さくら、ちるや、はるにはさいて
――掘っている。
――ただひたすらに、掘っている。
雨倉・桜木(花残華・f35324)はいつからそうしていたのか、或いはこれはただの夢なのか、其の判別もついていない。
しかしただ、|掘らなければならない《・・・・・・・・・・》という焦りだけが心の中にあった。
――ああ。|また《・・》、この夢だ。
諦念に似た感情を胸に抱きながらも、其れでも、桜木は掘る事をやめられない。
其処に何が埋まっているかを知っているから。知っているからこそ、掘り返さずにはいられないのだ。
マンテン――二尾をぴるりと揺らして、夢魔兎がじいっと、桜木を見ていた。
●
桜木は桜の精だ。
そして桜の精とは、死した魂がサクラミラージュの理に従って生まれ変わった者の事を指す。
つまり、桜木には“前の生”がある。
ただ、桜木は己の前の生を詳細には覚えていないし、覚えている必要があるのかと問われれば、『否』と応えただろう。
あくまで今を生きているのは“雨倉・桜木”であって、前の生を繰り返している訳ではないのだから。
――けれど。
其れは何の未練もなく死んだら、の話である事も桜木は判っている。
だから、こんなに何度も悪夢を見るのだ。
一本の八重紅枝垂桜。其処にはおあつらえ向きにスコップが置いて合って、幹にはこう書かれている。
『xxxxxxx、此処に眠る』
読めない箇所は、恐らく前世の名前だろう。
何度も読もうとした。角度を変えたり、見方を変えたり。読めないものはなんとしても読みたくなってしまうもので、色々と手を尽くして名前を解読しようとはしてみたのだが、結局、桜木が己の前世の名を知る事はなかった。
どうしてこの桜の木の下に埋められたのか。
桜木は其れを知っている。
|殺された《・・・・》のだ。
そうしていつしか、この桜の木の下には死したペットや野良犬・野良猫を埋めるという習慣がサクラミラージュには広がり――八重紅枝垂桜はいつしか、動物たちの墓標となっていた。
だから、桜木が桜の精としてこの枝垂れ桜で目覚め、初めにやったのは、己を確認する事。
土が爪の間に入る事も厭わず只管に木の根元を掘り返し、見付けたのは――両手に収まってしまいそうな小さな白骨。そして、動物たちのまだ肉が残っている死骸。
どうして、という疑問。
かなしい、という憐憫。
桜木は其の時確かに|現実で《・・・》、白骨を確認した後、動物たちを改めて別の場所に埋め直してやった筈だった。
其れで己の前世への未練は終わったと思っていたのだ。
けれど。
けれど桜木は、未だに夢に見る。
今のように必死になって、八重紅枝垂桜の下を掘り返す夢を。
●
まずはさっくりと、スコップで掘る。
骨や動物たちを傷付けてしまわぬように、慎重に、優しく。
そうしてある程度柔い土を除けたら、後は素手だ。普段三味線を弾く指で、がりがりと引っ掻くように土を掘り進めていく。
夢だから。そうかもしれない。
でも、夢であっても桜木は、この下に眠っている誰かを傷付けたくなかったし、一緒に眠ってくれている動物たちを傷付ける事もしたくなかった。
毛皮が見える。
ああ、これは無作為に埋められてしまった哀れな動物たちだ。
きっと埋めた側に悪意はなくて、ただ、気に刻まれた墓碑のような文字が目印になるからと埋めたのかも知れない。
其れでも、哀れだった。
だから桜木はそっと其の兎――兎だった――を抱えて、土穴の脇に置く。
例え夢の中だとしても、きちんと埋葬し直してあげたい。
そうしてまた、掘り進めていく。
犬の遺骸があった。半分骨になった猫の遺骸があった。目を開いたままの鼠の遺骸があった。
其れ等を全て、優しく桜木は両手で抱いて、穴の脇に寝かせていく。
「大丈夫、後で空が綺麗な場所に埋めてあげるから」
そう。風がよく吹いて、空が良く見えて。
そんな場所がきっと君たちには似合うから。
已まない桜色ばかりじゃあ、君たちは少し退屈かもしれないし。
まるで己を励ますように、動物たちに声を掛けながら、桜木はすっかり土で汚れた手でまた掘り進めていく。
――……大抵の場合、こうして掘り進めていくうちに夢は醒める。
そうして桜木は、半分安心していた。ああ、今日も“見ずに済んだ”と。
でも、今日の夢はやけに深くてリアルだ。まだ掘れる。まだ掘れてしまう。
掘らないという選択肢もあるのだろう。
例えばこちらをずっと見ているマンテンと共に、静かに己の母たる樹の下で過ごす事だって出来るのだろう。
でも、そうできない。
どうしても桜木はこの下が気になってしまう。安らかに眠っている“誰か”を助けなければと、そんな焦りに苛まれるのだ。
最近は――そんな焦りも含めて、“またこの夢か”と済ませられるようになってきたのだが。今、桜木の心の裡には別種の焦りが生まれようとしていた。
醒めてくれ。
醒めてくれ。
夢なら醒めてくれ。
ぞわり、と背筋に奔るものがある。
このまま掘り進めてしまったら、|出会ってしまう《・・・・・・・》。お願いだ、夢なら醒めてくれ。桜木は願う。だが、其の願いに反してマンテンは去らず、桜木は只管に土を掘り進めていく。
何故か確信があった。
この下には、|いる《・・》。
自分の前世たる小さな少年が。
どんな姿で? ――判らない。
生きているのか、死んでいるのか? ――判らない。
ただ、いるのは確かで。
だから桜木は手を止めたいのに、手は止まってくれない。
「つっ?!」
べり、と嫌な音がして。
桜木の手にまるで熱いものに触れたかのような痛みが走った。
一旦手を止めて見てみると、ああ、人差し指の爪が剥げている。
……痛みを感じる程、夢が深いのか。
其れとも此処は、夢ではない何かなのか。
……いいや。
こうなったら最後まで掘り進めてやろう。
桜木は剥げ掛けた爪をぶちりと引き千切ると、再び土を掘り始める。
傷に土が触れる度、ぢりりとした痛みが走る。土に赤い色が混じって、少しだけ湿っぽくなる。其れでも夢は醒めてくれないし、桜木はずっと掘り進めていた。
●
中指。
小指。
親指。
次々と爪が剥げて、もう痛いという感覚すら判らない。剥げた爪の僅かな隙間に砂が入り込んで、手全体が痛むような気すらする。
けれど――“あと少し”で。
見えそうな気がする。
見えたら何か変わるのだろうか。
この悪夢を見ずに済むようになるのだろうか。
マンテンは答えない。
桜木は答えを得る事はない。
だが、“あと少し”だという予感だけが、桜木の疲れた体を動かしていた。
夢だという感覚はもうとうに投げ捨てていた。もしかしたら誰かが見せている幻覚なのかもしれない。其れでも良い。ぼくは、ぼくの下に埋まっているのが“何”なのかを知りたい。
其の時。
……指が、生暖かいものに触れた。
桜木は漸く久し振りに手を止めて、よくよく覗き込んだ。
其処には生白い何かがあって、――ああ、其れは膚だ。死人のような白い皮膚が、土の間から僅かに覗いている。
桜木は慎重に、土を払うように除けながら、其れを掘り返していく。
骨の白ではない。膚の白だ。
何処か遠くで警告のようなものが鳴っている。これ以上は掘り返してはいけないと。
マンテン、君なのかい? ――もう、でも、きっと手遅れさ。ぼくは掘り返してしまった。もう見えてしまった、出会ってしまった。
だからもう、手遅れさ。
ゆっくりと、其の頬にかかる土を払う。
そうして鼻のライン、閉じられた眸、――顔にかかった土を払っていく。
其処にいたのは、桜木にそっくりな顔をした少年だった。
まるで今しがた、眠ったところを埋められたかのように美しかった。
「……やっと、会えたね」
ああ、長い夢も此処で醒めるのか。
桜木は傷付いた指で少年の頬を撫でる。
ふと。
少年の瞼が揺れたかと思うと、其の瞳が|開いた《・・・》。
ぞわ、と全身の産毛が粟立つ。
桜木はぎくりと手を止めると、少年を見詰めた。少年は真っ暗な、あなぐらのような瞳で真上を見詰め……そうして、桜木を見た。
『ぼくは、きみにあいたくなんてなかった』
●
桜木は今日も夢を見る。
傷だらけの手で桜の下を掘る夢を。
己の前世に遭いに行く夢を。
マンテンはずっと見ている。徐々に深さを増していく夢、踏み込んでいく主を、じっと、二尾の夢魔兎は見ている。
成功
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