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誰ぞ彼の呼び聲

#UDCアース #ノベル #雨の日の怪談

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御梅乃・藍斗




――あの日は、すごい雨の日でした。
 篠突く雨ってきっとああいう雨のことを言うんでしょうね。
 傘をさす意味がないんじゃないかって思うくらいの雨でした――

(つい買い込んでしまいました)
 それは暗雲立ち込める雨の夕暮れ時、買い出しの帰路のこと。
 少々買い込みすぎた食材ですっかり重たくなったエコバッグを片手に、藍斗は思わずため息を吐き出した。雨が降るとわかっていたので最低限に済ませるつもりだったのだが、今日に限って切らしていた物ばかりが特売だったのだ。運がいいのか悪いのか――ひとつ確かに言えるのは間が悪い、ということだけ。重たい荷物に手間取って足取りは鈍く、しとしと雨はいつの間にやらけぶるような雨になっていた。
(これ、長靴履いてきて正解でしたね)
 傘を打つ雨の音はそれは大層、賑やかで。アスファルトは浅い川瀬に様変わり。街を行き交うサラリーマンや学生たちの靴事情は察して余りある。長靴を進めてきた狐耳の同居人に僅かばかりの感謝を述べつつ、藍斗は大通りのスクランブル交差点前に踏み込んだ。赤信号待ちしている、そのとき――ふわり、香る、線香の香り。
「え?」
 |雨の日《・・・》に香る筈のない違和感に、つい振り向く。しかし、何もない。気のせいだったかと、首を傾げて再び信号待ちをする藍斗を。
「――、」
 今度は聲が、呼び止めた。奇妙な悍ましさに、ぞわり、背筋が粟立つ。初めて聞くような、それでいてどこか懐かしいような、そんな聲が。
「――ぉ、ぁぃ、ぉ」
 舌足らずに自分を呼ぶ聲がする。敵意はない、殺意も害意もない。ただ、自分を呼び、ひたり、ひたりと近付いてくるだけ。気付いていないフリが一番いい、とは学校の噂話ついでに聞いたのだったか。曖昧な知識に縋る思いで無視を決め込むも、|こういうもの《・・・・・・》が苦手な藍斗の脈拍は早鐘のようで、相手側に気付かれやしないかという緊張感から呼吸が浅く、はやくなる。雨脚は強まるばかりなのに聲はかき消えない。信号が、やたら長い。
(はやく、はやくっ!)
 果たして祈りは――通じた。周りの歩行者に合わせて、但し少しだけはやく横断歩道を渡る最中。
「また私を置いていくの?」
「っ!?」
 今度ははっきりと聲が聞こえた。忘れもしない、否、忘れかけていた、|女《・》の聲。
 思わず止まる足。震える手が、傘を、バッグを、とり落とす。違うと理性で分かっていても、それを無視できる藍斗ではなかった。
「また置いていくの? また私を見殺すの? ねえ、」
 違う、と聲をあげそうになって両手で口を塞ぐ。然し、前髪より、睫毛より下たる雨雫が境界を揺るがせた。
 足元の水たまりにじわり、赤が滲む。ヒッ、と引きつる悲鳴は辛うじて音を成さなかったが、かわりに数歩、たじろいだ足跡は血を踏んだかのようでいて。ハッ、ハッ――荒げる呼吸のまま恐る恐ると口を覆う手を外そうとしたとき。ひたり、ひたり、|血《・》溜まりを渡り、近付く足音に気が付いた。それはすぐ、背後に、迫る。感じる。背に、気配。肩に、かかる、ささるような、冷たさ。耳元に、息遣い。吸って。そうして――
 突如、クラクションの鋭い音が空気を切り裂いた。
「おい、兄ちゃん!なにボケっと突っ立ってんだ!」
「あ、すいません!」
 意識が現実に引き戻される。藍斗は慌てて取り落とした傘とエコバックを拾い、横断歩道を駆け抜けた。
「なんだったんだ、今の」
 今だ鼓動ははやく、悍ましさも粟立つ肌も収まらない。気配も、触れた冷たさも、息遣いまで生々しく遺れど――聲は、もう、思い出せなかった。
「――名前を呼ばれていたら、どうなっていたんでしょうね」
 応える聲は、ない。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2023年06月15日


挿絵イラスト