●夢にまで見た、現実の。
「あ、おはよー! えらいお寝坊さんやなぁ。いつ起きるか見とるんも楽しかったけど、ほったらかしは寂しかったわぁ。朝食作っといたで。味噌汁も飲み頃やろ」
ヒュ、と息が詰まるような気がした。多分、一瞬でも|本当に《マジで》詰まった。だってそんな、何故に飛鳥が俺の家に……? いつも通りに朝起きて、いつも通りに食事を取って、いつも通りに学校へ行ってのルーチンをしようとしたはずだ。だってのに、異物というには御幣があるが、本来ここに居るべきでない者がひとり。帝は鼻歌でも歌いながら|台所《キッチン》で炊事をする飛鳥をじっと見た。その視線に気付いたのか、再び帝を見てはにへら~と笑みを返し、着々と食事をよそっていく。
「なぁーにをそんな見つめてるん。俺の顔になんかついとる? 起き抜けでボーっとしとるんか?」
「いや……何で飛鳥が俺の家にいるのかと……」
混乱しながらも声を絞り出す。声はちゃんと|目の前の人物《飛鳥》に届いていたようで、瞳を大きく見開いてからぽりぽりと頬を掻き、赤らみ乍らも答える。
「はぁ? そ、そんなん……一緒に暮らしとるんやから当たり前やん」
何を当然のことを今更といった風に、飛鳥の方が疑問に思っているようで、帝は増々混乱した。飛鳥は照れているのか、普段の朗らかな雰囲気よりも、前髪を|弄《いじ》ったりして居たたまれない様子が勝る。ここまで来て漸く、帝は理解した。不思議だ、何故こんな大事なことを|忘れて《・・・》いたんだろう。
――飛鳥は俺の告白を受け入れてくれたし、一緒に暮らすようになってもうしばらく経つじゃないか。
――早起きした方か、食べたいものが決まっている方が食事を作る。そんな|取り決め《ルール》だって作っただろう。
「……そうだったな、うん。飛鳥が一緒なの、まだ慣れなくて」
「なんやそれ、ミカから俺に熱烈プロポーズしたん忘れたんか? 俺もなぁ、吃驚したけどホンマ嬉しかったんやで」
「飛鳥は覚えてたのか、その……約束」
「あっはっは! お前それ拘るなぁ。正直あんま覚えとらんかったけど、そないな事もうどうでもええやん」
軽く流して笑い飛ばす飛鳥に、まぁそうだろうなと帝は思った。あんな幼い頃の約束をいい歳して馬鹿みたいにずっと覚えていて、粘着質にも程がある。しかし帝にとっては人生を左右するレベルに重要な思い出で、進学や就職で本当に離れ離れになって、誰かに取られる前に早く飛鳥の身も心も手に入れなければと焦っていたものが、こうして叶ったのなら今となってはもはや些細なものなのかもしれない。切欠はどうあれ、同じ屋根の下で、共に過ごす権利を得たのだから。
その事実が無性に嬉しくて、使い終わったまな板や包丁なんかを洗っている飛鳥に近づき、背後から優しく抱きしめた。ジャーっと水が流れる音の響くシンクと飛鳥をサンドイッチにして、逃がさないと無言の圧をかけるように。
「こぉらミカー、危ないやろ」
「何だか無性に飛鳥に触れたくなった」
「ぷ。何やねんそれ、今日のミカはえらい甘えんぼさんやなぁ。良い子いいこ、要るか?」
「……そういうのじゃない」
飛鳥の言い方だとまるで家族……妹や弟にするような扱いではないか。家族になりたいと思ってはいても、帝から飛鳥への感情は断じてそういう部類ではない。情愛で、恋慕で……渇望だ。手に入れたいと願い続けてやっと収まった|飛鳥《好きな人》は、思っていたより大きかった。帝自身は長身の自覚があるが、飛鳥も特別背が低いわけでもなく、もう昔とは違うのだと実感する。大きくなっても可愛いと言ったら怒るだろうか。
朝から飛鳥の香りを吸い込める日が来るとは……と、妙に感慨深くなって旋毛に口付け、項に顔を埋め深呼吸する帝に、何してんねん? と飛鳥は困惑する。困ってはいても嫌がっていない笑い方だ。キュッ、水が流れる音が止まる。
「飛鳥……ずっと夢だった。こうして当たり前にお前が隣にいるのが」
「子供の頃から変わらんやんか。ほんでもミカは叶えたんやなぁ。ん、そんなら叶えたん俺とちゃうんか?」
「そうだな」
「もっと早く|告白し《コクっ》てくれたら良かったんに、何を遠慮しとったん」
「……断られたくなかったから」
「アホやな~。ミカと最初に約束したん、俺なんやろ? じゃあ約束破ったりせぇへんわ。ま、でも俺が叶えたっちゅーならご褒美欲しいところやなぁ」
ご褒美。それは何処まで許されているの分からなくて、帝は無言で抱きしめる腕に力を籠めると、擽ったい声があがる。そうやないやろと的確なツッコミが入った。すっかり洗い物を終えた飛鳥は濡れた手のまま、帝の腕の中で一回転。顔を向かい合わせる。しっとりと炊事で濡れ、家事でしっかり鍛えられた指が帝の唇をなぞる。
「……|そういうの《・・・・・》は此処にしてもらわんと。ひょっとして焦らしとるんなら性格悪いで?」
「違う」
即答。するりと薄い唇を這う指を|食《は》み、がじがじと甘噛みしてから解放してやって、上目遣いで甘く誘う愛の化身に深く口付けを落とす。抵抗するどころか絡みあい、縺れ合う舌に、|普通なら《・・・・》呼吸が苦しくなるはずなのに全く違和感がないのに違和感があるほど。かと言ってそんなことは些末なことで、まだ朝だというのに台所でイチャつけるチャンスを逃すなんて勿体ない。口腔内は甘く、まだ知らない酒もこのように酔うのかもしれないと、飛鳥曰く起き抜けでボーっとしている頭で考える。
「夢、叶えたなら次の夢も探さんとな。|新婚旅行《ハネムーン》もええし……せや、ミカに一つお願いあるんやけど」
「いいぞ」
「あはは、相変わらずこっちの話聞かんなぁ……ん、まぁそういうとこも好きなんやけども」
ちゅっちゅと可愛らしい口付けは、唇だけでなく頬にも額にも鼻先にも。平素ならば飛鳥の方からスキンシップしてくることが多いものだが、これでは逆だと思っても止まらない。人目とか見栄とか体面を気にせず一人占め出来るなら堪能しなければ損だと真顔で必死になっている自分は恐ろしく貪欲だと帝は思う。積年の想いが爆発しているのかもしれない。不思議だ、これは|当たり前の日常《・・・・・・・》のはずなのに。
帝の思考を知ってか知らずか、くすくす笑う飛鳥は少し背伸びをして、帝の耳元に吐息と共に|お願い《おねだり》した。
「夢叶えたご褒美なぁ、帝とお揃いのが欲しいねん。指輪とかネックレスとか、ピアスもええかもね。|穴《ホール》あけるん痛いんかなぁ? ――それとも、苗字、同じにしてくれる?」
ぱくっ。耳たぶを齧る飛鳥の声に、帝の目の前は真っ白に赤が一滴たらされ混ぜられたマーブルになった。お揃い、おそろい……一ノ瀬・飛鳥……。アリ寄りのあり。むしろ最初からそうする|心算《つもり》だから、二つ返事で頷いて、腰を引き寄せた――。
ピピッ、ピピッ、ピピッ、ピピッ……。
「……ん?」
朝を告げるアラームだ。久々に聞いた。大体アラームの2分くらい前に起きては「もう少し眠れたな」と「今日も体内時計は好調」を合わせた微妙な気持ちで起きるのだが。6月15日、何もない朝。先程まで腕の中にあったぬくもりは影も形もなく、改めて眼鏡をかけてはスマホを見る。日付・時刻共に確認し、うん、間違いなくあれは夢だと落胆した。
自分の願望が引き起こした、自分にとって都合の良すぎる夢。欲求不満が過ぎるだろう。むしろあの程度で済んで良かったと安堵した。あんなことやこんなことを幾ら夢でも手出ししなくて良かった。飛鳥を大事にしたいから、飛鳥を汚したくない。夢だったとしてもだ! 自分が一番、飛鳥を守らないといけない立場なのにと考えて、いやあいつももう高校生だぞと頭を振って邪念を断つ。昔の思い出に縋る自分の情けなさも同時に振り払った。
スマホには朝から何件か通知が入っている。大体は『本日お誕生日のあなたに特別な~』といったどうでもいい内容のDMだったが、それらを押しのけて一番乗りしてきたのは先程まで夢で逢瀬していた相手。
▶飛鳥
誕生日おめでとー!あと半年はミカのが年上扱いされんの悔しいわー!!
折角やしなんか飯食いに行こうで!
ハピバ割とかオマケつくとこリストアップしといたから学校で作戦会議や!!
「……学生証、ちゃんと持ってるか確かめるか」
0時1分に届けられた、恐らく|飛鳥《あちら》は日を跨いだ瞬間に送ったと思われるメッセージに謎の元気を貰い、帝の今日が始まる。送られてきたメッセージはそっとスクリーンショットして、流れても見返せるように保存もしておく。年に1回しかない誕生日、年齢が大人に近づくよりもこんな些細な言葉が嬉しいなんて、ちょろいものだ。勿論それは飛鳥限定だけど、飛鳥の誕生日にもチャンスがある。
高校2年生で迎えた17歳の誕生日。卒業までのタイムリミットまでは刻一刻と近づいているけれど……今はこの柔らかな幸せを享受しよう。制服の内ポケットに仕舞われた学生証が、今日は一際役に立つに違いない。特別な日を夢と現実で|W《ダブル》でお得に迎えられた|1年《今年》は、素晴らしいものになる予感がした――。
成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴