アウェイキング・チャイルド・エンカウンター
●埋没していく意思
揺らめくような視界がある。
ヘッドマウントディスプレイの彼方にある景色は少しも変化しない。だが、視界が揺れていると感じるのは如何なることだろうか。
躯体は動かない。
マニュピレーターの指一つ動かない。
これは己が眠っているのかと『それ』は思った。だが、どうやら違うらしい。半覚醒状態。時折、己の視界が揺れるのがそうなのだろう。
恐らく、時折己の躯体の周囲を通りすがる動態反応に呼応してのことだった。
けれど、微睡みのごとき半覚醒状態が解除されることはなかった。
ただ只管に疲れたという感覚だけがあった。
何に、と問われたのならば己はなんと応えるだろうか。その答えすら己は持ち得ていないのだ。
そもそも誰かが問いかけることなどないだろう。
諦観にも似た感情が込み上げてくる。
果たして、己は、いや、俺は一体何なのであろうか。俺の存在意義は一体なんなのか。なんのために生まれ、なんのために死んでいくのか。
果たして生命であるのだろうか。
その定義すら曖昧になっていく微睡み。
もしも、と思う。
もしも、目覚める時が訪れるのならば、そのときは己の存在意義が見つかった時だろう。その時を待つように『それ』は永き時の中に埋没していく。
誰もが知らず。
誰にも知られず。
ただ時の流れだけが己の中にある意志を抑え込むように。苔むし、根が躯体を覆っていく。そして枝葉が伸び、葉が茂り、幹は己の躯体を支えとして太く逞しくなっていく。
ああ、と思う。
きっと己はこれに憧れたのかも知れない。
ただ其処に『在る』ということ。
過去より滲み出たが故に『在る』ことは破滅に繋がる。そんな己が唯一許されたであろう『在る』という幸運。
この幸運はきっと、いつの日にか誰かに報いなければならない――。
●邂逅は見上げて
「へぇ~グリードオーシャンにもこんな島がまだあるのね、うるう、びっくりしちゃった」
「この奥にはまだでっけぇ樹があるんだぜ。ごしんぼくってゆーの? 大人からはあんまり近づいてはならねーって言われてるけど、俺達道を知ってるんだぜ」
杓原・潤(鮫海の魔法使い・f28476)はグリードオーシャンの海洋に浮かぶ一つの島にやってきていた。
彼女は猟兵である。
他世界を跨ぐ彼女の仕事というのは多岐に渡っている。
幼いながらも猟兵として目覚めた彼女は多くの世界を巡ってきただろう。そんな中でもグリードオーシャンと呼ばれる海洋の世界の成り立ちは彼女の好奇心を強く刺激した。
人が居住している島の全てはかつて、空よりこの海洋に落ちてきたものであるのだという。
「この島もそうなのよね。いずれかの世界から落ちてきた島。サクラミラージュやキマイラフューチャー、スペースシップワールドの宇宙船まであるっていうのだから驚き」
うるうは、オブリビオンに関連した事件を解決した後、少しばかり島を観光気分で見て回っていたのだ。
魔法使いと自認する彼女だからこそ、多くの知識を得たいと思うのは当然のことであったかもしれない。現地の子供らと仲良くなった折に、この島にも異世界由来のオブジェクトめいたものがあると言われれば興味も湧くというものだ。
「じゃあ、案内してやろっか?」
「いいの? お願いっ、うるうを連れてって」
そんな風に約束をしたのだが、現地の子供らは大人たちの手伝いを放り出して、うるうと遊んでいたため雷を落とされてしまう。
となれば、うるう一人で向かうしかないのだ
「ごめんな……でも、この森の中心だから真っ直ぐ行くだけで大丈夫だと思う。お参りしている人もいるから、轍になってところをたどれば迷うことはないから……」
「大丈夫。それを教えてもらっただけでもありがたいよっ。うるう、行ってみるね!」
しゅんとしている少年たちを潤は手を降って見送る。
そして、教えられた島の中心。
この島は中心から森が生まれている島だ。他の島との交易などで生活しているおかげか、多くの情報や物流が盛んに行われている。
だからか、発展しているのは船が出入り出来る港部分ばかりだ。中心に行けば行くほどに文明の香りはしなくなっていく。
「轍、と言っていたよね。これのことだよね?」
潤は子供らの言った言葉を思い出す。
地面が踏みしめられ、草の種が入り込む余地がないからこそ、地面が露出し、道を示してくれている。轍が出来て言うということは頻繁ではないにせよ、子供らが教えてくれた御神木の場所までお参りを欠かしていない者がいるということである。
森の中心だというのだから、きっと深い森なのだろうと思ったが、そう遠くはなかった。猟兵である潤にとっては、この程度わけない。
ゆっくりと轍を進んでいくと、そこにあったのは巨木だった。
日が差し込み、大樹たる幹を照らす。
大地に張り巡らされた根は力強さを感じさせる。だが、潤は目を見開く。
その幹を支える根元にどう考えても有機物とは思えない無機物たるものを見る。
「えっ……あれって?!」
思わず駆け寄ると、その根本に埋まるようにして存在している『なにか』がきしむように僅かに動き始めている。
「え、えっ、どういうこと……!?」
「……――」
「声っ、声……? これ声よね? だれ、誰かいる……?」
潤は気がついた。
頭に直接響くような声。これは周囲には響いていない。音ではないのだ。言ってしまえば、思念のようなもの。
それが潤の頭に呼びかけているようだった。
「わからない。あなたの声、とても小さい。もっと大きな声って出せる?」
幹に埋まるようにしていた『なにか』がゆっくりと動き出す。
同時に『なにか』に絡まっていた根が解けるようにして開放され、ゆっくりと潤の眼の前で『それ』は立ち上がるのだ。
潤の第一印象は樹木の巨人だった。
「あなた? この声はあなただよね? うるう。うるうっていうの。ふふん、良い名前でしょっ。それで、あなたは? うるうが名乗ったのだから貴女も名乗るべきだと思うの。名前あるでしょう? ないわけなんてないわ。この世界に存在しているのならば、名前のないものなんてないのっ!」
潤の言葉に樹木の巨人めいたものは僅かに動きを止める。
見下ろしているように見えるのは頭をたれているからか。どちらにせよ、潤の瞳と巨人の視線が交わる。
だが、巨人の頭が横に振られる。
同時に潤の前に膝をつく。
よく見ると樹木そのものが巨人になっているのではないことに潤は気がつくだろう。どうやら元々、無機物であった装甲が永い時を経て木材へと置換されているのだ。
言ってしまえば、大地の圧力で木材がパール化するような現象が、この巨人にも起こっていたのかも知れない。
潤は膝つく巨人に近づいて、永い年月に寄って苔むした躯体を払う。
「随分と汚れちゃっているねっ。仕方ない。うるうにお任せして! ちゃんと綺麗にしてあげるから。歩ける?」
その言葉に巨人の胸部が埃を立てて開く。
ハッチ、と言うのだろうか。
潤には分からなかったが、巨人の胸部が開いた事により、そこは人一人がすっぽりと収まるスペースが生まれる。
「乗れってこと?」
膝を伝って潤は胸部スペースを覗き込む。
そこにあったのは彼女がよく知るアニメの世界に出てくるようなロボットの操縦桿めいた機器だった。
もしかして、と潤は首をひねる。
聞いたことが在るのだ。数多ある異世界。その中の一つに鋼鉄の巨人たる戦術兵器が闊歩する世界があると。
「確か、名前はクロムキャバリア、だったかな。きっと、あなたも其処からこのグリードオーシャンに落ちてきたのかもしれないわね。え、わからない? そうなの。永いこと眠っていたの。お寝坊さん」
そう言って潤は笑うと巨人のコクピットと言える場所に収まると元気に声を上げる。
しゅっぱーつ! と。
その朗らかな声に呼応するように巨人は立ち上がり、海辺へと歩んでいく――。
●洗車ならぬ洗キャバリア
海辺に出た巨人のコクピットから潤は降りて、巨人にかがむように指示を出す。
「そうそう上手。かがんでおいてね。潤が体を洗ってあげるからね」
そう言って潤は水着に着替えると手にした短いステッキのような杖を振るう。
バブルワンドと呼ばれる潤の実家の物置で見つけた短杖だ。雷や炎を操ることは勿論のこと、潤の魔力を込めることによって泡を生み出すことができる。
「何をするのだって? 決まっているじゃない。洗うって時に必要なのは泡でしょう? 大丈夫。怖くなんてない。え、怖いとは思ってない? またまたそんなこといって腰が引けているんじゃない?」
潤は巨人と頭の中の思念でやり取りをしている。
はっきりと言葉が聞こえているわけではないが、思念としてなんとなくこう言っている、ということがわかるのだ。
恐らくこれは潤の魔力と巨人が呼応し、経路のようなものが形成されているからだろう。
潤の魔力と紐付けられることによって巨人の体内にあるエネルギーインゴットが励起し、起動するのに潤の魔力が鍵になった、ということなのだと推察できる。
けれど、潤にとってはそれは些細なことだった。
「それっ!」
バブルワンドをふるえば泡が一瞬にして立ち上り、入道雲のように巨人を覆っていく。永い時を経たことによって体積した塵や苔が次々と落ちていく。
「気持ちいい? え、わからない? 体を綺麗にするってことはとっても気持ちのいいことだと思ったのだけど。あ、そういうのわからないんだ?」
泡まみれになりながら潤は巨人の装甲をゴシゴシと擦っていく。
水着になったのはどうやっても泡だらけになってしまうし、汚れてしまうからだ。
水着ならこのまま海に飛び込めば汚れも取れて一石二鳥。そんな思いで彼女は巨人の体躯を洗っていく。
「こんなものかな! じゃあ、このまま海に飛び込んで。泡流しちゃお!」
巨人は潤の指示に従うように跳躍する。
泡が散って、潤は目を丸くして見上げるしかなかった。彼女的にはお風呂に入る時みたいに海に足を入れるのだと思っていたばかりに不意打ちだった。
巨人が飛び込めば当然、その質量に寄って盛大な水飛沫どころか大波が生まれて海岸に立っていた潤にも飛び散る。
いや、押し流されるといった方が正しいだろう。
「あっ、わざと! こらー! そんなことしたらだめでしょ!」
すっかり潤の泡や汚れも波に流されてしまった。
結果的に良かったとは言えるけど、巨人の行いは咎めなければならない。だって、もう巨人は自分の子分なのだから!
潤は波に泡さらわれた巨人へと駆け寄って、コクピットハッチを叩く。開いたハッチの中に収まって、ぷんすこしていると巨人も申し訳ない気持ちになったのかも知れない。
ハッチを閉じると、潤ごと海へと進む。
「ん? なに? これ?」
ハッチが閉じるとコクピットの天井から一つのパッケージされたものが落ちてくる。それを広げると、どうやらスーツのようだった。
「スーツ? これをくれるっていうの? なーに、ご機嫌取りなの? あはは、そう、ありがとう!」
潤は思いがけない贈り物を受けて笑む。
そして、巨人は徐々に海の中へと沈んでいく。
「海底散歩? 大丈夫なの? この体。だって木材みたいな素材になっているのよ? 大丈夫? 潤の魔力を使えば……ああ、そういうこと。潤の魔力で泡のように体を覆えば、水圧は心配なってわけなのね。賢い、うるうってば!」
潤にもわかってくる。
この巨人はキャバリア。それも過去の化身たるオブリビオンマシンなのだと。けれど、なんとなくわかるのだ。自分に対する敵意がない。
それどころか、巨人本人にもわからぬ潤を守らなければならないという使命感めいた感情に今も戸惑っているのを。
そして、その戸惑いというのは潤にしか払拭できないのだと。
海底を征く巨人。
揺らめく陽の光。
砂を僅かに巻き上げて見上げると、そこには多くの海洋生物たちが踊るようにして営みを続けている。巨人はきっとこれを見せたかったのだろう。
潤は思う。
巨人、といつまでも呼ぶ訳にはいかない。そして、その巨人の中に芽生えたものを肯定しなければならない。
名前がないといった巨人。
ならば、と潤はコクピットの中で首をひねる。
「名前をあげるわ。きっとあなたも気に入る。一緒にいよう。『テルビューチェ』――」
成功
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