おかえり、と風が吹く旅路
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「リュカさん、そういえば先程は何を買ってらしたんです?」
穏やかな春が過ぎてゆく頃。アックス&ウィザーズの地に遊びに来ていた夏目・晴夜がリュカ・エンキアンサスへと尋ねた。
大きな都市は流通も盛んで行き交う人も多くそのぶん様々な店が置かれている。その一つである休憩所。
今、晴夜の手には『ウィザード屋のかき氷』があった。氷魔法で作られたかき氷は口の中に入れるまで溶けなくてひんやり美味しい。
晴夜にぼんやりと、そういえば的な「あぁ」と声を返すリュカ。大きく掬ったかき氷を口に入れ、溶かしつつ口の広いポケットから出したのは大きめのキーホルダーだ。
「これ」
と、渡された物はそこそこの重さ。
「鳥籠のアンティークですか?」
鳥が入るには可哀想な狭さで、鳥の替わりに石が入っている。
「中に入ってるのはドラゴンの鱗の一部なんだって」
「ああ、これ鱗なんですね」
綺麗にカットされた鱗が入った鳥籠のキーホルダー。何が珍しいのかとまじまじと眺めれば、金属製の鳥籠には補強された箇所ばかりで元々は鳥籠の形状ではないことが分かった。
「あれっ、これ元々はランタンの形だったりします?」
気付いた晴夜へ僅かに目を輝かせたリュカが二度、三度と頷きながら「よくわかったね」と言った。なんだか嬉しそうだ。
これを売っていた露天商いわく。
群竜大陸の勇者の墓標から流れてきた『残骸』で、鱗の加工はドワーフの手によるもの。
「ドラゴンの鱗を加工するなんて、その職人は凄い」
鱗はある地に根付いたドラゴンのもので、このドラゴンを起点に栄えた都市があるらしい。
「どんなドラゴンだったんだろう。その都市に行ってみたいと思って」
リュカの声は僅かに弾んでいるようだ。早速という風に立ち上がりどこか曖昧な位置にリュカが手を浮上させたところで、晴夜は「ハイッ!」と元気よく挙手した。
「リュカさん、その都市は分かるんですか?」
「――分かる。あっち。東」
「そこまでの距離は」
「馬車で十七夜。アルビレオに乗ればかなり短縮できるかな」
「……ちょっとリュカさん、いま持ってる地図見せてください」
晴夜は嫌な予感がした。
仕方ないなという雰囲気を隠しもせずにリュカが地図を取り出す。広げた地図に指を滑らせて「ほら」と短縮された『道』を示した。
なお指によって描かれた線は現在地と都市を直線的に繋げた線である。当然、途中は森があったり岩場があったり。
「リュカさん、この街道沿いに行きましょう??? 宿場があるじゃないですか」
交易商人用ではあるが、野宿よりはマシだ。そう晴夜は提案したのだがリュカは眉を寄せている。えっすごい不服そうじゃん。
「話の流れ的に――晴夜お兄さんも一緒に行くの?」
「はっ? えっ、そこから!?!? あっ、さっき不審げにリュカさんが挙げた手って」
「じゃ、またね。って挨拶」
「判断が早過ぎます! ハレルヤも一緒に行きますよ!?」
話しながら移動を始め、停めていたアルビレオのハンドルを持ったリュカは後部席の荷物へ目を遣った。アルビレオは二人乗りできるバイクだがそのぶん荷物を積んである。
ハァァとリュカはやや長めのため息を吐いた。
「……お兄さん。現地集合、現地解散にまけて欲しいんだけど」
「どうしてそこでハレルヤを値切るんですか。すごく心が削られるのですが」
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「ここは効率よく役割分担していきましょう。リュカさんは運転してハレルヤを安全に運ぶ係、ハレルヤはリュカさんの分まで景色を堪能する係で」
「はいはい。はしゃぐのはいいけど荷物はちゃんと持ってね。そこに俺の全財産入ってるから」
元々ある荷物は晴夜が抱えたり背負ったりということで解決した。
物に遮られない空はどこまでも広く、アルビレオの後部席に座ったり立ち乗りしたりと晴夜はアックス&ウィザーズの景色を空と同じくどこまでも楽しむ。
濃い草の香りや陽射しが、涼やかな風の恩恵を強めている。
草原と空を翔ける羽ウサギの群れ。
初めて見た時は「可愛いですねぇ」なんてほのぼのとした感想を抱いたが、その夜の食堂で食べた羽ウサギ肉のシチューがとても美味しかったので、次の日見かけた時には「美味しかったですねぇ」という言葉が出た。
「――、炙り焼きもお兄さん好きそうだよね」
「あ~いいですねぇ」
「近くに交易の町があるから、屋台とか探してみよう」
楽しそうに肉を食べる晴夜は見ていて気持ちが良い。彼が嬉しそうに食べていると、リュカもその肉を美味しく感じるのだ。
予定していた宿場から町の方向へとアルビレオを走らせるリュカ。二人を乗せたアルビレオはいつもより重みを感じる走りとなっている。たまにアルビレオから伝わる重心の変化は、景色を眺める晴夜によるものだ。重さの移動を感じ、その方向へとリュカが目を遣れば崖を渡る山羊の親子。ひょいひょいと行く親山羊と、崖に生えた植物に気を取られている仔山羊。
「あれぞまさしく道草ですねぇ」
なんて言う晴夜の呟きが耳に届いて、リュカは笑んだ息を零した。
だって二人が今からやるのも気ままな道草なのだから。
甘辛いタレたっぷりの串焼き肉。羽ウサギの肉は見た目こそ硬そうだが、食めば柔らかな肉質。肉汁とタレの調和はぴったりだ。
「焼き加減も丁度いいですね、レアですよ!」
美味しそうに食べる晴夜につられるようにリュカも串焼きを食む。
「うん。おいしい」
味付けされていてもされていなくても、食事はリュカ自身を動かす糧でしかない。美味の差は分かり難いが、美味しいですねぇという相手の声があるとリュカの舌もその美味しさを感じるような気がする。
広場に面したオープンテラスの食堂は肉の良い匂いを辺りに振りまいていた。もはやこれは一種のテロだ。晴夜に引っ張られて入店した食堂は、彼が言うには当たりらしい。
大きな皿にはたくさんの串焼き。
一人一人に添えられたサラダは晴夜の手によってリュカの方へと寄せられた。
「お兄さん、野菜も食べないと」
「いえ、リュカさん。野菜は植物、すなわち自然の中に生えているのを目で見て楽しむものですから食べるもんじゃないと思います」
見てください、この彩りを。と示す晴夜。綺麗でしょう? と言う晴夜。彼の微笑みは、何というか、悟りがあった。
「この寄せ植えの如きバランスの素晴らしい景観を崩すなど、とてもとても……ハレルヤの心も痛むというものです……」
「…………」
言い訳を通り越して別次元の視点で|サラダ《草花》を愛でる(?)晴夜を呆れた目で見遣って、リュカはねっとりとしたドレッシングをサラダにかけた。次に香辛料を大量投入する。
「瑞々しい自然の香りが一瞬にして|スパイシー《地獄》になりましたね」
「そう? あ。この香辛料、ちょうどいいね。炙った肉にまぶしたらよさそう」
「リュカさんのちょうどいいって、ちょうどよくないんですよね……」
「まあまあ。一度試すといい」
あっ、これはちゃんと聞いてない声だなと晴夜は思った。
二本の串焼きにまぶした香辛料はまるでエビフライの如き衣を纏った。
「はい。お兄さんはこっちね」
「……ぐっ……わ、わかりました。いただきますよ」
差し出されたならば断わることも出来ず、震えた手でソレを受け取った。
晴夜は泣く泣くその串焼き肉を頬張ることとなった。
肉に罪はない。晴夜に罪もない。当然、香辛料やリュカにもだ。
悪意なき世界。なのにどうして悲劇は生まれてしまうのか……。
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都市レブレクエ。
城壁に囲まれた都市への入場料を払い、赤みがかった石畳を踏む。店の看板にはドラゴンをモチーフとした装飾、都市内に刻まれたレリーフ。
大昔に根付いたドラゴン、レブレクエの鱗がこの都市の石畳になったのだという伝承を二人は聞いた。
仄かに温かさを感じる地面。湯気がたつ建物は温泉宿。
近くの洞窟からは今も鱗のような鉱石が採れる。
その加工を行うドワーフ職人を訪れた二人は、手に入れた鱗の欠片を見てもらう。
「勇者の墓標で見つかった――? ……ああ、勇者シャナの生死は知れなかったが……そうか、群竜大陸へと辿り着いていたのか」
無骨な掌の上の鳥籠。ドワーフは「鳥籠から取り出しても?」と聞き、リュカの了承を得た上でその鱗を手にした。
「勇者が携えたこの鱗は、本物のレブレクエの鱗だとおれも聞いたことがある」
そう言いながら古びた店内のランタンから蝋燭を取り出して、その鱗を入れた。すると、どうだろう。
「――!」
「リュカさん……!」
鱗が光っている。
びりりとした殺意が室内に蔓延して、思わず二人は身構える。アックス&ウィザーズで対峙した、悪意あるドラゴンの気配。すなわちオブリビオンの気だ。
「おっと、すまん。先に言えばよかったな」
慌ててランタンから鱗を取り出したドワーフは説明を続ける。
「これは邪気払いとなるんだ。旅中、野宿をする時は魔物除けの魔木を焚火に入れたり、辺りに守護陣を置いたりするだろう? この鱗はその役割をしているんだよ」
持ち主にしか効果がない『敵避け』の鱗。発動条件は、この都市一帯の鉱物を元にした容器だ。
「持ち主だけ……一人旅だと重宝するかもしれませんが、なんとも使い勝手の悪いアイテムですねぇ」
晴夜の言葉にドワーフは「そうだろう?」と苦笑する。
「個で使うとそうなる。勇者は都市の石畳から守護ドラゴンの鱗を剥いで持って行ってしまったんだ。元の場所へと戻せば、鱗も本来の役割に戻されることだろう」
レブレクエの欠けた石畳へと戻してやれば、鱗はこの都市の守護陣の一部となるのだとドワーフは言った。
「しかし、これはあなた方が手に入れたものだ」
そう言って彼はリュカに返そうとするのだが、リュカはゆるりと首を振った。
「欠けた石畳に戻すのがいいと思う」
「ですです。せっかく故郷に帰れたんですから」
背を押すような晴夜の言葉。
――群竜大陸に散った勇者の形見、ドラゴンの鱗の帰郷。
きっと死ぬ覚悟をして旅立った勇者はたくさんいる。生きて帰りたいと願った者もいただろう。
都市レブレクエに至るまでの数日間、二人の旅路はきっと誰かの帰路だった。
宿場では長年伝わる伝承歌や、子供たちが口遊む遊び唄を聞いた。懐かしき故郷のうた。
その土地の食材を使った食事は伝統料理が多かった。懐かしき家庭の味。
自然の景色はきっとずっと同じような感じだろう。昨日見たあの山には名前があるだろうし、湖も大昔から憩いの場としての役割がある。
旅をするその地は、誰かの故郷だ。長年旅をしてきたリュカはそれを知っていた。
「帰れてよかったですよ。ね、リュカさん」
晴夜がそう言えば、リュカも穏やかに頷いた。
都市レブレクエの地熱はドラゴンの体温だ。
赤みがかった石畳は、夜もほんのりと光っている。
ここは『家』だった。
リュカと晴夜、そしてドワーフの手によって戻された欠片の鱗は、石畳に嵌め込んだ瞬間僅かに光って周りの石畳に同化した。
二拍遅れて石畳にオレンジ色の光が駆けていく。鱗を描くような光は上空から見ればドラゴンを象るとなった。寝そべるレブレクエの姿がそこにあった。
おかえり。
息吹のような優しい風が、二人を包み、抜けていった――。
成功
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