にとって大した問題ではないのだが、それでも被検体が協力的であるならば……可能な実験の域はぐっと増える。
「……被検体1号、いや、ミケーラのためかい?」
「…………!?」
|被検体88号《サルファ》が目を見開いたのは、その呼び名を、研究員達が知っていた事に対する驚愕か。
「君たちのことは全部記録してる……ああ、安心して、だからどうこうっていうわけじゃあない、むしろ歓迎したいくらいだ」
「……どォいう意味だ」
「あの子は、いい子だろ? わかるよ」
結論から言うと、|被検体88号《サルファ》の申請は受理された。
大半の研究員は反対、もしくは取り合う価値無しとしたが、マウ研究員が強い賛成意見を見せ、残した実績を鑑みてこれを採用する形となった。
-ファイル№■■■■ ■■■■■■
「センセ、センセ!」
「なんだい、|被検体1号《ミケーラ》」
「サルファは? さいきん、ずっとぐあい、悪そうで……おはなししても、ぼーっとしてて……」
「……大丈夫、彼は今、頑張ってるんだ、もうちょっとだけ、待っててあげられるかい?」
「でも、でも、他のみんなみたいに、いなくなったら、わたし、わたし、やだよ……」
「そうか……|被検体1号《ミケーラ》は、|被検体88号《サルファ》と|ずっと一緒にいたい《、、、、、、、、、》かい?
「うん……一緒にいたい、はなれたくない……!」
「……わかった、私に任せておきなさい」
あれからどれぐらいの経っただろう。
時間の感覚はとうに消え失せた。
腕が、足が、目が、内臓が、あらゆる部位が人としての形状を失い、異なる生物に変じる感覚を、生きたままに味わっていた。
それでも意識を保てたのは、約束があったからだ。
『サルファも! いっしょに海、見たいね!』
ああそォだ、全部終わらせて、ここを出て海を見に行こう。
あんなスラム脇の溝みたいな所じゃあない、キラキラと青くて、見たら焼かれてしまいそうなほど、眩しい太陽を反射する海だ。
負けないぐらいの笑顔でこちらを見るミケーラは、きっと天使のように違いない。
その時が来たら、漸く言える気がする。
「ありがとな」
声をかけてくれて、捨てた名前のかわりに、俺の名前をくれた。
出会ってくれた、笑ってくれた、その礼が、やっと。
その後、多分ずっとそばには居られないけれど。
―――俺が、お前の人生の|特効薬《サルファ》になれるなら、それでいい。
「おめでとう、|被検体88号《サルファ》、実験は成功だ」
マウ研究員は、感極まった顔でそういった。
「これで我々の目的は達せられた。私達の力は神へ至った。その証明ができた」
感動に打ち震える様を、サルファはどうでも良さそうに眺めていた。
それよりも、欲しい物がある。
「|被検体88号《サルファ》、契約は確かに遂げられた。私も約束を果たそう。キミは何を望む?」
そんなの、決まっている。
「ミケーラに会いたい、会わせてくれ」
あの日から、ほとんど顔を見てなかった。
謝りたかった、そして、もう大丈夫と言ってやりたかった。
「わかった、彼女は今、隣に居るよ。今|持ってくる《、、、、、》から」
からからから、と車輪の音がした。
簡易的な寝台だった。白い布が被せられていて、じんわりと赤い色が滲んでいた。
「……?」
それが何なのか、すぐには理解できなかった。
俺はミケーラを連れてこいと言ったんだ、何だそれは。
疑問を呈する前に、布が剥ぎ取られた。
そこには、天使の骸があった。
「……ミケーラ?」
返事はなかった。柔らかな寝息もなかった。
呼吸も脈も止まっていた、 命というものが失われていた。
肉体を維持する機能は全て損なわれ、魂というものが入っていないことがわかった。
「素晴らしい、感動した……やはり、人の心こそが、誰かを思う気持ちこそが、神へと届く力だったんだ!」
光のない空虚な瞳は、何も見ていなかった。
サルファを、見ていなかった。
「よかったね、|被検体1号《ミケーラ》、願いが叶ったね。彼とずっと一つになれたね。」
口の端からだらり、と血を流す骸を、男は愛おしく撫でつけた。
指が触れた先から皮膚がグズグズとやぶれて、連鎖するように天使の全身が崩れ始めた。
「|被検体1号《ミケーラ》を強く思う|被検体88号《サルファ》だからこそ、この毒を産めたに違いない――神を殺せる毒を」
無限の再生を繰り返し、死なない神に等しい不死を殺すために生み出された、それは『生命』という概念そのものを殺す毒。
最初から、彼には毒を作ることしか出来なかった。
毒は過ぎても、薬にはならなかった。
|自分の毒が《、、、、、》、|彼女を殺した《、、、、、、、》。
「――――――ア」
肉が腐り、溶けて、骨が灰になり、存在すら否定するように、形が失われていく。
もう笑わない、もう声を聞けない、もう生きていない。
苦しむことも…………ない。
「ああ、この感動を、どう言葉にしていいかわからない! おめでとうサルファ! おめでとうミケーラ! 君たちは永遠に――――――」
「ァ、アア、アアアア、ア――――――――」
「―――― 一つになった!」
「ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
……『組織』の情報は何一つ残っていない。
二度と生物が立ち入れない危険地帯として封じられ、調査することは禁じられている。
狂人が作ったカルト宗教の末路として、警察資料の一部に、その名前が記載されているのみだった。
成功
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