夏の日差しの福徳円満
馬県・義透
猟兵というか、拾われた猫🐈である玉福の日常です。
玉福
https://tw6.jp/garage/item/show?item_id=192946
玉福はよくお留守番をします。
そして、お留守番中は朝と夜に(自称)パトロールしています。玉福パトロールの夏。
屋敷はもちろん、隣接する巨大水槽(陰海月の寝床と運動部屋)、修練場…それに、裏手にある山(玉福が拾われた場所でもある)。
パトロールが終わったらご飯です。自動的にでてくるカリカリとお水で腹ごしらえ。
玉福は賢いので、無理はしないのです。ケフッ。
お昼には、冷房の効いた部屋でのびーんと。
陰海月が作ったぬいぐるみをもふもふもっちりしたり。
何となくアルファベット表を見たり。
帰ってきたら、霹靂と陰海月に「かまえ!」とばかりににゃー。
義透はご飯の準備に忙しくなるので、おかえり、の挨拶のみ。
夜ご飯が終わったら、今度は義透に「かまって!」とのにゃー。
その間に、陰海月と霹靂は動画見たり、お風呂に入ったりします。
玉福は、毎日ふくふくと過ごす。
そんなお話です!
●縄張り
猫という生物にとって縄張りというのは大切な領域である。
己の領域を守るために日々、巡回するのが役割であり、そうすることで他者との距離を図るものでもある。
人から見れば、それが暢気なものに思えることもあるだろう。
けれど、猫にとって、それは生活に根ざしたものであるのだから、余計なお世話である。とはいえ、それを理解してほしいと人間に願うのもまた違うことだ。
理解を正しいと言えるのは己だけである。
人間が、人間という分類に値するのだとしても、それぞれに異なる顔や声色、心や思考を持つのならば、猫にもまたそれが動揺であるように思える。
だから、やはり余計なお世話である。
しかしながら、馬県・義透(死天山彷徨う四悪霊・f28057)の住居に住まう猫、『玉福』もまたそうであるのかと言うと違うようであった。
彼の主人はよく出かける。
留守にする、というのが正しいだろうか。
時折、呼ばれるようにして巨大なクラゲとヒポグリフと共に連れ立って何処かに征く。
きっとあれは己の預かり知らぬ場所へ向かうのだろうな、という検討は付いている。
けれど、自分にできることはそう多くはない。
それを嘆くことはない。
何故なら、玉福は猫であるから。
どれだけ悲しみも、苦しみも、痛みも、覆らぬのが世の習わしであると知るのだとしても、やはり自分は嘆きたくない。
すでに多くの嘆きを得てきたからである。
どん底にあった己の生というものがあれど、しかして、これからは上り調子。主人に拾われ、巨大なクラゲやヒポグリフとともに過ごす生活というのは居心地がいい。
ならば、この居心地善い場所を守る、というのは、己の猫としての本能に根ざした縄張り意識としては正しいものであるように思えた。
「にゃあ」
だから、玉福は一つ鳴いて、今日も主人達がでかけた後に屋敷を巡回する。
まずは朝。
朝日が差し込む前に動き出す。少し動きが緩慢なように思えるのは、日差しが心地よいからである。
空気の冷たさと僅かな湿気。
この時期には当たり前の気配である。ひげがぴくぴくと動く。
屋敷の中をぐるりと一通り歩くと、玉福は巨大水槽へと向かう。水に濡れる、というのは少し忌避感がある。
それが己の先祖たちが太古から獲得してきたものであり、また同時に獲得してこなかったことでもある。
元々己の先祖たちは水辺に住まうものではなかった。
乾燥した地にあるからこそ、水に触れる、ということ経験を獲得してこなかった。
故に、己の柔らかな毛は脂分が少なく、水に濡れてしまうと乾きづらい。となると、ぐっしょり濡れた自分の毛というのは、それはそれは残念なことになってしまうのだ。
だから、いやだ。
けれど、その巨大な水槽には主人と共にある巨大なクラゲが浮かぶ。ここが彼の寝床なのだ。
時折遊んでくれるし、かまってくれる。手足がたくさんあるのは面白いと思うし、また共にあるヒポグリフの羽根も面白い。
ただしかし、空より舞い降りてくる時は嫌いだ。
あれは怖い。
恐ろしい。自分たちのしなやかな体は確かに俊敏である。けれど、あの空飛ぶものたちというのは、そんなものおかまいなしに己達のひげのセンサーが感知し得ぬ空より飛来し、己達の生命を容易く握り潰すのだ。
いやまあ、この屋敷のヒポグリフがそうしたことをしない存在であるとしっているけれど、やはり心臓には悪いのである。
「なあん」
此処も異常なし。
修練場と呼ばれる板間も見て回る。異常なし。
というか、静かである。裏手の山を見て回って、最後に屋敷の台所へと至る。
時間がくると勝手にザラザラっとカリカリとしたうまいものを出してくれる機械が置いてある。
さらには水まで出してくれるというのだから、世の中には猫に都合の良いようにできたものがあって正直猫でよかったと思うのだ。
ひとしきり巡回を追えた後は、ささやかな休憩時間である。
戸を僅かに開けて後ろ足で蹴って閉じれば、ひんやりとした空気が自分の体を撫でる。
玉福は一つ鳴く。
返事はない。
いやまあ、わかっていたことである。
カリカリを腹八分目食べたせいか、ちょっくら眠い。
それはそうである。
食べたら眠くなる。
当たり前のことである。むしろ、食事を終えた後も起きて動いて何かしらしている、というのが玉福には信じられない。
毛づくろいは、まあ仕事のうちではあるけれど、人間は自分たちみたいに毛むくじゃらではない。つるりとしている。
あの巨大なクラゲもヒポグリフだってそうだ。
自分だけが毛だらけ。
だから、ざりざりと舌でせっせと繕わなければならない。
はー忙しい忙しい。
まったくもって猫というのは、大変な生き物である。だから、こうして世は自分たちに都合の良い様にできているのだろう。
さて、と冷たい風を吐き出す箱が天井付近にあるのを確かめてから、玉福はごろりと寝転がる。
毛づくろいをサリサリしながら、あの冷たい風を運ぶ箱を見上げる。
たまにガーガー音がするが、まあ、そういうもんである。気にしたってしかたない。たまに部屋の隅に転がっている、自分ほどではないけれどふわふわもこもこしたぬいぐるみを小突いたり、ぐにぐにとふみふみしたりして時間を流していく。
たまに壁に貼り付けられた記号みたいなものを見てみるが、秒で飽きる。
というか、猫が暇しているのだが?
主人たちは何をしているのだろうか。猫がひましてますが? 構うのが礼儀というか、作法というものではないか?
そんな風に思いかけた時、屋敷の戸が開く音が聞こえる。
耳がピクリと動く。
「ななん」
帰ってきた。駆け出す。それまでのだらけっぷりはどこに行ったのかと思うほどに俊敏に部屋から飛び出していく。
ナイスタイミングである。
暇していたところなのだ。これだから主人たちは出来る主人たちである。猫である自分の暇だなーってタイミングで返ってくるのだ。
「おお、出迎えご苦労。良い子にしておったようだな」
「くえー」
「ぷきゅきゅ!」
主人にクラゲにヒポグリフも揃い踏みである。
うむ、出迎えご苦労って感じである。
「にゃーにゃーにゃーにゃーにゃー!」
かまってくれていいんですが。
いえ、むしろ構うべきではないでしょうか?
額の当たりをカシカシしてくれていいいですし、背中をさすってくれてもいいですよ。ああ、なんなら肉球ぐにぐにします? 指圧してくれていいですよ。今ならお腹も!
玉福は自らの主人達の前でごろごろと転がって見せる。
傍から見ては、構って構ってとねだるように見えるだろうが、勘違いしないで欲しい。かまって欲しいのではない。かまってあげているのである。
玉福的には感謝してほしいくらいである。
「よしよし。では少し食事の用意をしよう。『陰海月』、『霹靂』、『玉福』のことを頼んだぞ」
「にゃー」
「ぷっきゅ!」
「くえくえ」
三者三様である。
というか意思疎通が取れているようで取れていないような。
けれど、不思議と噛み合っているよな彼等を見て主人は笑むばかりである。
「ふ……今日も福福と過ごせているようだな。善きことだ」
彼等の心のうちはわからないけれど。
しかして、じゃれるようにして居間で戯れる姿はきっと招福たる光景そのものであった――。
成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴